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「新しい時代」(2019年5月)

●5月1日/1st, May
せっかく令和にマネジメントの授業をするので、「見えない技術の時代を見るまなざし」の話をしたい。この10年のSNS、AI、ビッグデータ、ブロックチェーンなどの見えないテクノロジーの進化が、今の社会にどのような影響をもたらしているのかを、授業のどこかで取り上げてみようと思う。
こうした技術は我々が考えている以上に、とんでもなく大きな影響力を持ち始めている。
それを踏まえてこの先の社会はどうなっていくのか、どんな風景を見ることになるのかを考えてみたい。
シンギュラリティやテクノユートピアの話だけでなく、フィンテックなどの金融や経済の問題、ファシズムやポピュリズムとどう結びつくのかという政治の問題、戦争のあり方がどう変わるのかという軍事の問題、また技術の影響で産業がどう変わり、それが我々の生活に何をもたらすのかなど、幅広く考えてみたい。
しかしおそらく学部の学生はついてこれないだろうから、社会人のセミナー向けに取っておくのもありかと悩むところ...
In the Japanese new era “Reiwa”, I want to talk about "the perspective in the era of invisible technologies" which our society influenced by technologies of SNS, AI, Big data and Block chain in the part of my management class.
These technologies give huge impact to our society from now.
So based on this issue, I try to discuss about what’s goin on and about what kind of landscape we will see.
It is not only about singularity or techno utopia, but also about the topic of economy and finance related to Fintech, about the issue of politics related to fascism or populism, about the issue mom military, and the issue of industries related to our daily life.
However, almost under graduate students may not understand this issue, so I should talk in the class of master course…

●5月7日/7th,May
このゴールデンウィークは、瞑想と調査を兼ねてスリランカの僧侶達と過ごす。外から見てもわからないかもしれないが、自分の中では一歩ずつ核心の教えに近づいて行っている感覚がある。
先月の恐ろしいテロの影響で、スリランカではウェーサーカ祭が行えなかったそうだ。仏教徒はイスラムや他の人々と何百年もうまくやってきていたのに、本当に悲しい出来事だと思う。
しかし決して怒りを連鎖させることはしてはならない。
I had spend the time with priest of Theravada from Sri Lanka for meditation and research last week. I am feeling with approaching the core of wisdom step by step, however it may not be understandable from outside.
Because of awful terrorism last month, so they couldn’t have Vesak festival in Sri Lanka.
This incident is really sad, although Buddhists also have been getting along with other Muslims for hundreds of years. However it must not be to chain up anger.

