山下望

荒くれインディペンデント批評誌『アラザル』編集部/批評再生塾第3期◼︎https://a…

山下望

荒くれインディペンデント批評誌『アラザル』編集部/批評再生塾第3期◼︎https://arazaru.stores.jp ◼︎ djyamemashita@gmail.com

最近の記事

これまでのアラザレディオ (と『花と雨』の映画化について)

 2019年5月6日に文学フリマ東京で刊行した批評誌『アラザル vol.12』巻末のあとがき部分で“およそ10年間の沈黙を破って「DJ_やめました」のサウンドクラウドを始めました。ミックステープ録音中。”と予告して以来、はや10ヶ月かけて断続的にリリースしてきたストリーミング形態でのミックステープ連作=ARAZARADIOが全6回まで増えていたのでこの辺りで一旦まとめておきます。  ところでなぜ批評誌アラザルで日本語ラップを取り上げる傍で実際にDJ機材を使ってミックステープ

    • 粗悪ビーツ/『川崎ミッドソウル』とLOCUST創刊号/渋革まろんと『This is America』/バッド・ジーニアス

      2018年11月10日(土)  多摩モノレール沿いに山を切り拓いたニュータウンオブニュータウンな風景が広がっている元小学校の校舎、が現在はデジタルハリウッド大学の撮影スタジオとして使われているロケ地で開催中の「CINRA」主催の文化祭に迷い込んだ。  その校舎内で企画されていたのが、「郊外を、生き延びろ。」(Survive in Suburbia.)をテーマにした美術展『SURVIBIA!!』。キュレーターの中島晴矢が司会を務める関連トークイベント『死後の〈郊外〉—混住・

      • 【アラザル10号刊行記念】「日本語ラップ批評のために」言い残したことベスト10

        1. SUSHIBOYS『NIGIRI』  SEEDAも注目する埼玉県出身の謎の3人組のアルバム。日本語でTRAP以降のラップをやるというオーダーをひねってひねって握った結果、おそらく天性の直観的スキルとうまく相乗してサピア=ウォーフ説的な言語学的なあれで新しい何かが生まれてしまっている例。銃社会でもなくドラッグディールのリアリズムの意味も違ってしまう「peace club=平和」の象徴に守られた国で何を題材にすれば良いのかの『WILD FANCY ALLIANCE』以来の

        • 視聴者の仕事は愛? または正義? 『ONE PIECE』とパラパラ漫画⇄映画

          “「ねえねえねえ あのさあ〜〜」 「なんだよタカハシ」 「マ◯セリホの水に飛びこむCMってあったじゃん」 「あったあった」 「その水に女の顔がうつってんだって」 「ウッソー」 「マジマジ ビデオでポーズすると見えるんだって」” --岡崎京子『リバーズ・エッジ』より 1. 岡崎京子が観たゴダールはどれだったのか問題  気がつけば二階堂ふみ主演で映画化された『リバーズ・エッジ』の公開が始まるのが2018年初春、すなわちもうすぐそこまで迫っているという、例えば昨年同様にジョージ

        これまでのアラザレディオ (と『花と雨』の映画化について)

        • 粗悪ビーツ/『川崎ミッドソウル』とLOCUST創刊号/渋革まろんと『This is America』/バッド・ジーニアス

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        • 視聴者の仕事は愛? または正義? 『ONE PIECE』とパラパラ漫画⇄映画

          日本語ラップ学会のお知らせ

           千葉県の市原湖畔美術館で開催中の『ラップ・ミュージアム』展の関連イベント、第1回日本語ラップ学会のお知らせをします。 日時・予約はこちら→ https://ssl.form-mailer.jp/fms/e074734f532870  ちなみにこの登壇のオファーは批評再生塾の第6回の課題テーマ「『10年代の想像力』第一章冒頭を記述せよ」で提出したものを読んだイベント企画者の方から来たのですが、別名:プロレス化するポストインターネットカルチャーのこれは渋革まろんさんから

