その体を治したいのは誰か。

ツイッターで呟こうとしたんだけど長くなってしまったので


人工透析中止についてのニュースを見てから気になって全腎協の透析を受けたことがある人(腎移植を受けた非)の文章を読んでいるのだけど、お任せ透析という言葉が出てきて、今回のニュースの件についてどう思うかは置いておき、医師のいう「患者が選択できるべき」というのはこういうとこかなと思った。

不調を起こした体を病院へ持って行くと(私にとっては通院てこんな感覚。別の私が持って行かないと、自分の意思で出掛けるなんてできないほど(病院にさえ)しんどい)全自動的に治療の選択や投薬だったり処方が行われて。
こう書いてると、私はそれが嫌でないことがわかったのだけど。

だってしんどい時は治すべきかどうかもちゃんと判断つかないもん。もういいや、治すための力使うのも面倒だからこのまま力尽きよう、そんな感じ。
でも、ニュースの医師は患者が選べるべきと信念があるんだよね。その信念は共感するけど、批判してる医師の病む人が正しい選択をできるわけではない

というのもわかる。(上記自分の状態から考えたら)
体調のよい時から信頼できる医師がわかっていて、自分の判断が鈍る、知識がないなどの時に身を任せることにしようって決めて行動していない限りは、不調時に患者が判別するのに無理があることも、患者の選択でない選択となることを防ぐことも、

難しいはなし。医師に委ねる判断をしてたとしても、それにとんでもない苦痛が伴ったら、自分の決意を裏切って医師に望んでないことをされたと思ってしまうかも知れない。

話戻して。
患者さんの言葉としてお任せ透析なんて出てくるのだから、実際にそういう部分もあって、それについていいのだろうかと考える医師もいて、というのはよくわかった。
ただ、患者が選ぶことができるというのが患者が本当に望む選択となっているのか?というのはまた別の話…

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