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玉城ティナは夢想する

2018/12/08 動画サイトで鑑賞

昨年、玉城ティナの写真集の発売に合わせて発表された10分程度のショートムービー。
『溺れるナイフ』の山戸結希がメガホンを取り、20歳になろうとする普通の女の子A子の願いと、その裏にある玉城ティナの絶望を情緒的に描いた、儚く美しい作品。

どこにでもいる普通を絵に描いたような女の子、A子は狂おしいほど玉城ティナに憧れていた。そんなA子を玉城ティナ自身が演じるという内容。

「朝起きたら、玉城ティナになっていないかな」「もし私が玉城ティナなら」「生まれ変われるなら、玉城ティナに生まれたい」と願うA子は、途方もなく青くて愛らしかった。
素敵な女の子が大人になろうとする時に抱く願いや不安は、その時は深刻で苦しいものなのだ。自分の顔や体が憎くて、早く美しく生まれ変わりたい、普通じゃない特別な女の子になりたい。でも、そんな悩みを抱ける子はきっと素敵な女の子なのだと思う。
そう遠くない将来、いつかA子は誰かに愛されて、死ぬほど幸せだと感じる日々を送って、玉城ティナになりたいなんて願いはいつか忘れている。
途方もなさすぎて大人になった瞬間にスッと消えたり、誰かのおかげで自分を認められた時に散っていく、深刻だけれど今しかない儚さが愛おしい。

玉城ティナは「普通の女の子になりたい」とまでは思っていないかもしれない。
ただ、ひたすらに玉城ティナを羨望するA子はこれから何にでもなれるのに、玉城ティナはもう玉城ティナでしかいられない。もう後戻りできない。という事実にふとした瞬間絶望したり、恨めしかったりするのだろうと、切なくなった。まだ20歳の女の子が背負う、決められた未来への絶望。A子のように枕を涙で濡らす日もたくさんあったのだろう。
A子が普段何とも思わずに過ごしている日常。大学で授業を受けたり、淡い恋をしたり元彼を鬱陶しく思ったりすることに途方もなく憧れることがあるのだろうと想像した。
たくさんの女の子たちから「玉城ティナになりたい」「完璧な肉体を持った別世界の人」と羨まれ、たくさんの女の子たちの期待や希望を抱え込んで、応えて、反射するように光り続ける、100年後も覚えていてもらえるような特別な女の子。
何も知らないくせに。とは言わない素敵な女の子。

山戸監督に「ティナちゃんに焦がれる女の子はどんな気持ちでいるんだろうね」と問われ、玉城ティナは嗚咽して泣いたという。
数えきれない人に愛されて応援されて、未来を期待される息苦しさと戦っているのだと感じた、という話を鑑賞後に拝見した。
世界中の女の子たちの願いを抱えて、それが使命であるかのように輝き続ける彼女の覚悟を感じた。それがどこまでも魅力的で彼女のかっこよさをそっと見守りたくなった。

これを見て「玉城ティナになりたい」なんて軽率に言っては失礼なのだと感じたけれど、そう思うのも頷ける美貌が10分間、スライドショーのようにひたすら画面に映し出されていた。言いようもなく苦しくなって、20歳にして覚悟を決めた彼女を尊敬した。彼女のことを「かわいい」だけでは形容できなくなる作品。今もYouTubeの公式チャンネルで公開中です。


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