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下書き供養芸 202309

前月分〜。ヘッダーは友人と飲みにいった時に食べた分厚すぎるカツオ。

Threadsがいい仕事してて、アウトプットが「外に出して燃える可能性が1ミリでもある」ものは鍵アカ、そうでないものはThreadsというような運用になりつつあり、こっちに書く必要のあるものが減ってきた感じはします。10月は無かも。

わからないですが、たぶん評論家とか批評家の類に対する文句に近いものじゃないかと。適切に情報を集め、感性に頼り切らない「評論」や「批評」をできているならそれはそれでいいことだと思ってるんですが、しょうもないことを言ってる人間ほどふんぞりかえって評論家を名乗っていて、一回自分の立ってる地面見返したら?って思うんですよね。「New Jeansおじさん」とか「シガーロス側の落ち度」とか。

もともと音楽誌はすごく好きだったけど、知識と教養と広く音楽を知る(とはいえまだまだ狭いのもわかっているんですが)につれて、胡散臭い評論家とかライターが目につくようになってきて、アホくさと読むのをやめていったクチだし、自分が何を知らないのかを知ることから全部始めてほしいかもと思いますね。

これはもう真理だと思っています。ダブスタ全部が悪いわけじゃないんですが、怒りのような強い感情(と論理的に解決すべき事柄)はダブスタで処理してしまうと自らの足をすくわれてしまう。自分の首がしまっちゃうんですよ、己が言ったことで。

自分が対象に怒った理由と同じことを別の人がやっていた場合にそれに怒らないというのは変な話で、「友人だから」とかそういう道義、人情みたいな理由をつけた瞬間に自らが後ろから刺されるでしょっていう。怒る時は絶対冷静に、自らがどこまで戻ってきた刃に耐えられるのかを考えるべきなんですよね。

通勤でも出かけるのでもそうですが、東京の電車って結構サイネージがしっかりあって、ニュースとか広告が常時流れているんですよね。私が使ってる田園都市線も東武の車両が来ない限りは基本的にあります(東武の車両が来ると、座席位置によっては駅がわからなくなるのでハズレです)。

ずーっと流れ続けてる情報をただ眺めて「そうなんだ」って思っていたんですが、不意に「あっ、これ脳が死んでいくかも」と思っちゃったんですよね。ニュースとか天気予報とか、取捨選択されていて必要な情報ではあるけど、何も考えずに入ってくることの危険性もある。

今この時代は入ってくる情報量を減らすことってすごく大事だと思っていて、その邪魔というとあれだけど、でも減速させるような仕組みが電車の中にも潜んでいるのはちょっと嫌だなって思いました。まあざっくりニュースが見られるので見てますけど。

上司sと飲み会をしたときに、私が何に面白がっているのかという話をして出たのが「見える終わりに用はない」だったんですよね。これ自体は黛冬優子のアンシーン・ダブルキャストのフレーズだった気がする。

お決まりの展開みたいなのでインスタントに感情が動くことってほぼなくて、予想がつかない、でも展開として無茶がない(=ちゃんと話の筋が通ってる)みたいなのに一番食らってしまいます。人の性格、行動、関係性に根ざしていて、でも「こうだったらいいでしょ」というのを感じさせないもの。それってリアルの人間が一番話が早くて、というような内容の話でした。事実は小説よりなんとやら。

でも、そういったインスタントに見えるものに対して「つまんないな〜」と思ってしまうことは結構嫌。だって楽じゃないですか、話題にするのも簡単(あれよかったよね〜泣けた etc.)だし。自分の中の満足度は今の方が高いけど、こと対人になるとさっぱり役に立たない。文脈把握、事前知識等の共有から始まるから時間がかかるったら。


映画、見てないですね……そろそろゆっくり見たいけど、週末はシャニマスのコミュ見たりアニメ見たり友人と会ったり、後9月は選曲したりもしていました。書いている今は終わった後ですが、m_m_mの出演が楽しみかつ結構追い込まれていたというか、どうしようかとなっていた部分もあり、選曲を結構しっかり詰めたんですよね。よくやったよ本当に。

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