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5-4文明から文化へ

「まなざしのデザイン」没原稿:第5章「心の進化」04
 
 私たちは一体どういう文明を共有しているのだろうか。文明というのは文化よりも大きな枠組みだ。この文明の全体像が見えないままで、文化や芸術の問題だけに焦点を合わせると問題の本質を見失うだろう。そして文明を考えるためには、それを成立させた生命の相互協力へとまなざしを向けねばならない。
 あらゆる生命が共有する唯一のテーマは「生存する」ことだ。しかし生命の生存というのは他の生命との協力なしには成り立たない。私たちの身体も、はるか昔に体内にミトコンドリアという別の生命を取り込み、それと共生する40兆個の細胞が協力することで成り立っている。
 もっと大きなレベルで見ると、生態系というのも互いの生命活動の関係性で成り立っている。動物という個体レベルで見ても、同種で群れをなして協力して行動するものは数多くいる。人間もそんな群れをなす動物の一つであり、厳しい自然の中を生きるために集まって協力しながら生きることにしたのだ。
 それが原初的には狩りをベースとする狩猟民族の文明であり、後に農業を中心とした文明を生みだした。つまり文明の根底にあるのは、生命がそうであるように皆が協力することで何とか生き抜くという意思なのだ。
 サミュエル・ハンチントンは世界の文明を8つの型に分類している※。彼によると8つの文明はそれぞれの場所の風土に応じた精神性や宗教が基盤となった共同体が生みだし、その共同体の中で私たちは生きるための様々な仕事や作業を皆で協力して分担する。自分一人ではできないことは誰かと協力して、時にはまかせて、専門的な仕事に特化する。そうやって多くの人と分業することで恵みはより大きくなり、危険な災いから身を守ることも可能になったのだ。
 協力することで生存の基盤がある程度満たされれば、その次はいかにして「より良く生きる」のかということがテーマになる。それは「文明」という段階から「文化」と呼ばれるものへの移行であると言える。人間は他の動物と違い、ただ生きるだけではなく、文化的に生きる動物だ。私たちは肉体の充足だけを追い求めるのではなく、心の充足を問題とする。そうした精神的な部分を担う分業として宗教家や芸術家という職業が生まれてくるのだと言えるのかもしれないが、そうした「より良く生きる」ことを模索した結果、世界には様々な文化が育まれてきたと言える。
 しかしこの150年の間に私たちはこれまで様々に独立していた文明を一つのものへと作り変えてきた。それは産業を根底においた近代文明と呼ばれるものだ。その背景には人口が爆発的に増え、食料や物が圧倒的に不足していくという問題があった。より多くの物を生産するためには、地域を越えてより多くの人と仕事を分け合って協力せねばならない。
 そうやって世界に広がった新しい文明はより大きな豊かさをもたらしたが、問題も同時にもたらした。そこでの協力というのが互いのまなざしが届かない共同体の間で行われているということだ。私たちの現代社会ではまなざしが届かない他の国や地域の人々と分業し、貿易によってそれらを交換する。今や全てを自分の手で作る必要はなく、私たちは自分が作る部分にだけ専念して良い社会に生きている。
 だから常に仕事の部分しか見えず、別の部分をつくる誰かの顔も見えない。自分の食べ物でさえ自分で作らないのがこの文明の特徴だ。
 さて今、私たちがいる社会はそんな近代文明が数世代経過した産業社会の続きにある。物はある程度満たされて、豊かさが確保された成熟化社会と言えるかもしれない。「文明」の基盤が出揃ったので、私たちの共同体の関心はより良く生きるための「文化」へとどんどん移ってきている。
 今の文明が産業を基盤にしている以上、文化が産業化する割合が大きくなるのは必然な流れだ。たとえ産業構造が大きく変わり、物やサービスの量を確保するよりも質を上げていくことに分業の割合が移っていったとしてもその根底にある価値観は変わらない。芸術は産業に取り込まれて創造産業や文化産業となり、宗教も産業に取り込まれていく。そして科学技術の方向性も、モノやサービスの質を上げていくことにどんどん中心を移していく。世界は今、より良く生きるための文化をつくることに夢中な状態になっていると言ってもいいだろう。それはまるで熱病のような状態になっている。


※ T h e C l a s h o f C i v i l i z a t i o n s a n d t h e R e m a k i n g o f W o r l d O r d e r , 1 9 9 6 )

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