●5月12日-01/12th,May
「民主主義イコール多数決ではない」と述べる哲学者マルクス・ガブリエルの捉え方のメモ。
「民主主義は単なる情報を処理する仕組みにすぎない。つまり基本的に、官僚制度の一種であるということ。文書があり、その文書の存在を記録するための文書がある。そして官僚は、つまり政権は、どこにどの文書があるかわかっている人たちだ。法律制度は、さらに文書を構成する機能だよね?
良いにせよ悪いにせよ、民主主義はそうした判断からは無関係に、ただ積み重なった情報の層にすぎない。そして民主政治は、法律のルールに拠るところが大きい。つまり、これらの文書を扱うルールや社会的な取引は、法律によって支配されている。人によって、ではない。このレベルでは、民主主義は民衆のものではない。そして、民衆のものであり得るはずがない。なぜなら、法律のルールこそが、人々の行動を形づくるからだ。」
「民主主義的な官僚制度は、選択的で人々が決めることができないという意味においては、民主的ではない。
人々は、社会の仕組みを法律の支配下に置きたいと決めた。ただ、法律は、それ以外には人々とは何ら関係がない。それが民主主義の一つの層だ。
しかし、これだけではない。民主主義にはもう一つの層がある。価値制度、価値の体系だ。」
「「自由」「平等」「連帯」、この三つが基本的な考え方だ。僕らは自分で自分を支配するエージェントなんだ。確かに官僚制度や法律のルールという意味では法律の支配下にあるわけだけれども、僕らの行動を支配する様式の支配下に自身を置く誰も、僕らを支配することは、できない。ほかの人たちは、僕らを教育すべく規範について教える。両親、家族、友人、機関...いいだろう。だが、それがうまくいくのは僕らが僕ら自身を法の支配下に置くからだ。
法律は、ある意味で、逆らうことができるものだ。ルールに従うのも、従わないのも「自由」だから。そして、「平等」も大事な概念だ。それが意味するのは、みんなにこの能力があるということ。僕らは「平等」に「自由」へと参加している。そしてそれは法律のルールに反映されなくてはならない。
そして三つ目は「連帯」。僕は民主主義者として、ほかの人がそうであるからという理由で本来自分が持てるより持っていないかもしれないことを進んで受け入れなければならない。たとえば、僕らの民主主義の中には、福祉の概念が組み込まれている。僕は毎月、そして毎年、いくらかのお金を、税金を払っている。公共のために、道路、幼稚園、失職者たち、健康保険、それらのすべてのために、ね。
このお金は僕の給料から取り上げられている。僕がいくらかのお金を稼げる、ということは、僕の労働はある程度評価されているというわけなんだが。資本主義の市場の仕組みにおいて、ね。」
「だから、僕の労働は評価されてお金に換算されているわけだね。そして、その上で、この評価されたお金の一部が、公共のために取り上げられる。そして、僕はそれで良いと考える。それが、「連帯」な意味することなんだ。
「連帯」とは、僕がそれに同意するという意味だ。誰かが取るべきではないものを取り上げていくのではなくてね。僕はこれが全部欲しい!なんで奴らは取り上げるんだ?というのは、民主主義で共有される考え方ではない。だから、こうしたことに納得できることが民主主義的な倫理の根本にある基盤だ。
だが、民主主義は、大多数の票とはあまり、いや実は全然、関係ない。民主主義を「多数決」と考えるのは完全なる混乱だ。」

●5月12日-02/12th,May
夕方に街を安全に散歩できるという日本の素晴らしい治安状態に感謝。一方で5Gがスタートすると、街を歩くこと自体が安全ではなくなるという一抹の不安もある。

●5月20日/20th,May
昨日の日経新聞の記事の一面に、人民元がドル覇権に一石投じるという内容が報じられた。
もちろん誰もが知っているように、米ドルは20世紀を通じて今まで国際基軸通貨であり続けている。しかし1971年のニクソンショック以降、紙幣はゴールドとの交換が出来なくなり、裏付けを失ったままだ。
一方、世界の国際決済の標準である、ベルギーのSWIFT(国際銀行間通信協会)システムでは国際決済の40%が未だにドルで行われている現状がある。
ただ、ここ数年で、中国を中心にアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立され、またトランプ政権によりアメリカは国際的枠組みから次々離脱し、同時に色んな国に経済制裁を加えている。
そうした結果、人民元で国際決済したいという銀行が89ヶ国で865にも達することになってきているのは無理もない。
僕自身はAIIBの設立以降のこの4年ほどは、基軸通貨の動向に関心もって着目してきたので、いよいよかという感触。
人民元はまだまだ問題があるので、基軸通貨に取って代わるのはまだタイミングではないが、事態は急速に変わっていく。
Nikkei newspaper on yesterday implied the possibility Chinese Currency may replace in world currency instead of US Dollar.
Of course everybody knows the world currency have been US dollar through 20th century till now.
However after Nixon shock in 1971, money have been lost the value which can exchange gold.
On “Swift” in Belgium, still US dollar is 40% of international payments now.
In this few years, China established AIIB, Trump have escaped from international frameworks and he has executed economic sanctions for many countries.
As a result, it reaches 865 banks in 89 countries that they select their payments by Chinese currency.
After establishing AIIB, I have been checking this for this 4 years.
Because Chinese currency has still many problems, it is not the time for replacing. But world situation changes rapidly.

