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棲むこと 生きること 伝えること -独立独歩のエネルギーに魅せられて

-Followed by English translation-

__今回インタビューに訪れたのは愛知県瀬戸市定光寺町。尾張徳川家の菩提寺として栄えた定光寺の側に位置する緑豊かな里山の家。この辺りは徳川家の山の管理や薪の調達、墓守を行う人達の集落だったとのことです。お話を伺うのは、ここに暮らす兼松春実さんと、兼松さんとは長年の友人であり、建築家の深谷朋子さんです。兼松さんは2009年〜2019年にかけて発行された「自由に棲む 自由に生きる」をテーマとする雑誌「棲」(すみか)の編集・発行人。その中の第5号(2011年秋冬号)の特集では、「いまこそ、川合健二」と題して川合健二邸と健二さんと花子さんの暮らしを紹介しました。
 
一方、深谷さんは建築家として建物や場所が人とどのように関わり成長し合うのかに特に心を寄せ、「棲む」のかたちを設計されています。
 
本日お話を伺うこの建物は、築100年の家を深谷さんの設計でリノベーションしたもので、ゲストハウスのような用途としても使われ、訪れる人も多いそうです。また最近では兼松さんがプライベートな時間を過ごせる場所としての離れも深谷さんによる設計です。
 
そんなお二人に、編集者としてまた建築家として、それぞれの「棲む」をこれまでどのように見つめてこられたのか、などについてお話を伺いたいと思います。

兼松春実(かねまつ はるみ)  ライター / 編集者 「自由空間」代表
深谷朋子(ふかや ともこ)                建築家 「F設計室」代表


「棲む」を伝え続けて 


___兼松さんは1992年〜2004年にフリーペーパー「自由空間」で、またその後2009年〜2019年に雑誌「棲」で、そして現在も一貫して様々な「人が自由に生き生き、のびのびする場所としての家=棲」を紹介し、同時にその人固有の生き方や他者と作るコミュニティーの在り方を伝えていらっしゃいます。そこには兼松さんのどんな想いや経験があってのことでしょうか?

 

兼松 : 子供の頃から、「赤毛のアン」や「若草物語」などが好きで、とにかく想像したり考えることが大好きでした。大学時代にイギリスに短期留学した時にホームステイ先のおばあちゃんのライフスタイルに憧れたりという体験も大きくて、徐々に暮らしや家へ関心を持つようになっていました。

その後結婚や出産を経て27歳の頃に家を建てるということになったのですが、自分がどういう家を建てたいかというイメージが全く出来ず、分からなかったんです。そこから家のことを勉強したいと思うようになってきました。そうして、理想の家を考えて建てた時、住む場所も環境も変わって、近所の人達との繋がりも出来たり、それまで子育てや家事で閉塞していた暮らしが開放的になったことで、「家の在り方でこんなにも変わるんだ!」という感動がありました。

ですが家の中は、というと家族の価値観の違いが生まれ、すれ違いもあり寂しかった、という状況もありました。そんな中で、ハードとしての建物ももちろん大事ですが、それ以上に中身のソフト=「人」が大事、ということに気付いたんです。立派な建物でも、その中で人が仲良くしていなかったら意味がないですものね。それ以来、人の生き方と家との関わり方、また他者と共に生きるコミュニティーと場所との関係に関心を持って見ています。


コーポラティブ住宅「ユーコート」との出会い


__1992年から発行したフリーペーパー「自由空間」をスタートするきっかけはどういうものでしたか?

兼松 : 1991年に京都のコーポラティブ住宅「ユーコート」を訪れた時にその素晴らしさに感動し、そのことを書いて伝えたい!という思いがきっかけで「自由空間」を作り始めたんです。そこから2004年までフリーペーパーとして「自由空間」、2009年から2019年まで雑誌「棲」で基本的な思いは変わらず、そこに棲む人のどんな思いやプロセスがありこの場が在るのか、というソフトの事を伝えたくてずっと書いていました。

