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お金のカラクリ

■紙幣はどのように発行されているのか?

 私たち全員のまなざしを釘付けにするお金というものは一体なんなのだろうか。私たちはお金を使用するし、それを大事なものとして日々扱っている。しかしお金とはどういうものであるのかということにまなざしを向ける機会は少ない。お金とは一体何であるのか。その前にそもそもお金とは一体誰が発行しているのだろうか。
 お金を発行しているのは政府ではない。では日本銀行が発行しているのだろうか。紙幣には「日本銀行券」という名前が付いているので日本銀行が発行していると思いがちである。しかし実はそうではない。一万円札を見てみると、中央の下に小さく「国立印刷局」製造と書いてあるのが分かるだろう。つまりお金を紙幣という形で実際に印刷しているのは国立印刷局なのである。国立印刷局とは財務省がら独立した独立行政法人である。
 日本の場合、紙幣は国立印刷局で毎年刷られている。その印刷する量は財務省の計画に沿って必要なだけ刷られることになっている。だから日本銀行券であるお金とは、財務省が計画を立てて、国立印刷局で刷られているということになっている。
 紙幣が印刷される理由は大きく2つである。一つは破損や経年劣化した紙幣の交換のために刷るという理由である。もう一つは私たちが銀行に預金している「電子情報」の金額が増えれば、それに応じて印刷する量を増やすということになる。それを財務省が毎年計画しているのである。

■紙幣は一体いくらあるのか

 しかし実際には私たちが紙幣で持ち歩く量は限られている。預金通帳に記載された数字の金額をすべて持ち歩くことはできない。従って基本的には紙幣というのは電子情報入れ物として持ち歩くのである。実際に私たちが持っているお金とは銀行に預金データとして記録されている「電子情報」である。
 日本全国から私たちの預金、そして企業や組織などの預金をすべて集めると一体いくらになるのだろうか。全国民の預貯金をすべて集めたお金、すなわちマネーストック2と呼ばれるお金は約830兆円ある。それに郵便貯金を加えたマネーストック3にすると約1100兆円である。この約1100兆円が日本国民すべての資産である。それに対して実際に発行されている紙幣の総額は80兆円ほどしかない。つまり国民の預貯金の1割が銀行から紙幣として引き出されただけで、実はこの紙幣というシステムは破綻することになる。
 なぜそうなっているのかというと、先ほど述べたように私たちが紙幣として持ち歩く量は限りがあるからだ。資産が1100兆円あっても、すべて刷ると銀行の金庫に眠るだけである。だからそれほど数を刷る必要はない。最近だとカードで決済したり銀行口座からそのまま引き落とすことが増えている。だからわざわざ紙幣として持ち歩くことに利便性を感じなくなっているのである。

■お金の発行とは電子情報の増加である

 私たちが銀行に預けていることになっているお金、つまり電子情報とは、誰がどの銀行にいくら持っているのかという単なる情報に過ぎない。しかしこの電子情報を増えることが、お金が増えることである。お金が増えるとは実際にそれを「紙幣」つまり日本銀行券として発行することではない。銀行のサーバーにセーブされている単なる情報である「数字」が増えて行くことがお金が増えるということである。まずはここを理解しなくてはならない。
 ではそれを増やすのは一体誰なのだろうか。日本銀行券と書いてあるが、実際には日本銀行がそれを増やすわけではない。私たちがお金を預けている銀行のサーバーに書いている「数字」を増やすのも、同様に民間銀行の役割なのである。ではそれは一体どういう仕組みになっているのだろうか。

■信用創造というカラクリ

 実はその数字を増やす仕組みが「信用創造」と呼ばれるものである。この信用創造というのはマジックみたいなものである。それは民間銀行と中央銀行という両者の間にある「準備預金制度」で成り立っている。
 この準備預金制度というのは、私たちが預けた預金の一定割合を中央銀行に預けるという制度である。日本の場合だと中央銀行とは日本銀行となる。一定割合とは法律で定められており、その割合に応じた額を中央銀行に預ける。この割合のことを「法定準備率」と呼ぶ。なぜ預けるかというと、民間銀行のシステムを安定させるためである。
 例えばもし仮に一つの銀行が破綻したとする。そのような場合に中央銀行に集められた準備金で払い戻しをすれば、他の銀行が連鎖して破綻することを防ぐことができる。つまり準備預金とは保険のようなものである。
 この法定準備率で決められた準備預金だけを中央銀行に預ければ、民間銀行は残りのお金を誰かに貸してもいいことになっている。これが「信用創造」という仕組みである。
 ここで奇妙に思うかもしれない。なぜならばここで言う残りのお金とは、私たちの預金であるからだ。私たちのお金を銀行が勝手に誰かに貸していいというのはおかしいのではないか。そう思うかもしれない。しかし実際にはお金というのはそうやって増えて行くのである。
 その理由は先ほど触れたお金というのが銀行のデーターサーバーに数字として記載された電子情報であることにある。お金を貸すといっても誰かの通帳に数字を記載するだけで終わりである。どういう仕組みになっているのだろうか。
 例えば法定準備率を10%として考えてみる。そしてAという人が仮に銀行に100万円を預けたとしてみよう。銀行は私たちの預金のうち10%である10万円を中央銀行に預ける。そして残りの90万円を貸し出すことができる。その90万円を仮にBという人に貸し出したとする。そうすると、Bの預金通帳に90万円という「数字」が書き込まれる。
 そしてその90万円の10%である9万円をまた中央銀行に預けて、残りの81万円は誰かに貸し出すことができる。それをまたCに貸して、準備預金を預けた後、Dに貸してと繰り返していくと概ね1000万円まで数字を増やすことができる。最初は100万円だった数字が、この信用創造という仕組みを使うと1000万円に膨らむのである。そして当然この貸し出したお金には利子がつく。なぜこんなことが可能なのだろうか。

