席替えの隣にいる人は引き寄せた人
小学校、高学年の頃
席替えをするときの隣に座る女子は
2通りしかありませんでした。
これは、担任の先生にいい意味でマークされていたこともあり
当時の初恋の女子の隣がいいなという、自分の思いは
担任の先生の陰謀により、消滅。
とはいっても、恨んではいません。
逆に、席替えで不思議なことが高校2年の時にありました。
当時、気になっていた女子がいましたが
高校2年で席替えを4~5回くらいやると
必ず、その女子の近くに座ることになりました。
確率的にも低いし、嬉しい気持ちと複雑な気持ちの両方を味わったすごく幸せな悩みを抱えていた時期でした。
結局、その人と良い関係にはなれました。
ですが、関係が良好になって高校3年に進級すると
近くどころ、真逆の結果に。
席が近くになることは一回もありませんでした。
当時、これを運のせいと思っていましたが
大人になって、このことを思い出すたびに
自分自身が引き寄せたもの
と結論づけています。
小学校の当時は、落ち着きがなく。
考え方も非常に幼稚だったし、先生自体も管理できる位置に自分を置いておかないといけないと感じたと思います。
なので、自分の席はほぼ前列。
これは、幼少期の自分が導いた結果です。
引き寄せてしまったのは、担任の先生が自分をコントロールしないといけない願望でした。
それに、当時は気が付きませんでした。
馬鹿ですねw
高校の時は
こればかりは説明がつかない幸運がやってきたと思ったし
全然モテる要素もなかった自分にとっては
運以上のことが起こっている。これは、「彼女とかかわりなさい」ということなのかもしれない。
と、覚悟を決めて彼女と接することで
彼女の好意も理解できたし、自分を過小評価していたなと
反省していました。
そんな青春時代の話をするためにnoteを投稿したいのではなく
社会人でも、こういうことはあると思います。
・素敵な先輩の元に配属された、しょうもない先輩の元に配属された。
・希望の部署に配属された・配属されなかった。
・合コンの席で狙っていた人が近くになった・遠くになった。
・隣の人のトラブルに巻き込まれた。逆に問題解決してくれる人がそばにいて大丈夫だった。
こういうのは、いつ遭遇するかわかりません。
悪い結果が起きたとき
自分は、「自分が引き寄せたもの」ととらえるようにしています。
悔しいけれど、自分の責任です。
そうなりたくないので
挨拶したり、人に親切にしたり、笑顔を見せたりして
自分が引き寄せたものがよいものになる確率を上げれるように
地道にそれらを自然にやるようにしています。
運=自分が引き寄せた結果 と考えれば
運も実力のうちなのかもしれないです。
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