自己のプレゼンテーション

人は生きている以上どこまでいっても自我の問題がつきまとっている。自分が何者であるのかということを常に確認するのは、人間だけが持つ生存欲求の一つかもしれない。
情報化社会ではそれが尚更強まる。自分の存在は情報となり、その情報は人々のまなざしにさらされる。それは常に誰かとの比較の中で優劣が決められていくのだ。
そうやって外からのまなざしへの反応の方が自分の中で強まるとどうなるか。己の観察を怠ることになり、自分のまなざしで自分を見なくなる。その果てに他者にとって自分がどのように見えるのかを編集するようになるのだ。SNSというツールはその編集に最適だ。

我々は概ね二つのパターンで自我の欲求を満たそうとする。一つは”ポジティブな自己編集”。もう一つは”ネガティブな他者批判”である。ポジティブな自己編集とは「自分はこれだけ恵まれて充実している。」ということや、「自分はこれだけ正しく美しい存在である」ということを前に出して他者のまなざしをデザインすることだ。
もう一つのネガティブな他者批判は自分のことではなく、誰かのことを叩いたり辱めたり見下したりすることで、己の正しさや利口さを前に出そうとする。

どちらもモチベーションは同根だ。己が他者よりも優れていることのプレゼンテーションである。他者のまなざしに映る自分をデザインしようとする態度だ。立派な社会正義を唱えていてもそのモチベーションの深部には自我の問題が横たわっている。むしろ声高に正義を唱え他者の共感を得られることで、己と向き合うことがどんどん遠ざかる。そうやって外から己を正当化する事で、自我の問題に我々は普段は目を向けないようにしているのだ。自分の醜い欲望や怒りなど出来るだけ見たくないのである。

自分にまなざしを向けないでいると自分を発見できなくなる。他者のまなざしを借りた自分が自分になる。他者のまなざしは自分を映し出す鏡だ。そしてその「鏡に映る自分」が素晴らしく見えれば、実際の自分を素晴らしくする努力を怠るようになる。
もしその鏡が素晴らしい自分を映し出さなければ、我々はその鏡を見ないようになる。自分を素晴らしく映し出す鏡しか目に入らなくなる。そしてその素晴らしく映してくれる鏡を増やそうと心を砕くようになる。
今の情報化社会はそうやって自我同士が戦う場となる。比較も容易になり、自分を素晴らしく演出することも簡単になる。そして逆に素晴らしく映し出す鏡の数が増えれば自分も素晴らしくなったと勘違いする。
80年代から90年代にかけては、その自分を映し出す鏡とはモノだった。ブランド品や高級車などが自分をプレゼンテーションしていたのだ。今でもそうしたバブルの残り香は依然としてあるが、それはより精神的な自己情報に変わってきている。情報によってプレゼンテーションされた自分の存在が重要になるのだ。

そうやって美しくプレゼンテーションされたそれぞれの情報が溢れると、また次の問題が生まれる。それは選択肢が多くなったように見えることである。言い換えると逃げ道が多くなるとも言える。今目の前にある状況に目を向けるのではなく、今ここにない理想の状態を求めるようなるのだ。理想の状態とは、自我が傷つかないようになること、そして出来るだけ自分を素晴らしい存在であると自分で確認出来ることだ。それを証明してくれる鏡を探して逃げ道を歩むことになる。そうやって軽やかにかわし続ける方が今の社会では生きやすいのかもしれない。
この自我の逃げ道の問題は離婚が増える理由と無関係ではない。それぞれ自我の違う二人が一緒に居ると必ずぶつかる。その時に自分の自我を見つめるのではなく、相手の自我ばかり見つめてしまうことになる。そこに情報の多さが加わると、他に自分と相性の良い人がいるのではないかという別の道を探し始める。そうなると一緒には居る必然性はなくなる。
もちろん職場の問題、コミュニティの問題などモチベーションの根元は一つである。全ては自我の問題だ。この自我という最大の問題を外して場当たり的な解決をはかっても、必ずどこかでまた歪みが生まれるだろう。
しかし今の文明と社会の中でそれを解決するのはそう容易なことではない。我々の根底に無意識に設定されている自我の問題は、外の情報に目を奪われて見なくなるほど大きくなる。どこまで行っても人間の自我の問題は解決しない。それどころかどんどんと自我が問題になっている。己が何者かを問いかける態度は人が生きる上で大切だ。しかしそれは外のまなざしが決めるものではないし、本来は自分の意思で決めるものではないのだろう。そこを間違えると何をやっても間違えることになりそうだ。人のまなざしの前によりよく自分をプレゼンテーションすることよりも、誰も見ていなくてもより良く生きることの方が重要な課題であることは間違いないのだが、それがれ最も難しいことだ。

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