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みんな「一緒」の弊害

高校時代で、もう一つ

自分の内面について変わったこと。

それは、私は社会の中で生きている

ということを、強く”意識すること”でした。

本来の私は、自由奔放でマイペース。

一匹狼でいることが心地よく

何者にも縛られず、ふわふわしていたい。笑

でも、それではこの社会では

生きていくのが難しい、いや

苦労するということが分かったのです。

本当は心の赴くまま

したいことを、したい時にしたい。

でも、それだと周りとうまく協調できず

また社会から孤立してしまう。

だから、周囲の雰囲気や

周りの人の顔色を常に窺って

相手に不快感を与えないように行動する。

最初は堅苦しかったけれど

人から露骨に嫌われることが減り

だんだんと気持ちが楽になりました。

ただ、一つ問題も。

周りに同調、同化するようになったために

「私」が何をしたいのか

「私」が何を思っているのか

を発言することが怖くなり、その結果

自分の本音、本心が分からなくなってしまったのです。

これは、私だけの問題ではありません。

日本では、この「自分の本心が分からない」

と悩む中高生が、本当に多いと感じています。

私は、新卒で入社した会社で

高校生を前にキャリア講演をしていました。

キャリア講演とは

大学選びのその先にある

働くということを見越した

進路選択の重要性を説くものです。

偏差値や大学名で進路を決めるのではなく

自分が本当にやりたいこと、本心に従った

進路選択を促すことが役目でした。

その講演が終わると、決まって

数人の生徒に、こう問われました。

「やりたいことが分かりません」

「やりたいことがありません」

「とにかく、安定した職に就きたいです」

「どうしたら、夢に出会えますか?」

私には、中高生当時

途上国開発・支援に携わりたい

という夢がありました。

これは、私が小学生の時に持った夢です。

しかし、もしも私が小学生で

自分の夢に出会えていなかったら。

中高生時代の多感な時期に

「普通であること」「同じであること」

を求められた環境で、本心からの

夢を、やりたいことを

見つけられただろうか。

そう考えると、自信がありませんでした。

日本社会では

「普通であること」「同じであること」

「平均的出ること」「協調的であること」

が求められ

それに沿った教育がなされます。

それを受け続けた私たちは、いつの間にか

自分を見失ってしまうのです。

しかし、海外にいると

「あなたの意見は?」とよく聞かれます。

でも、私を含めて

この問いに真っすぐに答えられる日本人が

驚くほど少ないのが現状です。

たまに、真っすぐな意見を言う人がいますが

海外留学者、帰国子女の方に多いと感じています。

小学生くらいまでの私たちは

自分の本心に正直に生きていたと思います。

しかし日本には、出る杭は打たれる

ということわざがあるように

突出した個性や考え方は

社会が求める平均に矯正されていきます。

そうされていくうちに

出ても意味がない、出ても傷つくだけ

と学んでいくのです。

本当に、このままでいいのか。

このままでは、いつまでたっても

私たちは自分の本質を生きられないのではないか

と、とても危機感を持っています。

しかし、いつまでも不安だ、心配だ

と言っていても仕方がありません。

何も変わりません。変えられません。

だから私は、まずは身近な人の個性に

「とっても素敵ですね!」

と声をかけるところから始めます。

個性を認め、伸ばし合える社会になるよう

自分が変わっていきたいと思います。

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