深谷: 私にとっても、建築を目指す中で訪れた京都の「ユーコート」は自分の中の「こういうものを作りたい」という原風景になっています。そこで見た夏の中庭の景色、住民どうしの関係にまるで「里帰り」が出来るような人の繋がりがあって。現在も設計するベースとしては、ハードとしての建築よりも、自分らしく生きられる幸せや人との繋がり、関係性が育まれる場を作りたいという思いを大事にしてそういうことをライフワークのように考えておこなっています。

※「ユーコート」
京都市西京区洛西ニュータウンに1985年に竣工した48世帯によるコーポラティブ住宅。住み手と設計側による話し合いが濃密におこなわれることで成熟したコミュニティーが形成され、住み手の夢や暮らしのイメージが実現してゆく住み手参加の住まいづくりが特徴。

「人間が生きる」という視点×建築とまちづくり


__兼松さんと深谷さんはそれぞれライター・編集者と建築家と、仕事としての立場は違いますが、実現したいビジョンや感性は同じものを感じます。お二人の出会いはどんなことでしたか?


深谷: ちょうど阪神淡路大震災の少し後くらいに、先ほどお話した京都の「ユーコート」の企画と実践をおこなった建築家で、まちづくり伝道師として広くまちづくりに関わってきた故 延藤安弘さん(1940〜2018)が震災の義援金集めの行脚として、幻燈会「音楽とまちづくりの響きあう夕べ」を各地で開催していました。その名古屋での会を主催していたのが兼松さんで、そこに私も参加したことが出会いでした。
 
延藤さんの「幻燈会」は、手がけたまちづくりの実例や発想、哲学を絵本とスライド、音楽の生演奏と自身の語りと一緒におこなうもので、すごく魅了されました。人間性というか、「人がそこに生きる」という視点が幻燈会には常にあって、やはりハードからというよりもソフトである「人の営み」が大事ということを伝えていました。
 

兼松 : 私にとって深谷さんは神戸の真野地区にボランティアで居た深谷さん、という印象が強くあります。

深谷: 阪神淡路大震災の後1年間、神戸市長田町の真野地区で復興支援のボランティアをしていました。大学院を出たばかりの時、下町文化の色濃い場所でそこで復興をしていくのにはなかなか厳しい状況で、きれい事でもないことがいっぱいある訳で、そこで人が人と何かをやっていくという環境。貴重な体験をたくさんさせてもらいました。


川合健二さんのことを書かなければならない。


__兼松さんは東日本大震災の後、雑誌「棲」第5号の中で「いまこそ、川合健二」として特集記事を書いています。健二さんと花子さんを取材された時のことを教えていただけますか?

兼松 : 健二さんとの出会いはもう圧倒的感動でした。1996年に健二さんが亡くなるまでに4、5回お目にかかっています。最初はたまたま用事で豊橋に来ている時に、その時ご一緒した前田幸三さん(「川合健二マニュアル」の中の“川合健二持ち物図鑑のスケッチ”の作者。)が帰りに「面白いところが近くにあるからちょっと行ってみない?」と言うんです。

それが健二さんの家だったのですが、電話したら「来てもいいよ」って言ってくださって。7、8人で押しかけたんですが、健二さんはいきなり私達にエネルギーの話をわぁーっと、水素発電のことや色々、もうホントに渾身の力を込めて話してくださったんです。全然意味は分からないけれど、すごい熱量でただただ圧倒されました。

その時、私はライターの仕事を始めたばかりの頃だったのですが、「この人のことは絶対に書かなければいけない」、そう思いました。この時の感動は今でもずっと私の中で続いていて、人生の中で健二さんという存在に出会ったことはすごく大きいです。


