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「御手の中で」〜とある老司祭の生涯‥15

〈2011年3月の終わり、西日本のとある市で一人“孤独死”を遂げていた実在した老司祭が書き残していた回顧録を基に、イメージを膨らませたフィクション。15回目のきょうは引き続き、不思議な縁で、東日本大震災の直後と思われる東北の被災地で出会った司祭と一人の女性、一人の青年が、女性のいなくなった娘をなんとか3人で探し出す場面が続きます。カトリックでは神父(司祭も同義語です)が結婚することは許されていません。神父になるという道を選んだ瞬間、結婚し、子どもを持ち‥という生活を送る選択肢はなくなります。神父もいいけれど、やっぱり結婚もしてみたかった‥そんな正直な気持ちを持つ神父がいても不思議ではないのじゃないかなあ。。そんな思いも今回は、司祭の回想シーンの中に入れてみました〉

子どもという存在。それも、自分の子どもという存在を私は実感することなく一生を終えた。もし私に子どもがいれば、そして孫の一人でもいれば、どれだけ愛おしく、この身を捧げてもいい、と思えたことだろう。

子どもが大好きだ。小さくてぷくぷくとした手足、そよそよと風になびく柔らかい髪の毛、うっすらと赤いほっぺた。ベルギーにいた若い頃から子ども好きだったが、この日本に来てから、ますます愛するようになった。

日本では珍しいカトリック教徒の家に生まれ、まだ生まれたばっかりなのに、上品な真っ白い服を着せられて、洗礼式の間もすやすやと眠っている赤ちゃん。少し大きくなって、ミサの間中、最初はいちばん後ろに母親と一緒に座っているのに、いつのまにかハイハイをして祭壇まで来ていて、気を付けていたはずなのに目を離してしまった母親はおろおろし、それを見た信徒たちがくすくす笑う中、そっとその子を抱き上げて説教を続けたこともあった。楽しいミサだった。司祭になり、生まれ育った国を遠く離れてこの日本の辺境の地に来たことを心から幸せに感じた。

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