20231205

何度も何度も至るところで言い、書いてきたが、私はラジオで出会った音楽で本格的に音楽のベースを形成し、さまざまなメディアから影響を受けてきた。

そんな中で私が特に敬愛するロックスターが3人いる。それは甲本ヒロト、宮本浩次、チバユウスケ。それぞれ理由はあるのだが、そんな3人の1人のチバユウスケが亡くなった。

報を聞いても存外悲しいとかもなく、あるがままを受け入れることができている。虚しさみたいなものがないかと言われるとそれもまた嘘だけど、チバユウスケが亡くなったんだという事実以上のことは言うほどない。

これは彼のことを私がなぜ敬愛していたかというところに繋がっていくのだけど、私は彼の音楽も含めた「存在」に憧れていた部分があった。基本的に可愛いものが好きな少女趣味の私にとって、数少ない「男性性」から来る憧れの存在だった。年齢を重ねても変わらないところは変わらず、でも確実に渋みを増していく佇まい。軸のブレない音楽や言葉はクールでブルージー、それでも「孤高」というには人肌の体温がある。そういった、哀愁の中に見える人間らしさに心底憧れた。

だからこそ、亡くなったところでそういうものだと受け入れられている部分がある。人はいつか死ぬ、くらいの規模感。

そのときその瞬間に彼が生み出した音楽を聴ける喜び、これは確かにあった。でも別にそれ以降何も生み出されなくなったって、それはそれで全然良い。興味がないわけではない、だって好きだし。ただそこにそのタイミングに存在した、それでいい。

憧れってそういうものじゃない?現在そこにいなくたって、そのときそこにあってほしい姿でいたのであれば、憧れる理由としては十分。


私のチバユウスケの曲との出会いは実はミッシェルでもBirthdayでも、もちろん(?)ROSSOでもなくPUFFYの「誰かが」だった。中1でaiko「シアワセ」をAMラジオで聴いたことから始まる私のこの「音楽鑑賞」という趣味は、J-Popから徐々に広がりを見せて今に至るわけだが、「誰かが」リリース時はまだ全然J-Popしかわからないというような状態だった。

パワープレイで聴いたワンオクのデビュー曲「内秘心書」やたまたま流れてきた当時ニューカマーのサカナクション「夜の東側」、GO!GO!7188の「真夏のダンスホール」、チャットモンチー「世界が終わる夜に」とロックへの入口を広げるきっかけは多々あったものの、やっぱり歌モノとしてのJ-Popが好きだった時代に「めちゃくちゃかっこいい」と思った曲が「誰かが」だった。

当時は感性も成熟していなければ語彙もない、ただ直感で好きだと思った程度だったけれど、確実に私の何かを突き動かした。近くにできたTSUTAYAに行き、ミッシェルのベスト盤をレンタルしてめっちゃ聴いた。そこはPUFFYでもBirthdayでもないのかと今の私ならツッコむし、買ってないあたりが中学生だな〜と思うが、たぶんよくわかってなかったのとちょうど何かでミッシェルの映像を見たんじゃなかったかと思う。

そこからしばらく開いて(ミッシェルはNHKの解散直前の番組出演を再放送していたのとかを見てガンガン聴いていたが)、「なぜか今日は」がリリースされたタイミングで再度The Birthdayと出会う。本当にこの曲が好きでWALKMANに入れるプレイリストには必ず入るくらいよく聞いていた。

たぶんこの頃からチバユウスケのことをしっかり意識したんだと思う。存在からかっこいい、それが多感な時期にどれほどの影響を人格形成に与えるかは想像に難くないし、シンプルに哀愁漂う楽曲に心が惹かれたのもある。

ロックしか聞かねえと思ってた私の心も徐々に多様になり、今では必然的にウェイトは下がったけど、新譜が出れば必ず聴いていたし、チバユウスケをメディアで見かけるたびに、年は取るものの、それがむしろ魅力的に見えて「やっぱかっこいいな〜」と思わされた。私が29歳になってもそれは変わってない。むしろ敬意が増している。


チバさん、ずっと変わらぬ憧れのかっこいい存在でいてくれてありがとう。あなたはいつでも最高でした。


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