          日本語ラップ学会のお知らせ

          小説のタクティクス/猿の演劇論・特別編/『動物園』

          劇中でサラエボに核爆弾が落ちたのが大惨事の首謀者ジョン・ポールをよからぬ研究に走らせる転機になってしまう『虐殺器官』のアニメ版は結局まだ観られていないのだが、伊藤計劃が2008年の「ユリイカ」スピルバーグ特集に寄せたエッセイ「侵略する死者たち」(「伊藤計劃記録」に収録)は今読むと末恐ろしく的確にハリウッド映画のイメージの表面に映える「我々を戦争へと衝き動かす呪縛としての死者の帝国」を見通している。 『死者の荒ぶる魂は、我々の、生者の世界を憎しみへと駆り立てる。 恐ろ

          小説のタクティクス/猿の演劇論・特別編/『動物園』

          お知らせ

          このド素人が暗中模索の執念で掘り下げたポストドラマ演劇まとめが「Part1」と「Part2」の合わせて約3万字弱あってもいったいどこに需要があるのだろうかという不安は拭えませんが、岡田利規の戯曲を綾門優季が演出した作品を論じるにあたって一応ブレヒトとベケット(別役実)とアルトーを経由しています。 キュイ/チェルフィッチュの「現在地」を糸口にして他の各劇団にとっても関わってくる諸問題であるはずなので、「目に見えない亀裂」の演劇化=スペクタクルなきテロルという概念がどのような

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          ジョン・カサヴェテスについて

          (初出:映画の呪い日記 2007年) 1. カメラと戦った男   ジョン・カサヴェテスは、ニューヨークで最も早い時期にニュー・アメリカン・シネマ(撮影所の外で撮られたインディペンデント・フィルム)を撮った俳優・映画作家であり、その作品の特徴は「即興」である。1958年に完成した初監督作、「アメリカの影」の最後に誇らしげに掲げられた宣言、「この作品は即興的演出(インプロヴィゼーション)によって完成されたものである」は、有名である。ハリウッドの商業映画に俳優として出演しながら

          ジョン・カサヴェテスについて

          お布団『アンティゴネアノニマス - フェノメノン/善き人の戦争』

           2017年1月25日にシアターバビロンの流れのほとりで観たお布団『アンティゴネアノニマス - フェノメノン/善き人の戦争』。  ギリシャ悲劇を元にしてブレヒトが再解釈を加えた戯曲の上演なのに、序盤の登場人物のチュートリアルの部分を観ていて最近ライトノベルや漫画雑誌で異常に流行っている「異世界ファンタジー転生」ごっこ感が払拭されなかったらどうしようと思ったけど、 (これは単純にキャスティングの問題だと思いますが、同学年/同世代ばかりの学校の教室の中みたいな俳優の並びの「生

          お布団『アンティゴネアノニマス - フェノメノン/善き人の戦争』

          水素74%『荒野の家』『コンタクト』『外道の絆』/万田邦敏『イヌミチ』

          2014年2月16日(日)  今日はアゴラ劇場で水素74%の『荒野の家』を観た。あらすじは形骸化してゾンビ化した『成熟と喪失―母の崩壊』(江藤淳)というか、家を守る「治者の不幸な役割」とニート息子の逆ギレが対決する。ある一家の抱える「DVあるある」「過保護な母親あるある」でこじれた問題の提示が始まったのが、「過剰な愛」によって支えられたシニカルな現状肯定(こう育てちゃったのでもうしょうがない)でしか家の中が見えなくなっている登場人物がしきりに台詞で言う、「自分でも不気味でわ

          水素74%『荒野の家』『コンタクト』『外道の絆』/万田邦敏『イヌミチ』

          深田晃司『淵に立つ』

          2016年11月3日(木)    今週の横浜シネマジャック&ベティは深田晃司監督『淵に立つ』を観た。糸が切れたのになかなか沈まない凧のような際々なバランスで何の変哲もない平和な私鉄沿線の住宅街の一角に引っかかっているハードコア擬日常家族の行く末の転変を描く。線路と河岸が交差する近所の高架下の曲がり角の道で母親役の筒井真理子が信仰している神の信心の話題が出てからのテオレマ的展開がぼんやりとした予測を裏切られる鋭利な角度だった。   劇中時間内のライブで家が崩壊していく石井聰亙

