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202404xx 杞憂に終わってほしい不安

※ あらゆるネタバレと身勝手な決めつけを大いに含みます

はじめに

5周年を皮切りに今まで以上にさまざまな展開を行ってきたアイドルマスターシャイニーカラーズ。この春でシャニマス自体は6年。私自身もゲームに触れ始めて5年が経ち、いよいよこのコンテンツと心中かもしれないと覚悟を決めつつある。

……とはいえ、その展開に思うところがないかと言えば嘘になります。その中でも重大トピックであるシャニソンとシャニアニの正直なところについて、感想コンテストという運営側が見るであろうせっかくの機会なので残しておこうと思いました。

以下はそもそもブランドとして、「アイドルマスターシャイニーカラーズ」の世界観は単一であることが想定され、実在性を重視しているという前提が共有されていないと始まらないので、一旦下の記事等を参照してもらえると嬉しいです。



enza版シャニマスについての私感

「コンテンツと心中」と冒頭で言いながらも、enza版シャニマスに関して私はコアユーザーよりもライトユーザー側にいると思っています。というのも、コアユーザーはトワコレを限界まで集めたり、ノウハウブックを作り込んだりしてグレフェスを真剣に遊んでいる層だと考えているからです。とりあえずイベント称号は取りに行っているけれど、気が向いたらコミュを読んでいる程度の私はとてもコアユーザーとは言えない。現状、私みたいなコアユーザーの数歩手前にいる層とたまにログインする程度の層が一番厚いのではないかと思っています。

そういう背景が統計としてもあったのか、一時期グレフェス関連の改修(グレフェスコインの導入 etc.)を行ったり、トワコレというゲームチェンジャー的な要素を導入したりとコアユーザー手前の層を取り込もうとしているように見えましたが、逆にそれらがユーザーの層をはっきり分断したような気がしています。トワコレ実装時の結構な量の否定的な意見はいまだに覚えています、特に性能が破壊的なのでコアユーザーからの否定が多かった記憶。私は定期ガシャにオーバーレイする形で実質期間限定ガシャを実装するマイコレの方が正気か?と思ってキツかったですが。

私はSTEP実装あたりからアイドル育成部分に関してかなりやる気が削がれ、昔はグレ5とグレ6を頑張って行ったり来たりしていたのが、グレ4で楽に勝ち上がってグレ5のタームは放置という運用になっています。これに関してはゲームが上手じゃない私が悪い面もありますが……。衣装ガシャ等で好きな衣装は得ているので、プライベートドレスダウンはおまけくらいの気持ちだし、グレフェスコインで交換できるsSSRが不定期で登場しなかったら完全に放置だと思う。

とまあサービス開始から1年後に始めた私ですらこの状態なので、enza版シャニマスがゲームとして絶望的なまでに新規参入がしづらいのは自明のことでした。それに加えて魅力とされる重厚なストーリーと演出がインスタントな消費の世の中で逆に障壁となっていたり、そこを乗り越えても期間限定のカードのコミュがその後のコミュに繋がっているせいで内容把握が難しくなったりと、とにかく壁が多くてその上高い。友人に薦めたい気持ちも、その壁の多さと高さが内側から見えていて潰えていきました。

わかりやすい上に面白いストーリー展開と、大味な部分もありつつ繊細に描くべきところを絶対に外さない某アーカイブだったり、実在性という観点からもシャニマスと親和性の高い金沢の方のスクールアイドルが登場したりと、このままだとシャニマスがコンテンツとしてもっと先細る未来がユーザーとしても見えてきた中で発表されたアニメと音ゲー。これは正念場を迎えているなとファンとしても感じるトピックでもありました。ちょうど肩入れしていた某声優育成アプリ関連のコンテンツが完全に消滅してロスに陥っていたこともあり、潰えて終わることにかなり敏感になっていたのもあるとは思います。

シャニアニについて

発表された際の最初の感想は「無理にアニメにしなくていいのに」でした。インタビューではかなり長期間で構想を練り、ようやく実現したものであるという旨がありますが、どうにも抵抗感があったというのが本音。というのは、enza版のシナリオにある流れをどうやってもアニメに落とせる気がしなかったという部分があったからだと振り返って思います。