●5月21日/20th,May
2016年5月にスペインの調査に入った時に、「観光・文化政策は誰のためのものなのか?」という内容をつぶやいていたので、シェアする。
この時の調査映像はyoutubeに200ほどアップロードしているが、これは155番目の後半戦のビルバオを後にする時の映像のようだ。
155.Spain Day10「観光文化政策は誰のためのものか?」

●5月22日/22nd,May学部の講義の中で、始めに瞑想を取り入れる実験をしている。回を重ねるごとに、たった5分の瞑想でも、ざわついている学生がスッと落ち着く。
前回の授業では、一緒に観に行ったボルタンスキーの展覧会「lifetime」鑑賞の際に学生に渡した五つの問いを巡り、ディスカッションをした。
学生の中には能動的に読み取り、深い問いへと昇華しているのも見受けられ、一定の効果があったことを確認できて良かった。
死と死後、記憶と忘却、個人と群衆など、いくつかの哲学的なテーマを掘り下げながら、アーティストがなぜこういう表現を取るのかを、ボルタンスキーの講演録から読み解く。
本日は前回のlifetimeを受けて、未来の履歴書を書くワークショップをする。今20歳の学生が、仮にあと60年生きるとすれば80歳になるころは西暦2080年。80歳で自分のライフタイムを振り返って履歴書を書くとすればどういう人生になっているかを想像する。リアルに自分の将来にまなざしを向けてこなかった学生の中には、全く書けない者もいる。大事なのはシートを埋めることではなく、一度でもリアルに想像してみることだ。
一方で彼らが可愛そうなのは、リアルに先を想像出来ないぐらい、時代の変化が加速していることだ。ディープラーニング、貿易戦争、シンギュラリティ、IOT、気候変動、ナノテク、流動化、金融状況など、何がどう影響するかもはや予測不能なほど、日々状況は変わり続けている。2080年の未来など僕ら大人でも想像するのが難しいが、だからこそ逆に長尺で人生を捉えてほしいと思う。
I am experimenting with meditation at the beginning of my class for undergraduate students.
As they repeat 5 minutes meditation each time, students are getting calm down.
Last time in my clasd, we discussed about 5 questions in the exhibition named “lifetime” by Christian Boltanski.
Some students observed spontaneously and thought deeply. So I realize this way was effective for them.
From Boltanski’s work, we discussed themes of death and after death, memory and oblivion, individuals and crowds, and the reason why he create these art works.
For today’s class, I tried the workshop of writing our future profile.
Now students are 20 years old. If they can live more 60 years, they will be 80 years old at 2080.
They challenged to write their life history under this setting that they are 80 years old.
Some students could not to write details of their future life because it is the first time to think about this issues. However it is more important to image than to fill the sheet.
It is very pity for them that the situation of world change is accelerating rapidly more than we imagine.
Deep learning, trade war, singularity, iot, climate change, nanotechnology, tourism, financial markets...
Our situation is changing every moment and even if professionals, nobody can predict our future any more.
So we can’t imagine the situation in 2080, that’s why it is more important to imagine long term.

●5月24日/24th,May
西へ東へ。
早朝から淡路島渡り徳島へ。
夕刻には新大阪から東京へ。
Go west and east.
I went to Tokushima through Awaji-shima in this morning.
And I am going to Tokyo via Osaka.

●5月25日/25th,May
今日は日本造園学会賞の受賞講演をする。造園学会なので植物のTシャツを着てみたが、こんなカジュアルな格好だと誰か怒り出さないかちょっとだけ心配...
Today I will have my presentation at Japanese Institute of Landscape Architecture for the award.
For the academy of landscape design, I try to wear the T-shirts of plants. But little bit, I am worrying that someone gets angry at my casual fashion...