■信用創造の起源

 この信用創造はなぜ可能なのだろうか。そのカラクリは信用創造の起源にある。少々回り道をして紙幣というものが一体どういうものなのかを考えてみる。お金の貸し借りの仲介や異なる通貨同士の両替をする金融自体の機能は近世に入る頃までは両替商や商人などによって行われてきた。その頃にも預かり証や手形という形のものもあったが、基本的には金貨などの貴金属がやりとりされていた。
 紙幣が本格的に国家の承認を受けた通貨として流通するのは、17世紀以降である。具体的には1661年にスウェーデンの民間銀行であるストックホルム銀行が発行した「銀行券」が最初のものであると言われている。しかし広く流通し始めたのは1694年にイギリスで設立されたイングランド銀行の約束手形であるとされている。もともとこの銀行は軍事費を調達する目的で設立されたとも言われている。
 1650年代にはすでにロンドンでは承認たちの手によって個人銀行の業務が行われていた。その時の主要な決済手段も金(ゴールド)であったが、金を手元に抱え込むリスクを軽減する必要があった。そこでロンドンで一番頑丈な金庫を持つ金細工匠のゴールドスミスに金を預けることにした。
 ゴールドスミスは金を預かった証拠として、預かり証を発行してそれを金の所有者に渡した。これがいわゆる紙幣の始まりである。金庫に金がいくら保管されているということが書かれた単なる預かり証だが、それをそのまま取引に用いることができる。これが決済業務の起こりになったと言われている。
 この金庫に預けられている金というのは、一度に引き出されることはない。だから常に一定量の金が金庫に保管されている状態になることをゴールドスミスは気づいたのである。
 つまりその金の一部を誰かに貸し出しても分からないのである。その一定量残っている金に関しても預かり証を誰かに出すことをゴールドスミスは考えるようになった。預かり証には名前を記載するのではなく、”この預かり証と金を交換する”という内容を記載すれば、別の人も使うことができる。そうやって預かり証で決済が行われるようになると、金はさらに引き出されることなく金庫に眠ることになる。
 そうやって預かり証の発行を繰り返すことで、実際に預けられている金以上の預かり証が世に出回るようになった。これが信用創造の起源である。
 

■お金とは借金である

 現代でも私たちは預金の全てを常に使うわけではない。普段は一部しか引き出さないので、残りの分は誰かに貸しても分からないのである。しかもヴァーチャルな電子情報なので書き換えをするだけで済む。貸すといっても誰かの預金通帳に数字が書かれるだけである。それが別の銀行に預けられたとしても、またその銀行でも同じように課される。だから銀行というシステムに乗っている以上は、延々とお金が生み出されていく仕組みとなっている。
 つまり信用創造の”信用”というのは、誰かがお金を返してくれるだろうという意味である。金による裏付けがあるわけではない。そこにあるのは単に信用という想像なのである。その信用システムでこの世界のあらゆる経済というのは成り立っている。世界中のお金はほとんど同じ仕組みで発行されている。中央銀行を国が持つというのはこの信用創造の仕組みを利用するということである。
 つまり要約すると、ほぼ全てのお金というのは「誰かの借金」なのである。誰かが借金をしないとお金は発行されない。私たちの手元にある預貯金というのは借金なのである。ということは借金が返済されてしまうと、そのお金も消えてしまうというマジックのようなことが起こる。
 だからお金が増え続けるためには借金が増え続けないといけないという矛盾したことが起こるのである。そうでなければこの信用システムは破綻してしまう。そして現にこのシステムに乗っている世界中の財政は破綻しかけているのである。
 この信用創造のシステムというのは永遠にお金を貸し続けなければならない仕組みになっている。政府の無駄遣いや税収不足のせいで赤字になるのではない。経済システムそのものがそもそも矛盾を持っているのである。このカラクリを見抜かねばならない。
 そして日本の国債が増え続ける原因もここにある。民間が銀行からお金を借りてくれなくなっても、政府は借りてくれる。特にデフレの場合は民間はお金を借りなくなる。だから政府が国債という借金でそのツケを払っている。このお金の発行の仕組みそのものが変わらなければ、政府の借金も永遠になくならないのである。
 前著の「まなざしのデザイン」では大きすぎる嘘はバレないと書いたが、私たちは小さな問題解決にまなざしを奪われて、大きな問題が見えなくなっている。信用創造という”大胆な嘘”によって成り立っている経済をベースにしている以上、何をしてもうまくはいかないだろう。

(以下を参考に作成)
https://www.youtube.com/watch?v=IRSJ6G6ma6g
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=264698
http://www.nn.em-net.ne.jp/~komoda/Chapter26.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/銀行
https://ja.wikipedia.org/wiki/イングランド銀行






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