というのもユニットごとに物語があり、(特に初期段階は)交差こそすれどシャニマスの軸の1つはユニット内のやりとりにあると思っているからです。Pとの1対1のやりとりでアイドル自身の成長を覗くことももちろん1つ軸ですが、ユニット内の交友がアイドル自身のパーソナリティーにも影響を与えるという複雑系になっている。そんな状態のものを並行して語り、最後に1つにまとめるというのは無理があるのではないかと。

結果、283プロ1stライブという2019年の「FLY TO THE SHINY SKY」と同じような形(1stも結局はenza版と連動した形でもあると思うんですが、リアタイではないので想像に過ぎない)でキャラクターをステージに上げ、「283プロ」という1本に上手く束ねて終わりました。アニメのストーリーとしては上手にまとめたと思うんですが、enza版でいう「PiCNiC BASKET!」が担った役割のように、1本の束が分岐してそれぞれの日々が続いていく感じは少し弱かったような気がしています。

とはいえ、フルCGの映像作品としてクオリティは非常に高いと思います、この点はビガップという感じ。アプリコットの雑誌などenza版の要素を露骨に出しすぎていた部分もありましたが、発話のタイム感とかシネスコとか、enza版でブラウザの限界までこだわっていたところを、ある種フリーフォームのアニメがさらに上のレベルへ持ち上げるようでした。これはPOLYGON PICTURESはじめ制作陣の丁寧な制作の賜物だと思いますし、CGアニメが得意ではない自分でも第3章を見る頃には慣れていて、動きを捨象しないがゆえに生じるCG特有の「不気味の谷現象」はそれほど気にならなくなっていきました。

とはいえ、現象をときに脚色し、ときに捨象をして繊細な表現を据えたenza版シャニマスと3DCGは相性があまり良くないと感じています。というのも、実在を売りにした構成において捨象を全くしない動きは生々しさを悪目立ちさせる部分があり、不要なものを含んだ大量の情報が登場してしまうから。

(こちらは早稲田茶箱で行われているWARAHOUSEでVJされていたhigrasyさんのFPSが高い映像を使用したプレイを見て、4Kテレビが出たくらいから考えていた「フレームレートの高い映像に対する不思議」を投稿したら返ってきたVDJ gekkoさんによる知見。精緻なもの、高精細なものがいつもいいわけではなく、使いどころがちゃんと決まっているんだなあと改めて実感した瞬間でした。)

アイドルの実在性を高めるという点では歩き方や姿勢などを細かくCGで表現することも自然ではあります。実際生放送等で高山さんから「アイドルってこうやって歩くんだ」といった発言も出ていた記憶がありますが、これまでシャニマスがブランドとして組み上げてきた手法や空気感に鑑みると、動きの捨象を行うことで心理描写を精緻にする方がアニメ作品としてはあっていたのではないかと私は思っています。

ただこれは決してクオリティの問題ではなく、プラットフォームのミスマッチの問題であることは何度も強調しておきたいです。もはやここまで来ると個々人の好みの領域に足を突っ込んでいると言っても問題ないとも思っています。

シャニソンはかなり突貫工事だったのかなと、どうしても思ってしまう

私はシャニソン発表のイベントを見に行っていたのですが、その前日に確かリークが出て「音ゲーかあ」といまいち気が乗らないまま会場に行った記憶があります。イベントのトーク自体はかなり楽しんだんですが、個人的に音ゲーは難易度とかそういう話ではなく「音楽のノり方を強要される感覚」が嫌だなと思っていて、どうも気が乗らなくて……。

リズムゲームと和解できない理由、音楽を楽しむっていう言い方をしておきながらリズムのノリ方を強制される感じがするところだなという気付きもあったのでそこの知見を得たのは良かった

キックとスネアでリズム取って楽しんでるのでなんでそこでイーブンで入ってくんねんみたいな気持ちになったという

自分の過去記事よりイベント参加後の感想 (https://note.com/floating_pool/n/nbed85fa8fd94)

ただ、enza版シャニマスを薦めづらい中で、音ゲーなら某ンスシスターズを薦めてくれた友人にも多少興味を持ってもらえるのかなとか考えていました。が、その目論見は結構大きく外れてしまい、コンテンツにゆるやかでも興味を持っていたクラブで会う人たちを眺めても、ユーザーが片手で数えられる程度しかいない状況が今目の前にあります。私もアクティブかと言われるとそんなこともなく、今はもうチャレンジツアーすら放棄していて、石がたまったらガシャを回し、あとは溢れないようにスタミナ消費をすること以外やっていません……。