独立独歩 自分の頭できちんと考えて自分の足で歩こう


兼松 : 
家自体が川合健二さんの哲学でしたね。もちろん、健二さんと花子さんとお話することも素晴らしいのですが、この家から伝えられるもの、空間や暮らし方や生活用品などの全体から感銘を受けます。その生き方というのは「独立独歩」。「自分の頭できちんと考えて自分の足で歩こう」という教えです。それ以後何度か訪れていますが健二さんからは、そのことをすごく伝えたいということが強く感じられました。


花子さんのようになりたい


__花子さんは健二さんが亡くなってからも約20年間、コルゲートハウスに住んでいましたね。花子さんとの交流はその後どんな風でしたか?

兼松: 私は健二さんからだけではなく、花子さんからもすごく影響を受けました。その後も1年に1度か2度は伺って花子さんと半日くらいずっと一緒に喋っている、ということをしていました。花子さんご自身が哲学がある方ですし、健二さんの考えをよく理解していらっしゃって、とてもインテリジェンスのある方でした。
 
花子さんは私にとって心の拠り所のような存在だったので、花子さんが亡くなった時はすごくショックでした。うちで飼っている猫にハナコっていう名前を付けたのも、花子さんのことを忘れたくない、という気持ちがすごくあります。「花子さんのようになりたい」というのが私の目標でもあるんです。多分、私の人生の中で一番影響をもらっている人だと思います。
 

「棲」5号 -いまこそ、川合健二-


兼松 : 
健二さんのことをいつかきちんと書こう、と思っていた矢先に東日本大震災が起こり、「もうこの時しかない」と思って特集しました。表紙の写真は1994年に伺った時のものです。「この家は地面に繋がっていないから地震に強い」って健二さんはすごく言っていました。阪神淡路大震災の時も少し揺れただけだったと聞いています。


家を考えることは生き方を考えること


兼松 : 
家を考えようとする時、自分がどういう暮らしをしたいか、何を食べてこうやって生きていくんだ、ということがはっきり分からなければ、良い家は出来ないし、それはまちづくりを考える時、国を考える時も同じ。でもそれは、結局は個人の幸せを考えることからなんだなぁと思います。
 
私が健二さんと花子さんのところで感化されたり何かを感じたように、私達のこれからのここでの暮らしの中で、来た人が誰かと繋がったり、何かを感じて受け取ってもらえたら嬉しいです。順番に受け継ぐ、繋いでいくということはすごく意識していることです。
 
新しく生まれ変わった川合健二邸が、私自身が感化されたようにたくさんの人に生きる力とヒントを届けていくことを楽しみにしています。

by FOOD FOREST



Living and editing about human Life

-Fascinated by the energy of independence and self-reliance-

__For this interview, we visited Jokoji-cho, Seto City, Aichi Prefecture. The house is located in a rural natural area by Jokoji Temple, which prospered as a family temple of the Owari Tokugawa family. This area used to be a community of people who managed the Tokugawa family's mountains, procured firewood, and guarded the graves of the Tokugawa family members.

We spoke with Harumi Kanematsu, who lives here, and Tomoko Fukaya, an architect and longtime friend of Ms.Kanematsu. Ms.Kanematsu is the editor and publisher of "Sumika," a magazine published from 2009 to 2019 under the theme "Live Freely, Dwell Freely." The fifth issue, published in 2011, featured the Kenji Kawai residence and the lives of Kenji and his wife Hanako under the title "Now is the time, Kenji Kawai.
 
As an architect, Fukaya is particularly concerned with how buildings and places interact and grow with people, and she designs " dwelling" forms.

The house we interviewedtoday is a 100-year-old house that was designed and renovated by Ms. Fukaya, and is used as a guesthouse, which is visited by many people. Recently, Ms. Fukaya also designed a separate house where Ms. Kanematsu can spend her private time. We interviewed them about how they have been looking at “ dwelling” as editors and architects, respectively.

