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09 愛しのラバル(後編)

 18世紀から19世紀にかけての欧州の都市というのはどこもひどい状況にあった。今でこそパリやロンドンは清潔で華やかなイメージがある。しかしほんの200年ほど前は、ひどい場所であった。今の都市の姿はこの100年ぐらいの間に整えられた結果なのだ。
 中世の頃は多くの人々は農業をするため農村に住んでいた。しかし農業革命と農地の囲い込みによって、農村でそれほど人手が必要なくなる。その一方で人口は増えていき、行き場を失った人々は職を求めて都市に集まってくる。やってきた人々がとりあえず住む場所が必要なので、建物がどんどん立てられていく。計画されずに無秩序なまま勝手に立てられていく一方で城壁によって広がりも制限される。だから城壁の中は非常に密集して人々が住む場所になっていく。

 こうやって都市に人々は集中し始めるのだが、下水も満足に完備していない都市では、人々の排泄物を処理する場所もない。窓から道に捨てられた糞尿で道は溢れかえっていたとという。さらに状況を悪化させたのは産業革命である。密集した住宅地の中に工場が建っていくのだ。工場の煙突から出てくる煤煙は街に漂い、空気はどんどん汚れていく。そんな中で、城壁の中にギシギシに詰め込まれた建物の隙間に人々はすし詰めに住まねばならないのだ。
 光もあたらず、風も通らないような部屋の中。廊下はいつも暗く、湿気が乾くことはない。そこに汗だくになって帰ってきた労働者達は風呂にも入れずに煤煙の空気の中で横になるしかないのだ。だからペストやコレラが蔓延し、しかも建物の密度が高いため一気に感染が広まる。街はそんな問題だらけの危険な場所だったのだ。

 光があたらないというのは、物理的な問題だけではなく精神的な問題も引き起こす。脳神経科学的に言えば光を受けないでいるとセロトニンが減少する。セロトニンは神経伝達物質の中でも心身の安定や痛みの抑制などに関与しているので、それが減少すると、どんどん心が閉ざされていくのだ。
 同時に視線が通らないうす暗い場所では人目をはばかることが行われる。犯罪や麻薬、売春などの温床になった狭い路地はさらに人を寄せ付けず、街がどんどんスラム化していく。
 バルセロナもそんな欧州の都市の例に漏れず危険な場所がたくさんあった。それが最も顕著だったのが、僕が住むラバル地区だ。バリオチーノ(中国人地区)と呼ばれるラバルの一角は売春宿がたくさんあり、昼間でも歩くのが恐ろしい場所だったと言われている。

 こうした問題だらけの都市をいかにして整理して快適性を担保するのか。それが都市計画の元々の課題である。公衆衛生法に端を発している都市計画では、建物の密度を管理し、工場と住宅の区分けをして、生活空間にいかに日照と通風を確保するのかを基本的な課題にしていた。
 バルセロナの場合は、1859年にイルデフォンソ・セルダ作成した都市の拡張計画が近代都市計画のスタートだった。そこから幾度となくバルセロナの市街地再生計画の中でラバル地区のスラムクリアランスが試みられてきた。しかしそれが結局本格的に実を結び始めるのはセルダの計画から100年以上が過ぎた1990年代だったことが阿部先生の本から読み取れる。
 1985年の市街地改善特別プランに基づいて、建物のいくつかが取り壊され、広場や遊歩道が設けられる。美術館や文化施設を街の中に整備することによって地区外から人の流れをつくる。ホテルを誘致して観光客の回遊性を高める。1992年のオリンピックの開催もあり、集中的に整備を行われることによって街はそうやって整備されていく。その結果、ラバル地区は以前のように危険な場所ではなくなっていった。今では夜に出歩くこともできるし、観光客も迷い込んでくる場所にもなっている。
 都市の衛生状態が改善され、安全性が確保されるというのは誰にとっても必要なことである。そうやって都市計画が効力を発揮したことで今やバルセロナは大きく変わり、年間で3200万人の観光客を迎える都市になった。それはひとまず大成功を収めたと言えるだろう。
 しかし一方で次の問題が生まれ始めている。観光客が増えすぎることによって、元々都市に住んでいた住民たちが追い出されはじめているのである。街が富裕化していくことで地価が上がり、物価が上がり、元々住んでいた人々や低所得者達が行き場を失うという現象である。これは専門用語で「ジェントリフィケーション」と呼ばれる減少で、観光化していく街ではどこでも起こる。
 ジェントリフィケーションが起こり始めると、街は一気に面白くなくなると僕は思っている。それは観光客目線で商売が行われ、商品や料理やデザインが画一化されたものになっていくのだ。20年前にバルセロナに訪れた時はもっと地元の住民達の会話があり、彼らが毎日食べていたものを口にすることができた。しかし今や道にはほとんど観光客しかおらず、どこでも置いてあるのは同じお土産物、そして多くの店が観光客用のメニューを出している。それを文化的になってきたと考える人もいるかもしれないが、僕には非常に貧困な文化としてつまらないものに見える。街が安全で清潔な場所になっていくこととは、テーマパーク化していくことと必ずしも一致するものではないのだろう。
 僕がラバルが面白いと思うのは、多少道が汚くて少し危険な香りが残っていたとしても、バルセロナの他の地区に比べると、まだラバルはそこまでジェントリフィケーションが進んでいないことだ。ゴシック地区やカスク・アンティーク地区などはもう観光客しか通りを歩いていないのではないかというぐらい溢れかえっている。エスニカルで猥雑な街の空気感が漂っているのは、元々港町という性格もあるが、多種多様な人々を受け止める包摂性が備わっているからだ。その包摂性は移民達の集中を招いたが、皮肉にもそれがリアルな生活の匂いを漂わせている。
 この雰囲気が汚くて洗練されていないので、嫌だという声もあるだろう。しかし僕はここがまだ観光化されていない雰囲気をとどめた最後の砦なのかもしれないと思っている。だがいずれそう遠くない未来に、必ずここにも観光化が押し寄せてくるし、実際今では相当な数の観光客も入ってくる。
 2017年の1月にバルセロナのコラウ市長は新しい観光施設の建設を制限する条例を決断した。それによって撤退したホテルもあり経済効果への影響が予想されている。その決断が正しいのかどうかが分かるのは少し先かもしれないが、その頃にラバルの風景はどうなっているだろうか。つまらない街へと「進化」していないことを願うばかりだ。

2017.04.29

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