その背景にさまざまな理由があるとはいえ、IPが先行するゲームなので「こういう設計のゲームだと思えば許せる」というある程度のレベルは存在すると思うんですが、リリース段階でその許せる水準にすら達していないような印象を受けたのが正直なところ。このゲームを続けてやっていくのは難しいかもしれないと思いつつ触ってきてもうすぐ半年、今でもゲームバランス、バグの多さ、UIの絶妙な不便さなど「計画性を持って開発していますか?」とユーザーとして疑問を持ってしまう部分がたくさん出てきてしまう。

コンテンツの指摘に関して一番目立っていたところだと、リリース前にMVに対してめちゃくちゃ批判が出て修正して……といったやりとりがあったりしましたが、リリース後の半年間の動きを見ていると「テストする時間がないからとりあえずリリース⇨後で気付いた or 指摘されたバグ等の修正」を繰り返しているように見えて、リソースが足りていないんじゃないかと邪推せずにはいられません。いくらアジャイルなアプリゲーム開発といってもリリースクオリティの下限はあると思う……。

その中でも一番クリティカルだなと思うのは、「新しいユーザーの入口となれるようにサクッと読めるストーリー」という部分が確実に達成されていないこと。短く再構成していることは良くも悪くも感じられますが、プロデュースシナリオを後から見返すことができず、再度読むにはプロデュースをしなければならないという、ある意味enza版より読むのに手間がかかるという状況になっているのは計画性がなさすぎるのではないかと。いくらプロデュースがenzaよりサクッと終わるからといって見返す方法が皆無だと結局enzaの方が優位に立ってしまうし、それだと内容を削っている意味がないのではと思っています。

ライブ衣装流用やコミュの要約・再構築に関してはenza版で制作したコンテンツの再利用ができているし、シーズンパスに限定のsSSRカードを入れておくことで課金の動線を作っているところなどなど、マネタイズのスキーム自体は上手く立っていると思っているのですが、スタートダッシュでコケてかつ肝心のクオリティ部分が追いついていないせいでユーザー自体が少なく、せっかくのスキームが上手く作用していないのではないかと思っています。

まあいろいろあっても最終的には音ゲーだしなあと落ち着けても、スコアリングするにはプロデュースパートをちゃんとやらなきゃいけないというどっちつかずだし、現状適当にガシャ回して着せ替え人形にする遊び方が一番正しいような気がしてしまいます。βテストもやっていたのを見ていたはずなのに、「本当に念入りにテストプレイした?」とつい言ってしまいそうなゲームだなと。

シャニマスのコミュは積み上げ型

「ストーリーがいい」という評価をされるシャニマスですが、丁寧な積み上げをしていく流れでどんどん深みを増し、面白さが出てくる性質が全体的に強いと考えています。その結果アイドルの個性を繊細かつ強く描け、「キャラクター」的な捨象をしていないという印象です。これはでもシャニマスだけに限った話ではなくアイドルマスターシリーズ全体でそうだし、他にも私が好きになってきたコンテンツ(某シスしかり、某次世代声優育成アプリしかり)はどれもそうだった気がします。ちゃんとそのキャラクターが「特徴」でかたどられずに「個」で立っている。そういった「キャラクター」的な捨象の不在は人間臭さ、つまりシャニマスが一つのテーマに掲げている「実在性」につながっていると思います。

意外と今どきのギャルとお友達の凛世。テンプレートなキャラクター像に当てはめてしまうと、こういった冗談は言わないだろうし、ただの名家の和風美少女になってしまう気がしますが、そういった部分に余白を残しているところは実在性につながる感じがします。

その分、いわゆる少年漫画等に見られるわかりやすい「アツさ」は弱め。たとえば屈指の人気コミュ(と思われる)アルストロメリアの「薄桃色にこんがらがって」も、3人でアルストロメリアというフレーズを軸にしてきたユニットがバチバチにぶつかって、それを支える甜花ちゃんがいてという前情報ありきの「アツさ」が強いと思います。初見でも十分面白い、初期イベコミュ以外だと珍しいイベコミュだなと思いますが、やはり奥にいる複雑な感情は拾いきれない気がする。