▪︎Harumi Kanematsu  writer/editor  representative of Jiyu Kuukan
▪︎Tomoko Hukaya            Architect  representative of F sekkei-shitsu


Continuing to edit and write about " Dwelling”


__Kanematsu has consistently introduced various types of "houses ;  dwellings as places where people can live freely and spontaneously" in the free newspaper "Jiyu Kuukan -free space in Japanese -" from 1992 to 2004, and later in the magazine "Sumika" from 2009 to 2019, while at the same time At the same time, you have been introducing people's unique way of life and the way of community that they create with others. What kind of thoughts and experiences do you have in mind?

Kanematsu : Ever since I was a child, I loved "Anne of Green Gables" and "Little Women, ets.." and I just loved to imagine and think. I also had a great experience of admiring the lifestyle of the grandmother where I stayed when I studied abroad in England for a short time during my college years, and gradually became interested in life and home.
 
Later, after getting married and having a baby, I decided to build a house when I was 27years old, but I had no idea what kind of house I wanted to build. From there, I began to want to learn about houses. When I built my ideal house, the place where I lived and the environment changed, I was able to connect with my neighbors, and my life, which had been closed off by child-rearing and housework, became more open. I was moved to realize that the way a house is designed can have such a positive change to a daily life.
 
However, inside the house, there were differences in the sense of values among family members, and I felt lonely because of such differences. In such a situation, I realized that while the hardware of the building is of course important, the software ; the people , inside is even more important. Even a beautiful building is meaningless if the people in it do not get along with each other. Since then, I have been interested in the relationship between people's way of life and their homes, as well as the relationship between communities and places where people live together with others.


Introduction to "Yu-Coat" corporative housing


__What was the reason for starting the free newspaper "Jiyu Kuukan," which you have published since 1992?

Kanematsu : When I visited "Yu-Court," a cooperative housing project in Kyoto in 1991, I was so impressed by its splendor that I wanted to write about it and tell people about it! That is how I started to create "Jiyu-Kuukan" . From there, I wrote "Jiyu-Kuukan" as a free paper until 2004, and "Sumika" magazine from 2009 to 2019, with the basic idea remaining the same ; to report the thoughts and processes of the people who live there, and the soft things that make this place what it is.
 

Fukaya : For me, as well, "Yu-Court" in Kyoto, which I visited while developing my architectural career, has become the basic image of what I want to create in my own mind. The view of the courtyard in summer and the relationship between the residents there provided them with a connection with people that made them feel as if they were returning to their hometowns. I still design not so much architecture as hardware, but rather I value the happiness of being able to live in one's own way, and the desire to create a place where connections and relationships can be created and nurtured.
 
 

Yu-Court  /  A cooperative housing complex of 48 households built in 1985 in Rakusai New Town, Nishikyo-ku, Kyoto City. The mature community was formed through intensive discussions between the residents and the designers, and is featured by the resident's participation in the creation of a home in which their dreams and images of their lives are realized.


Perspectives on "Human Life" , Architecture and Town Planning


__Ms. Kanematsu and Ms. Fukaya are a writer/editor and an architect, and although positions as professionals are different, I feel that you have the same vision and sensibility that you want to realize. How did you two first meet?

Fukaya: Shortly after the Great Hanshin-Awaji Earthquake, Yasuhiro Endo (1940-2018), the architect who planned and realized "Yu-Court" in Kyoto and has been widely involved in community development as a guide for planning, held "Harmonious Evenings of Music and Community Development" in various locations as a fund-raising campaign for the earthquake disaster. Ms. Kanematsu was the organizer of the Nagoya event, which I also attended, and that was how we first met.
 
I was fascinated by his presentation, which was a combination of picture books, slides, live music, and his own storytelling, as well as examples of his work, ideas, and philosophy. The projection show; Gentou-kai in Japanese , always had a humanistic perspective, emphasizing the importance of "people's lives" rather than "hardware".
 