●5月25日-02/25th,May
改めまして、この度、拙著「まなざしのデザイン」が平成30年度日本造園学会賞の著作部門を頂きました。
栄えある賞を頂き、大変光栄に感じるとともに、本書の元となる博士論文のご指導および今回の賞にご推薦頂きました、大学来の恩師であります増田昇先生ならびに、本書に関わって頂きました全ての方々、本書をご支援頂きました全ての方々、これまで我が身を支えて頂きました家族、友人、生きとし生きるものに心より深く御礼申し上げます。
思い返せば、本書は難産で構想から完成までに非常に長い時間がかかりました。
モノの見方の変革を促すことは誰にでも必要なことでは無いかとの想いから、敢えて専門領域を絞り込まずに書き進めましたので、出版されてからも、手に取ってもらえる方が広がらず、大変辛い時期もありました。
本書に書かれた内容が浅さかったのか、伝わりにくい表現があったのか、そもそも元来読むべき価値などないようなものなのか。様々なことを逡巡し、忸怩たる思いを抱いた時期もありました。それが出版から一年経ち、少しずつ状況が変わって来ました。
昨年度に山口県教員採用試験、駿台全国模試、愛知県立高校入試、北星学園入試と相次いで、哲学・芸術領域の現代文として評価頂き、驚きの連続でした。
これら一連の評価は私自身への評価ではなく、私のもう一人の哲学の恩師であります哲学者の鷲田清一先生に帯の言葉を頂いたことによる賜物であることは間違いありません。本当に様々な方々に支えて頂いているのだと改めて感じました。
一方で、自分の出自の専門領域であるランドスケープデザインや造園、建築、都市計画の領域で読んだという声は聞いたことがありませんでした。ランドスケープデザインから現代アートとコミュニケーションデザインを経て意識研究へと、専門から遠くへ旅してしまった私の実践研究は、この領域では注目に値しないような異端な内容もあり、おそらく評価してもらうことは難しいであろう内容であるとも理解しておりました。
そう考えておりましたので、今回の学会賞の受賞という出来事は本当に青天霹靂であり、また自分の古巣の領域の専門家の方々に評価頂いたことに驚きと感謝に絶えません。
昨日の筑波大学での受賞講演は大変短い時間でしたが、学会の歴々たる先生方のお時間をわざわざ頂いて、内容をご紹介する機会に預かり、身が引き締まるとともに、これまで育てて頂いた諸先生方に恩返ししたく、直前まで練りに練って凝縮、集中してお話しさせて頂いたつもりです。
少々時間不足でしたので、最後の部分を丁寧にご説明出来ませんでしたが、終了後の会場や夜の懇親会場では多くの方々にお声がけ頂き、”この専門領域の拡大へ貢献する内容である”という評価や、”ランドスケープの本質的な思想を継承している”というお言葉を様々な方々から頂き、涙が出そうになりました。
もちろん本書を書いた理由は、一人でも多くの人が自由になればとの想いが強く、評価を求めたからではありませんでした。
でもやはり、こうして自分が学生の頃に学んでいた雲の上のような碩学の先生方から、このようなご評価頂いたことを、嬉しく思わないわけがありません。これまでの苦労についつい目頭が熱くなる感覚を何度と覚えました。
昨日まで、造園や建築、都市計画の専門領域では私自身は注目を集めるような存在感はまるでありませんでした。しかし講演後には会場に置かれている本書が飛ぶように無くなっていきました。
社会の中で自分の出自であるランドスケープデザインがルーツになっていることを発言をする事で、これまでは先人たちに何か少しでも恩返しするつもりでおりました。しかしこれから、本当の意味での専門領域での評価が始まるのだと思っております。
今回の栄誉に預かったことに胡座をかかずに、日々研鑽と精進を行い、一人でも誰かを自由にし、我々が住むこの世界に貢献していくことが出来るように今後もますます励むつもりです。
この度は皆様には心より深く御礼申し上げるとともに、今後とも皆様の厳しい評価を次の思考の糧にしたく思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
2019.05.25
令和元年五月二十五日
ハナムラチカヒロ拝

