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人に教えるということ

苦手なことでも

やってみるものだ。


私は昔から

人に教える、という行為が苦手だ。

何かの事象を、こうだ!として

あたかも、それしかないとでも言うように

肯定的に伝えることが苦手だからだ。


その回答が本当に合っているのか

自信が無いのだ。

うーん、違うな。

自信がないわけではない。


自信がないと言うよりも

答えなんて一つじゃないし

答えなんて時間が経てば変わるし

答えなんて環境によっても変わるし。

変わりゆくものを、こうだ!として

強制的に1点に向かわせることに

抵抗があるのだ。


まとめると

1つの答えしかないとして

教え、伝えることに違和感があるのだ。


答えなんて

人それぞれだし、いくつもあるし

みんな違って、みんないいんじゃない?

そう思っているがゆえに

これだ!こうなんだ!と

押し付ける、決めつける

という行為が、苦手なんだと思う。


この話をすると

考えすぎだと、良く言われる。

そうなんだろう。

確かに、そんなこと考えていると

講師業、教師業なんてないし

出来なくなるだろう。


高校時代、仲の良い先生がいた。

彼は、しきりに

あなたは教師が向いている

と言った。

これは、大学生になっても

社会人になっても

言われ続けてきたことだ。


教師にならなくても

誰かに何かを教える仕事が向いているよ。

教える才能があるよ。

そう言われたけど、私には響かなかった。


そんなことないです。

教えること、苦手なんです。

いつも、そう答えては避けてきた。


そんな私にも

遂に、その時が来た。


そりゃそうだ。

歳を重ねる毎に

”先輩”という立場に押し上げられ

教える立場になっていく。


今回、新しく入社してくれた

後輩の教育係を任された。

ここだけの話、最初はとっても嫌だった。笑

苦手意識が邪魔をして、すごく緊張した。


でも、やってみるものだ。

やってみると、楽しかったのだ。


別に、答えは1つだ

なんて教え方をしなくてもいい。

自分は、教えるという行為に対する考え方が

凝り固まっていたのだと気付いた。


答えが1つでないように

教え方も1つではないのだ。

そんな当たり前のことに気付かされた。


一緒に学べばいい。

同じ目線で考えればいい。

それも、教えるという行為に

繋がっていくのだ。


高圧的、強制的に

1つの回答に向かわせる。

1つの回答を正しいものと認識させる。

そんなことだけが教えることではない。

教育ではない。


同じ方向を向いて、共に成長する。

伴走者としての教え方を

実践していきたいと思っている。


将来は

教えるということを

仕事にするのも良いかもしれない。

そんなことを思えるようになってきた。


あんなに嫌だったのに。

不思議である。

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