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「有害」コンテンツのメタ情報を流通させる

何が誰にとって有害/無害かは自明ではなく、その時代、社会の中で人々が決めているものであり、かつその決定に際して付与される影響力も人によって異なる。後々それが「間違っていた」「当時はともかく今の社会状況を鑑みれば不適切」となることはままある。

その時代、社会に応じてそれ相応の規制は必要だとしても、最低限、それを遡って検証するための情報としてのコンテンツはできるだけ多くの人々が必要に応じて入手できるようになっていなければならない。

また、成熟社会においては、多様な価値観を持った成人(=一定の自己理解とそれに応じた取捨選択の能力があると想定される人々)の機会損失はできるだけ避けたほうがよい。むしろ現在の社会システムが、そのような機会を奪わなければ維持できない状況にある、という予期がその社会の構成員に広汎に共有されているのであるならば、その方が深刻な問題である。

更に、法制度における「有害」概念は、そのコンテンツに自らが、あるいは第三者が触れることによって直接間接の不利益を被る人々の保護、という法益を越えて、全く別の目的を達成しようとして特定個人や集団の言動を規制するために「目的外使用」される可能性が極めて高い。このことによって生じる不利益について、我々は想像力を働かせるべきである。

こういったことを考慮すると、有害コンテンツの中身自体は開示せず、それによって不利益を被る人々を保護するが、それがどのような種類の有害情報であるかというメタ情報を伝えてそのコンテンツを何らかの形で「取り扱い可能」にしておくことが必要なのではないだろうか。

(※もちろん現在でも「R18」「中学生~向け」などといった事例は存在するが、ここで述べているのはさらに詳細かつ多次元のメタ情報である。)

このメタ情報を活用することによって、社会において何が有害とされているか、そのことが社会システム全体にどのような副次的影響を及ぼしているかを見通し、場合によっては所定の手続きを踏んで有害認定そのものの妥当性を検証する可能性を担保できるのではないか。

これは言うなれば、「有害コンテンツのデータジャケット」である。「データジャケット」とは、東京大学の大澤幸生教授が提唱した概念で、データそのものは開示せず、そのデータがどのような性質のものかというメタ情報を構造的に記述し、流通させたり、利用可能性を検討する機会を提供するものである。くわしくはこちらを御覧いただきたい。

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