Kanematsu : For me, I have a strong impression of Ms. Fukaya, who was a volunteer in the Mano area of Kobe.

Fukaya : For a year after the Great Hanshin-Awaji Earthquake, I worked as a volunteer in the Mano area of Nagata-cho, Kobe City to support reconstruction. I had just finished graduate school, and the situation was quite difficult for reconstruction there in a place with a strong downtown culture, and there were many things that were not easy to do, not even nicely, but an environment where people were doing something with other people there. I had a lot of valuable experiences.

__I see that such experiences and thoughts led to your encounter with Ms. Kanematsu and your subsequent thoughts on architecture.


"I will have to write about Kenji Kawai."


__After the Great East Japan Earthquake, Ms. Kanematsu wrote a feature article titled "Now is the Time, Kenji Kawai" in the fifth issue of "Sumika" magazine. Could you tell us about the story of your interview with Kenji and Hanako?

Kanematsu: The meeting with Mr.Kenji Kawai was absolutely amazing. I have seen Kenji four or five times before he passed away in 1996. The first time was when I happened to be in Toyohashi on business, and Mr. Kozo Maeda (the author of "Sketches of Kenji Kawai's Personal Items" in the "Kenji Kawai Manual"), who was with me at the time, asked me on the way home, "There is an interesting place nearby." That was Kenji Kawai's house! Seven or eight of us went to his house, and he suddenly started talking about energy, hydrogen power generation, and all sorts of things, putting all his energy into his speech. I couldn't understand what he meant, but I was just overwhelmed by his great passion.
 
At that time, I had just started my career as a writer, and I thought to myself, "I definitely have to write about this person. The impression I felt at that time has remained with me to this day, and meeting Kenji was a huge part of my life.
 

Independent and self-reliant.
Think for yourself and going the way you believe in, with your own legs


Kanematsu :
The house itself was Kenji Kawai's philosophy. Of course, it is wonderful time to talk with Kenji and Hanako, and I was also impressed by what is expressed in the house as a whole: the space, the way of living, and the daily items. Their way of life is "independent and self-reliant. It means to think with one's own head and walk with one's own legs. Since then, I have visited the house several times, and I strongly felt from Kenji's words that he wanted to show this message to others.
 

"I want to be like Hanako"


__Hanako lived at Corrugated House for about 20 years after Kenji passed away. What was your interaction with Hanako like after that?
 
Kanematsu : I was very much influenced not only by Kenji but also by Hanako. After that, I would visit once or twice a year and spend half a day or so talking with Hanako. Hanako herself was a philosophical person, and she understood Kenji's ideas very well and was a very intelligent person.
 
Hanako was like a rock to my heart, so I was very shocked when she passed away. I named my cat Hanako because I did not want to forget her. It is my dream to be just like Hanako. I think Hanako is probably the person who has influenced me the most in my life.
 

"Now is the Time Kenji Kawai" - "Sumika" No. 5


Kanematsu : Just as I was thinking that one day I would write an article about Kenji, the Great East Japan Earthquake occurred, and I thought, "This is the right time," so I decided to feature him in this issue. The photo on the cover was taken when I visited him in 1994. Kenji said very strongly, "This house is resistant to earthquakes because it is not bound to the ground. I heard that the house only shook a little when the Great Hanshin-Awaji Earthquake hit.


To think of one's home is to think of one's way of life.


Kanematsu :
When considering one's house, one must have a clear idea of how one wants to live, what one wants to eat, and how one wants to live, otherwise a good house cannot be built. But in the end, it all starts with thinking about the happiness of the one's own individual.
 
Just as I was inspired and felt something at Kenji and Hanako's place, I would be happy if, in our future life here, people who visit us can connect with someone or feel something and receive it. I am very conscious of passing on and creating a link in turn.
 
I look forward to the newly reborn Kenji Kawai's House giving many people the power to live and hints to live as I myself was inspired by it.


by FOOD FOREST



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