●5月26日/26th,May
筑波大学での日本造園学会の学会賞受賞式を終えてから、翌日に茨城県と千葉県の県境の聖地のランドスケープデザインの調査に入る。
日本列島の地下を貫く中央構造線の東端に位置するこの土地は、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社のトライアングルがあり、以前より行ってみたかった土地の一つ。
奈良の春日大社との関係が深い鹿島神宮は、鳥居に対しての本殿の配置が奇妙である。南入りや東入りでなく、西入りなのがポイントで、明らかに海を御神体として意識されている構造になる。それがより明確なのは息栖神社だが、元々の位置は今の場所ではない。元の位置だとこの東国三社の配置関係の意味合いがさらによく見えてくる。
鹿島神宮と香取神宮の要石は大鯰の頭尾を押さえるというが、陰陽の対をなし、どちらか一方だけで完結しない。聖地とはネットワークの中にあり、スケールを超えて入れ子構造になっている。
夜には東京に戻り、二期倶楽部の北山実優さんと久し振りにお会いする。昨年に千葉市美術館で作った「地球の告白」や、今、福島のはじまりの美術館で展示している「半透明の福島」の話などをして、またこれからのことなど色々と語り合った。

●5月27日/27th,May
現在、依頼されているモニュメントのデザインの打ち合わせを品川で終え、そのまま那須へ移動。アートビオトープへ。2014年の山のシューレ以来、5年ぶりに訪れるが、今や変わりつつある二期リゾートに想いを馳せる。
思えば、ここで行われた山のシューレ2014で東京藝大の伊藤俊治先生、宗教人類学者の植島啓司先生と「聖なる場所の力」という鼎談をしたことが、僕の聖地研究の端緒の一つになっている。多くの方々にお世話になっていることに感謝する。
翌朝は先日、ギャラリー册でご一緒した建築家の石上純也さんがデザインを手がけられた「水庭」の見学。
芸術選奨新人賞も受賞した芸術作品としてのランドスケープデザインの素晴らしい事例。現代における庭の新しい様式の可能性に思索を巡らせる一方で、シャウベルガー的な観点から自然が望む場のあり方にも想いを馳せる。
以前、石上さんと飲みながら、ランドスケープは基本は変わり続けるダイナミックなものなので、水庭も変わりゆくものと変わらないものとのコントラストがポイントになったくるのではないかという話をしたことがある。この場は特にメンテナンスがかなり課題になっていくだろうと感じる。

●5月28日/28th,May
聖地のランドスケープデザインの調査で、日光に入る。日光東照宮は初めて入るが、インバウンド観光が盛んなのと、遺産の保護のための過剰な保護対策が合わさり、聖性はかなり弱まっている。
喧騒の東照宮近辺を早々にあとにして、誰も行かないひっそりとした裏道を通って、瀧尾神社へ向かう。こちらがこの辺りの信仰の本体の方で、原始的な信仰の形態がよく理解できる。
日光二荒山神社からもアプローチできるが、石畳の道のデザインが非常に美しく、滝、磐座、龍穴など、聖性を示す空間ボキャブラリーが豊か。東照宮よりも聖なる空気の密度が凝縮されている。
二荒山信仰を巡ってネットワークする聖地を追いかけて、かつて二荒山と呼ばれた男体山の二荒山神社中宮祠、宇都宮の二荒山神社へと辿り着く。
補陀落(ふだらく)→二荒(ふたら)→二荒(にこう)→日光(にっこう)となったとの説もあるが、数十キロ離れた宇都宮に二荒山神社がある謎にも、リモートコントロールに基づく神道の空間デザインの鍵があると確信する。

