海外就職という道②

周りにいた女性経営者の一言で

海外就職、という

新たな道を模索し始めた私。


この女性経営者との繋がりは

新聞記者という仕事柄

仕事繋がりだと思われがちですが

実は、そうではありません。


私は、新聞記者の仕事が

面白くなればなるほどに

プライベートでも

自分の会社を経営している人

自分の仕事を愛している人

自分の仕事に誇りを持っている人

もしくは、私のように

そんな仕事に巡り合いたい人

今を一生懸命に生きている人

何かに挑戦している人

に、会いたい

と思うようになっていました。


そこで、プライベートでも

そういった方々が集まりそうな会に行き

積極的に関わるように心がけていました。


名古屋での新聞記者時代。

それは、私が社会人になって

一番孤独を味わった、辛い時代でした。

でも、今思い返せば

一生懸命もがいたお陰で

自分とトコトン向き合った時代

新しい価値観を取り入れた時代

もっと自由に生きようとした時代

にもなりました。


ここで出会ってくださった

人生の先輩であり友人には

心から感謝しています。

私の人生を、心を、生き方を

自由で豊かにしてくれました。


海外就職も

この時期、このタイミング

だったから叶ったのだと

今ならよーくわかります。


当時、タイミングよく

今でも仲良くしていただいている

女性経営者と、そのパートナーが

英会話教室の経営をスタートされたのです。

私はその教室の第一期生として

通わせていただけることになりました。


しかも

そこのアメリカ人講師と

マンツーマンで

就職対策をさせていただけることに。

それも、破格のお値段でした。

彼女は、私の背中を押し

最大限のバックアップを

してくれていたのでした。


2~3日に1回は

カフェでマンツーマン授業を受け

週に1~2回は

教室でグループ授業を受ける日々が始まりました。

その頃、ちょうどある国の会社で

編集職の求人を見つけました。

その国は、私の憧れていた大好きな場所。

そして、編集職だと

今の新聞記者の経験も生かせるはず。

書類選考を通していただけた私は

その会社を第一志望に据え

仕事と並行して、次に待ち構える

英語の試験、面接対策に励みました。


迎えた一回目の面接は、ズタボロ。笑

ローカルスタッフとの英語面談では

彼女が言っていることが

さっぱり分からなかったのです。

彼女の質問が分からなければ

答えようもありません。

ああ、終わった。。。

そう、思いました。

しかし、先方の社長は

私にもう一度チャンスをくれたのです。

たしか、2週間後だったと思います。

もう一度、同じローカルスタッフとの

面談日を設定してくれたのでした。


そこからは、毎日英語漬けでした。

付け焼き刃感は否めませんでしたが

そんなことも言ってられません。

頂けたチャンスに

精一杯の準備と努力で挑むべく

一日一日を必死に過ごしました。

英会話教室の先生のサポートのお陰で

私は先方がくれた”追試”を

なんとか、ギリギリで潜り抜け

海外就職の切符を手にしたのでした。


行先は、シンガポールでした。

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