ここのセリフにこもった感情のことは複雑すぎて文字に起こせないです。ついでに言えば私がてんちゆを好きになったのはこのシーンからです

あらゆるエピソードを積み上げてきたからこそ面白く見える。それは逆に言えば積み上がらないといまいち伝わり切らないエピソードが多いことを意味していて、それがユーザーの参入障壁になっているのはなんとなく感じます。通常であれば一人のアイドルを追いかければある程度掴めてスピーディーに積み上がっていくはずのエピソードも、シャニマスはユニット単位の稼働が多く互いに影響を与え合うのでなかなか適切に積み上がらない。ここが醍醐味でありながら、障壁にもなっているというジレンマを抱えています。

凛世のLanding Point編の一幕。これそっくりそのままコンテンツ全体の現状に返ってきてるなと、書いていて思いました。だからこその6thライブのあの情緒をことごとく破壊する構成だったのかとも思いますが、流石に破壊をやりすぎで爆笑していたことだけお伝えします。

それに加えて、コンテンツとしてのシャニマスが並行宇宙を想定していないというのも1つ積み上げ型の面白さを加速させ、一方で参入の壁を高めている部分もある。それはシャニソンやシャニアニから入ってもenza版のストーリーと繋がっていて、全部を知るにはenzaを知らないと難しいということを意味しています。特にシャニソンは再構築のストーリーが初手のプロデュースエリアに立っているので、enza版の切り抜きみたいになっていると言えます。

つまり、enza版があらゆる日常とアイドル活動を描いてきたアカシックレコードと化していて、その枝葉としてシャニアニとシャニソンが存在してしまうというかなり危うい構造になっています。そういったある程度の並行宇宙を想定しなかったことによるアカシックレコードの存在を前提に、新規層を取り込みたいという目標に対しての打開策としてシャニマスという宇宙の入口を想定したシャニアニとシャニソンのストーリー構成は、実は逆の方が良く、入口として担う役割も逆だったのではないかと思っています。

シャニアニは第1章に当たる4話分のうち、イルミネ以外が明確にユニットのお当番回にあたりますが、時間軸の繋がりはありつつも、各30分弱の長さでライブまでして終わるという実質単話完結型になっています。つまりユニットの空気感をこの単話で紹介するといったことを行っているわけになりますが、このコンパクトさはシャニソンの「サクッと読める」かつ「新たに触れる人に知ってもらう」を満たしていると思うんですよね。

一方そのシャニソンはどうかというと、サービス開始時にプレイできたコミュはenza版におけるユニットの1番最初のコミュたち。enzaのフォーマットでも1時間程度かかるような内容を再構成して、しかも各アイドルの目線を加えて短くまとめるというまあまあ無茶な形になっています。継続的な開発を行うにあたってenza版のコンテンツを再利用して実装するのは自然だと思うのですが、オートにして1時間程度かかるイベコミュを「サクッと読める」形に再構成することは難しいのではないかとリリース前は思ったし、実際初期コミュに関しては「そこカットしたら話の質感が変わるのでは」と思った部分も多いです。

アニメの尺感や全体の構成との兼ね合いはあると思われるものの、4ユニットだけなら初期イベントコミュを2話か3話でやれば十分紹介になると思うし、イベコミュも初期は特に各アイドルに見せ場があるので、削ぐ部分は出るだろうけど質感を損なわずに映像化できたんじゃないかと思います。そう考えるとシャニソンとアニメの役割は逆だったんじゃないかと。

なお、シャニソンについてはシナリオライターが同一という点を高山さんは強めに推していましたが、今となっては「enzaと並行させているから両者にしわ寄せが来ていたのかもしれないし、逆に内容を共有した上で変えた方が良かったのでは」と思ってしまいました。enza版に関しては該当すると思われる時期のイベコミュに関して逆に内容が複雑になり過ぎず、すっきりして読みやすくなっていたという不思議体験がありましたが……。


デッドロックとシナジーによる解決の可能性

といったように、単一宇宙と実在性というこだわりの世界観を守りつつ、新たなファン層の獲得の布石として打たれるはずだったアニメと音ゲーが、その目標から乖離した形で進んでいる……この現状は単一宇宙が生んだデッドロックだと感じていました、というか今でも感じています。

新規層の取り込みを意識した新しいプラットフォームを用意して触れやすい形にしたところで、6年もストーリーを積み上げてきたアカシックレコードのenza版にストーリー面で優位に立てない。新しい媒体はほんの入り口にはなるかもしれないけれど積み上げるには不十分で、そこを足がかりにenza版に触れてもらうのが一番話が早くなっている。そうして結局振り出しに戻っていると、この1年の展開を見ていて強く感じています。

