谷間

毎日記事を更新するというのは非常にむずかしいもので、世の中に対し言いたいことがあるときはいいのだが、何もないときは本当に困ってしまう。昔から唱えている自論を肉付けしたり、書いていくうちにエピソードを思い出してそちらに転換したりと、本当に毎日思い通りに行かない。

お題を貰えば、書けるかもしれない。

結論として、これは本当に自分を首を絞める。50音という縛りの上に、お題まで載せるのだから。先日投稿した「スーパーヒトシくん」も提供されたお題だったのだが、かなり難儀した。それでも草野仁をリスペクトする気持ちが以前からあったので、とりあえずはなんとかなった。

今回も、読者の一人にお題を聞いてみた。スーパーヒトシくんであんなに辛い思いをしたにも関わらず、なぜ懲りないのかと思う。聞いてからややあって、返信がきた。

「谷間」

目を疑った。谷間ってあの、だっちゅーの的な、イエローキャブ的なやつか。谷間を展開するのは本当に難しい。谷間の世代というタイトルで昔のグラビアアイドルの名前を列挙して終わってやろうかと思ったほどだ。ていうか実際に書いてみた。本当に。

谷間の世代

小池栄子!MEGUMI!佐藤江梨子!

ここまでは書いた。もちろん小池栄子からスタートすると決めていた。次はMEGUMI。このツートップは絶対に外せない。その次に誰を持ってくるかで品性が問われる。

俺が選んだのは、佐藤江梨子だった。

他にもいるだろうに、佐藤江梨子を選んだ。令和4年のいま、誰が佐藤江梨子のことを思うだろうか?

やはり、何度思い返しても佐藤江梨子が出てくる。絶対に佐藤江梨子だ。佐藤江梨子の顔が思い出せないけれど、俺の中での「谷間の黄金世代」は、佐藤江梨子が欠かせなかった。

今、佐藤江梨子は何をしているのか。無性に気になった。当時から顔はあまり好きではなかった。むしろなぜ売れているのか理解できていなかった。小池栄子が聡明で明るくて好きだったし、MEGUMIの独特なテンションも好きだった。佐藤江梨子だけは、本当に不思議だった。

佐藤江梨子といえば市川海老蔵との熱愛で知られる。というか、そのイメージぐらいしかない。海老蔵に振られて病んで書いたブログが当時話題になった。

懐かしさも相まって調べたので、ここに引用したい。

以下、引用。

タイトル「強がり卒業式」

(タイトルの下にサトエリが泣いている写真)

傷ついた日。

心の傷は一瞬、見えない。体がスケルトンよりの私だって、心の傷が付いた時、誰か気付いてっ!と叫ばんばかりに悲しい顔してたって、『ウミガメの産卵フェイス??』とは言われるけれど・・・、なかなか世の中、血が出てないのなら傷ついてるなんて思いやしない。


そうだ。人間誰だって傷ついているんだよ。ギラギラハートだ。ガラスのハートだ。弱くも強くもなるんだハート。よし来た。強がり卒業式。


傷ついて初めて分かる。自分勝手な思い上がりと思い込み。


傷ついたら本当の自分に気付けます。傷ついぶんだけ私は自分を築いてやろうっと思います。


強がり卒業式。

ちゃんちゃん

https://gamp.ameblo.jp/satoeritimes/entry-10026755072.html

(引用終わり)

おわかりいただけたであろうか。

これは、ブログの皮をかぶった「文学」であることを。

佐藤先生は15年前、ブログに文学を連載していた。順を追って解説したい。

「心の傷は一瞬、見えない。体がスケルトンよりの私だって、心の傷が付いた時、誰か気付いてっ!と叫ばんばかりに悲しい顔してたって、『ウミガメの産卵フェイス??』とは言われるけれど・・・、なかなか世の中、血が出てないのなら傷ついてるなんて思いやしない。」

体がスケルトンよりの私ってなに?

悲しい顔の例えがウミガメの産卵?

疑問を持ってはいけない。というか、疑問を持たせることが佐藤先生の技巧である。読者の一人として、翻弄されてはならない。先へ進む。

「そうだ。人間誰だって傷ついているんだよ。ギラギラハートだ。ガラスのハートだ。弱くも強くもなるんだハート。よし来た。強がり卒業式。」

ギザギザハートと言いたかったように見せかけて、ギラギラと燃えるハートだと言っている。そして唐突な「よし来た。」別に何も来ていないし、誰も文章についていけてない。

「強がり卒業式」とは結局なんなのか。今のところわかっているのは、「来た」ということだけだ。

「傷ついたら本当の自分に気付けます。傷ついぶんだけ私は自分を築いてやろうっと思います。」

短い文章で2回も誤字脱字をあえて入れることで、焦燥感を表現。傷つくと築くでうまいこと言おうとしたものの、まったく言えていないのも「隙」を作る高等技術と考えられる。

「強がり卒業式。

ちゃんちゃん。」

強がり卒業式の新たな情報が入ってきた。それは「ちゃんちゃん。」という音で終わるということだ。強がり卒業式は、「来て」、すぐ「終わる」。佐藤先生は人生の儚さを訴えているのではないだろうか。先ほども、ウミガメの産卵を「悲しい」と表現している。人生は儚いから、生まれてくることそのものが悲しみと捉えられると、揶揄しているのではないだろうか。

そう考えるとギラギラハートも説明がつく。人生は儚く、生命の誕生は悲しいもの。しかし、ギラギラと命を燃やして生きる。強がって精一杯生きたあとは、「卒業式」で終わる。よし来たと、ネガティブな死を前向きに迎えようとしている。

15年前、この恐ろしい才能が世の中にバレていたと思うと、ゾッとする。当時佐藤先生のブログはますだおかだのラジオしかイジられてなかった。ますだおかだのラジオは、全世界で俺を含め7人しか聞いてなかったので、騒ぎにならずに済んだ。よかった、平和ボケした豊かな世界で。

よかった、谷間の時間帯に放送されていたラジオで。

ちゃんちゃん。


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