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大人になる、ということ

中学1年生の時でした。

朝学校に行くと、急に孤立するようになりました。


今だと分かるのですが、当時の私は

周りから見ると気に入らない存在だったのだと思います。

飄々と生きていて、掴みどころがない。

へらへらしていて、悩みがなさそう。

人に構わず、マイペース。

思春期特有の、大人と子どものハザマで

必死に生きている同級生からすると

憎かったのだと思います。


イジメとは不思議なもので

対象者はぐるぐると変わっていきます。

今日、一緒にイジメられていた子が

明日になると今度はイジメてくる。

私は人をイジメる意味も理由もなく

常にイジメられる側に居て

順繰りに回ってくるイジメられっ子を

受け入れては見送ってを繰り返していました。


そんな中でも、不思議なことに

私はイジメっ子を嫌いになれませんでした。

終わりの見えないトンネルを歩く中で

私の心は想像以上に疲弊していて

眠ろうと目を閉じても瞼の裏に幻覚が見えたり

口の中はクレヨンを食べたような味と触感がしたり。

散々でしたが、それでも嫌いにはならなかった。


それは、イジメという行為が、彼女たちからの

精一杯のSOSに感じていたからでした。

誰かから愛や承認を求めていることが

痛いほど分かったからでした。


みんな、イジメたくてイジメているのではない。

イジメっ子と一対一で話をする中で

みんな本当は愛が欲しい、居場所が欲しい

ただただ寂しいのだということが分かって

私は、心底いたたまれなくなりました。

この世界では

愛が足りなくて、寂しくて

人を傷つけてしまうことがあるんだ。

そう、学びました。


大人でも、彼女たちの心の闇を救えない。

なんなら、大人が彼女たちの闇を作っている。

ただ、歳を重ねるだけでは

私が考える大人=成熟した人間にはなれない。

じゃあ、私はどう生きていくのか

そんなことを真剣に考えました。


今でも、大きな決断をする時には

どう生きたいのか、どんな人間で在りたいのか

この問いを自分に問い続けています。

辛い経験は心に残るものです。

これを「引きずる」と受け止めるのではなく

自分の意志で心に「引き留めている」と捉えること。

大切な自分にとっての軸、教えだと解釈することで

辛い記憶も、かけがえのない記憶となり

より人生を豊かにしていけるのだと思っています。

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