          深田晃司『淵に立つ』

          東京デスロック『セレモニー』『シンポジウム』

          『どこにもない どこにも似ない 脈絡が無い わけでも無い 筋書きが無い わけでも無い ここでしかない どこでもない/どこにもない どこにも似ない このリアクション 脈絡が無いわけでも無い このリアクション 』(電気グルーヴ「レアクティオーン」) 2014年7月10日(木)  ずぶ濡れの台風の中這ってSTスポットに辿りついて観れた東京デスロックの『セレモニー』は、このシリーズは2012年の『モラトリアム』から見始めた俺ですが、世相が切羽詰まっているのと拮抗せざるをえないから

          東京デスロック『セレモニー』『シンポジウム』

          中野成樹+大谷能生『長短調』/『みずうみのかもめ』

          2010年10月某日  池袋あうるすぽっとであった誤意訳・演出:中野成樹の公演『長短調(または眺め身近め)』から帰ってきた。  あうるすぽっとの「チェーホフ生誕150周年記念フェスティバル」の企画であるこの舞台は、チケットの種類が「眺め」席と「身近め」席の2種類があって、よくわからないままステージ内に隔離されて新人ラップグループ、その名も〈みずうみ〉の熱演に直面する(というか「ライブを見に来た客」として演劇の一部に組み込まれる)「身近め」席を選んだんだけど、当日になっ

          中野成樹+大谷能生『長短調』/『みずうみのかもめ』

          俳優の「仕事」とは何か? 山縣太一×大谷能生『海底で履く靴には紐が無い』/入江陽

          2015年6月10日(水)  水曜日に横浜STスポットで観た主演・大谷能生、作/演出/振付・山縣太一のパフォーマンス公演『海底で履く靴には紐が無い』。  出演者によるアフタートークで今回は「舞台で表現を立ち上げる人(体)がいちばんすごいんじゃない?」という動機から始まっているので物語はどうでもいいものにしたかった、と言っていたが「身体より脱力した台詞」がありうるとしたら逆にすごいのではないか。  主にダジャレ寄りで、台詞の語尾まで来るとそこから細切れに連想が飛んでいく戯

          俳優の「仕事」とは何か? 山縣太一×大谷能生『海底で履く靴には紐が無い』/入江陽

          時間を与えるもの(ツァイトゲーバー)

          2012年9月6日(木)  東京国立近代美術館で開催されている連続パフォーマンスイベント「14の夕べ」が無料だというので村川拓也の作品『ツァイトゲーバー』を観に行ってきたのですが簡単に感想を整理しておきたい。まず演出家によって説明されるのは観客参加型の演劇だということで、介護士役と彼に介護される役の2人の登場人物のうちの瞼の瞬き以外では意思疎通ができない全身不随の障碍者である「藤井さん」はそこで希望者を募って挙手した人が客席から舞台に上がってその役をやらされるという趣向にな

          時間を与えるもの(ツァイトゲーバー)

          Doosan Art Center+東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『カルメギ』

           2014年11月にKAATこと神奈川芸術劇場で上演されたソン・ギウン 作、多田淳之介 演出の『가모메 カルメギ』を観たのですが、まさに今東京都民が置かれている状況と半分ぐらい重なる舞台設定としては、そのトラブル続きでゴタゴタと準備しているあいだに日中戦争が起きてしまったがために、かつて実際に1940年に予定されていた東京オリンピックの開催権を返上することになる未来に向かっていく話だったのか。  真ん中に空洞が開いているアーチ状の立体構造を挟んで客席が分かれていて、その両面

          Doosan Art Center+東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『カルメギ』