●5月29日/29th,May
福島県の猪苗代にある、はじまりの美術館で現在開催中の展覧会「あしたときのうのまんなかで」に出している自分の作品の状況の確認。
4月6日から開催中で、谷川俊太郎さんやクワクボリョウタさんらと一緒に展示しているが、唯一僕の作品だけ会期中に変化したり増えていくので、その状況の確認。
やって来た方々からの手紙がかなり集まってきていて、それらの内容は本当に胸を打たれるものばかり。皆が心の中に苦しみを抱えていて、それを誰かにわかって欲しいと思っている。僕が芸術表現に期待し、可能性を感じて取り組むのは、そうした見えない想いを拾いあげて少しでも自由になれる人が増えて欲しいという動機だと再確認する。
そろそろ東京へ引き返そうとする時に、やって来た来場者に引き止められた。作品にあまりに感動したので、話を聞きたかったという。どうやら音声も2回も聴いてくれたらしく、本もその場で購入してくれ、サインまで貰ってくれたことに、胸がいっぱいで東京へ引き返す。
品川で編集者と打ち合わせして、今月から連載しているウェブサイトと、新しい本の打ち合わせをする。夜は久し振りに電通の本田さんと再会し、色々と話をする。霧はれての時には色々と助けて頂いたことや、今後のメッセージの社会化の話など相談に乗ってもらう。終電まで居て関西へ引き返す。相変わらず落ち着かずに東奔西走する旅だが、旅そのものが自分の表現でもある。

●5月30日/30th,May
京都大学の近くに新設されるインキュベーター施設「TOBERU01」内に、社会起業家向けのライブラリーが創設されるらしい。そこに拙著「まなざしのデザイン」を京大の塩瀬先生がセレクトして下さり、置いて頂けるのだそうだ。
何やら著者自身の手書きのメッセージポップが必要だそうで、白い紙が送られてきた。せっかくなので、真っ白でなくフレームもつけて遊んでみた。郵送しないといけないので、手元から離れる前に、僕のラボに居候するフロイト先生と一緒にパチリ。

●5月31日/31st,May
前著「まなざしのデザイン」では、視点場を人間の内部に設定し、主観的な世界の捉え方を問題にしました。
今度はもう一方の極である、地球の外側にまなざしを引いて包括的に地球を考えて見たいと思い、WirelessWire Newsで「五十年後の宇宙船地球号」という連載をゆるりと始めようと思います。
アポロ8号が月の周回軌道から「地球の出」を撮影してから50年。地球ではテクノロジー、金融経済、気候変動、格差社会、アイデンティティ問題など、もはや問題は部分的には解決できない状況に来ているように思えます。
そんな状況でうまく考えるヒントを得るために、50年前にすでに「宇宙船地球号操作マニュアル」を出版していたバックミンスター・フラーが見つめていたものを読み解きながら考えていきたいと思っています。
昨年あたりから、11月に千葉で制作した「地球の告白」というインスタレーション作品を皮切りにして、地球の現状について把握を試みていますが、フラーのまなざしを学びながら地球を風景として包括的なまなざしを向けねばならない時期に来ているかと。そんなことを考えながら少しずつ学んでいければと。
「五十年後の宇宙船地球号」

●5月31日/31st,May
敬愛する師の一人、能勢伊勢雄さんのお話を拝聴しに、本日も岡山まで。ゲーテ形態学の続きだが、濃密で膨大なインプットを頂く。
色彩論と形態論の復習から入り、ゲーテやヘッケルからシュタイナー、ヴォーゲルやブロスフェルト、シャッツからシュベンク、寺田寅彦から中谷宇吉郎、果ては楢崎皐月まで、近代科学とは異なる進化へ歩んで行った「身の丈の科学」の系譜を辿る。
最後は僭越ながら、僕自身にもシャウベルガーの解説を少しだけ紹介させてもらう時間も頂き、昨年ピタゴラスケプラー財団へ行った話や、彼の科学や思想などを少しだけみなさんと共有した。
近代科学に基づいた今の社会と文明が、ある意味で行き詰まっているのであれば、その外側の科学や知の体系から、オルタナティブな方向性を見出さねばならない。ここのところ毎日世界で起こるニュースを見ながら、そんなことをずっと考えている。能勢さんのような科学、芸術、哲学、宗教と幅広く膨大な知識と見識を持つ巨人から僕自身もしっかりと学びつつも、自分の言葉で語れるように受け継ぐのが段々と使命のように思えてくる。心より感謝。


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