そんな中テレビ放送が始まり、それに伴ってさまざまな施策が始まりました。その1つにシャニソン内でアニメのサイドストーリーを展開するというものもあります。アニメのサイドストーリーですが、1話は真乃とPの出会いがあるので、結果的に単一宇宙のシャニマスにおいてはenza版の真乃のS.T.E.P.のコミュと繋がってくるものになっています。

こちらがシャニソンのコミュ。メガネかけさせてるのバレるね……。
これがenza版、陸上大会のあと打ち上げに誘われて上手く話せなかった後のモノローグ。
まだ飛べない文鳥に対してのセリフ。他にもかなりの文脈補完がある。

上の通り、必要な部分だけ切り出して短くまとめている……enza版では飛べない鳥とうまく同級生と話せない真乃の対比が繰り広げられますが、そこは真乃がアイドルになる決心をする話としては開示されなくても筋が通ってわかる部分でもあります。もちろんパーソナリティを引き出し、繊細に描くには必要な描写だと思うけれど、そこをバッサリ捨てて帰り際の同級生に声をかけられなかったこと、母親との会話というミニマルな構成で真乃がアイドルを目指す決心をする経緯を描いたのは「サクッと読める」し、核心をついているという点で目標を達成できているように感じられます。

シャニアニ第1章公開中に真乃のS.T.E.P.は出ておらず、公開終了直後に実装されたのを見て「遅すぎ、ちゃんとコンテンツ間で連携して」と思っていましたが、TVアニメ放送のタイミングでシャニソンに実装されたのを見て、本来単一宇宙下でこれをやりたかったんだとシャニソンの存在の良さを(はづきさんがコスプレをする以外で)実感できましたし、アニメとシャニソンのシナジーをはっきり感じられた瞬間でもありました。2つ揃ってやっとしっかりした作品への導入になり、デッドロックの解消につながる予感がするのも変な話ですが、この施策は非常に良いなと思いました。問題はシャニソンのゲーム性の部分がちょっとアレなのが……。

2話のサイドストーリーの摩美々の最後のこのセリフが、アンティーカの唯一のリアリストである田中摩美々を一言で表していて非常に良いです。
大好きなカードの一つ、「【我・思・君・思】幽谷霧子」Ep.1 「みんみん」の最後。自ら暗示をかけることで認知を歪ませ暑さをしのごうとセミの真似をするアンティーカ、といったストーリーのオチをリアリストの摩美々が担当するという。オチの構図まで一緒で面白い。

最後に: 欲望を垂れ流すだけ

最後に欲望という戯言をただ並べるだけをやっておこうかな……。

これだけ欲望じゃないけど、シャニソンのOurSTREAMの生放送を見守るアングルのアーカイブもちゃんと置いてほしい。単純にあの見守っている角度だけというわけじゃなく、裏側の光景もあるのに見逃したら見られないのもったいない。時間も微妙で確実に見逃す(これは私が悪い)。

ストレイライトにもっとAtari Teenage RiotとかTHE MAD CAPSULE MARKETS みたいな曲やってほしい。今の曲たちは絶妙にアニソンっぽいダサさがあるしそれでいいとも思うけど、もうちょっとエッジが利いてもいいんじゃないかとも思っている部分があり。

あとストリートイメージでヒップホップやるなら絶対今のリップじゃないし、曲も期待値を下げていたのにそれでもがっかりしたのでPRオファー vol.3だけ作り直してほしい。サグラッパー起用とは言わないけど、もっとあるじゃんという。

(まさか今になってSEEDAとOKIの一連のdisを実感すると思わなかった、2024年だぞ……)

あとジムシャニをTROYCA制作でアニメにしてほしい、めちゃくちゃ見たい。それとルカとはるきの絡みをいっぱい見たい。面倒見のいいルカと人の気持ちを鋭く捉えるはるきの組み合わせ、最高なので。

あと、マイコレ衣装とだぶるはソロ曲揃ったらもう一回我儘なままやりませんか?雛菜と真乃、三峰と夏葉もファンアートでまだ楽しめているし、もっと他の組み合わせもあのフォーマットで見たいです。

ありがとうございました。

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