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「沈黙」秘話

今年1月、巨匠スコセッシ監督によって映画化された「沈黙 -サイレンス-」が封切りになったのをきっかけに、原作者である芥川賞作家、遠藤周作の少年の日を辿ったレポートを以前、noteにも投稿したのですが、つい最近、その遠藤の一人息子である遠藤龍之介氏の講演を聴きに行く機会があり、貴重な秘話を聴くことができましたので、ここに紹介したいと思います。

講演の前半は、狐狸庵先生としても親しまれ、部類のいたずら好きだった遠藤の、父親としての一面のお話。龍之介氏自身もその血をしっかり受け継いでいて、いたずら好きかどうかはわかりませんが、父親に負けず劣らずユーモア精神に溢れた優しい方であるのを感じました。

↑↑ここで写真。講演のあった、おなじみ(わたしにとって、おなじみなだけですかね(^_^;))、四谷、イグナチオ教会の主聖堂の、蓮の葉を象っているという天井です。

さて、本題の「沈黙」の映画化についてですが、さすがに作者の息子さんだけあって初めて聞くお話ばかりでした‼︎

スコセッシ監督が「沈黙」の映画化に多大な歳月を費やしたというのはよく知られているところですが、龍之介氏によると、自分なりに沈黙を映画化したいと考えたスコセッシ監督は、なんと29年前、当時、まだお元気でちょうどニューヨークに来ていた遠藤周作にその思いを伝えるために会い、2人はすぐさま意気投合し、遠藤は、その晩のうちに、原作権をスコセッシ監督に譲渡することを決めたというのです。

しかしながら日の目をみるには28年もかかったわけで‥‥。この間、龍之介氏は、その理由に関して「製作費が集まらない」とか「島国日本の宗教の話の映画なんて当たるわけないとプロデューサーたちが反対している」とか、数え切れないほどのネガティヴな情報を聞き、本当に大丈夫なのか、とハラハラしたといいます。でも、それを聞いて私が思ったのは、そのことで誰より気を揉んでいたのは、鬼籍に入った遠藤周作自身でなかっただろうか、ということ。自分が会った、あのスコセッシ監督ならいつかきっと長年の構想を形にできると信じ、気長に気長に待ちつつも、ここはひとつ、天国から応援してやらないとな‥とでも思っていたかもしれません。

そしてとうとう映画は完成へ。昨秋来日したスコセッシ監督は、ある夜、秘書を通じて、突然、龍之介氏に電話をかけて、最終の編集前の3時間あるフィルム(完成版は2時間45分)を持って来ているから、明日のお昼、それを見て感想を伝えてくれないか、と言ってきたのだそう。断る理由もなかった龍之介氏は、翌日、K川書店の試写室で、日本語字幕も入っていない「沈黙ーサイレンスー」を一人、鑑賞したといいます。しかも、鑑賞中にまた連絡があって、監督はもうすぐにプライベートジェットでアメリカに帰るので、観終わったらすぐにRカールトンのスイートルームにいる監督のところを訪れてほしい、監督が直接感想を聞きたがっているから、と言われます。
緊張しながら、監督の前に立った龍之介氏。外国でつくられた日本の時代映画なのにそれを感じさせない時代考証の確かさ、17世紀の長崎の漁村の雲が低く垂れ込めた空の描写や、ぎりぎりまで抑制された効果音の素晴らしさ‥など、感じたことをそのまま、一生懸命に監督に伝えたそうなのですが。その詳細はさておき、わたしは、龍之介氏が、その時、29年前にスコセッシ監督と遠藤がなぜすぐに意気投合したのかがわかり、監督と話しているうちに「父親と話しているような錯覚に陥って、神さまのお導きのようなものを感じた」としみじみと言われていたのがいちばん心に残りました。

原作に忠実な、「沈黙ーサイレンスー」ですが、ただ一点、原作と違う箇所があります。それは、布教の夢を描いて苦難を覚悟で命がけで来日したものの、禁教下で地獄以外の何物でもない激しい弾圧を受け、何よりも信徒たちの苦しみに耐え切れず踏み絵を踏まざるを得なかった宣教師ロドリコが、その一生を“日本人”として終え、棺桶に埋葬されるシーン。映画の中でロドリコはその手に粗末なクロスを持っていました。つまり、スコセッシ監督は、ここで、踏み絵は踏んだけれども、棄教をしたのではなかった、ということをはっきりと暗示し、物語にはっきりとした結末をつけたのです。それに関して、龍之介氏は、「たぶん父は拍手したんじゃないかなあ」と言われていました。

スコセッシ監督といえば、代表作「タクシードライバー」(ごめんなさい。わたしまだ観れていません;;)のように、「どこか反社会的で、世の中に歓迎されないもの、現実社会との確執を描いている」と龍之介氏。その作風には、父である遠藤周作から教えられた「世の中に絶対的な悪、そして絶対的な善は存在しない。だから短絡的に善と悪を考える人間になるな」という言葉、そして「強くあることが文明を維持することではない。弱くて社会からはじき出された者をこそわたしは描きたい」という遠藤文学の根底にあるものと非常に似通ったものを感じ、だからこそ、2時間もに及んだという面談の間、「父親と話しているような錯覚」に陥ったのだと思います。

↑↑会場は、平日の夜にもかかわらず、いつものミサと同じくらい(イグナチオのミサに来る信徒の数はたぶん日本の教会でいちばん多いと言ってもいいのです)いっぱいでした。

龍之介氏が父、遠藤から教えられたことの一つとして、「ユーモアが人の心の哀しみを和らげてくれる」を挙げておられたのも印象的‥‥。
※「沈黙」の原題が「ひなたの匂い」だったというのにはトリビア的な驚き‥。

しかしながら、四半世紀以上もにわたり一つの作品を追い掛ける、巨匠スコセッシ監督だからこそできたことといえ、奇跡に近い情熱を間近で感じた方の話に感動した夜でした。

↑↑帰りに四谷の交差点から見て思わず撮りに近くまで行ったイグナチオの端っこにあるステンドグラス☆☆☆

今回、2週間ほど上京していたのですが、この講演もしかり、会える人に会い、観ること、聴くことのできるところに足を運べることの幸せを感じた日々でした。
出会った人に感謝。明日、高知に向けて帰ります。
#沈黙 #遠藤周作 #スコセッシ監督 #イグナチオ教会

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