NPOでのインターン②~カンボジア~

途上国開発・支援に携わるという夢に

一歩近づける機会が、訪れていました。


まずは

依頼主であるNPO法人が運営する

貧困家庭の子ども達を預かるほか

彼らに日本語教育を提供している施設

を訪問しました。

それは、シェムリアップ市街地から離れた

貧しい農村の中にありました。


そこには、幼い子ども達が暮らしていました。

勉強のために、通ってきている子もいます。

年頃は、幼稚園から小学生。

みんな楽しそうに走り回っていました。

ここで、10年。

私には、できるのだろうか。

施設責任者の日本人女性の話を聞きながら

無邪気な子ども達に遊んでもらいながら

私は、そんなことを考えていました。


今回の目的は、この施設ではありません。

この施設を卒業した子供たちの

後追い調査です。

後ろ髪を引かれる思いで施設を後にし

男女4人ほどの卒業者、そして

その家族に会うため、農村を回りました。


移動手段は、バイク、車、ボート。

村と村との距離が遠く

一日で回れる村の数は、2つが精一杯。

水上の村で暮らしている人もいて

現地の様々な村の暮らしを

見て回ることも出来ました。


私は、この時会った卒業生の中で

1人の男性と、1人の女性が

印象に残っています。


30代前半ほどの男性は

施設の日本語教育を修了後

シェムリアップ市街地で

お土産物店を経営していました。

元々は貧しい農村出身の彼は

施設に通わなければ、今頃

村で農業をしながら生活をしていて

貧困から抜け出せなかっただろう

と話してくれました。

当時、すでに結婚していて子どももおり

質素ながらも幸せな家庭を築いていました。


10代の女性は、施設を卒業したばかり。

まだ、あどけなさが残る彼女は

出身地である農村に帰っていました。

話を聞くと、この後、日本に行くとのこと。

施設での日本語教育を熱心に受けた彼女は

その功績が法人に認められ

日本での研修機会を得ていたのでした。

人見知りで照屋さんな彼女は

一緒に聞き取り調査に応じてくれた両親に

施設に通わせてくれたことに

感謝の気持ちを伝えていました。


私が会った卒業生たちは

きっと、施設卒業者として優秀な人たち

好例と言えるでしょう。

施設に通い始めても、家庭の事情で

農村に呼び戻されてしまう子たちも

少なくないとのことでした。


貧しい家庭では、子ども達は

貴重な労働力になります。

未来という見られない、触れない

ものに投資をするくらいなら

今のカツカツな生活にプラスになる方が

親にとっては大切なのです。

施設担当者の日本人女性にとっては

子ども達のケアはもちろんのこと

この、親への対応も重要な仕事でした。

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