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【理事長コラム】道元に学ぶ非常時の過ごし方

先週、京都の高台寺にて、大阪のフードアナリスト会員の方が催されたお茶会に参加してきました。高台寺は豊臣秀吉の正室・寧々が秀吉の死後に余生を過ごしたお寺です。 豪華絢爛が好きな秀吉の正室だった寧々ゆかりのお寺だけあって、。桃山様式の蒔絵が多数用いられています。

茶会では住職が、道元禅師のエピソードを紹介されました。道元は曹洞宗の開祖で、臨済宗を開いた栄西とともに鎌倉時代に禅宗を創始した名僧です。
栄西は「喫茶養生記」という書物を表し、日本に緑茶をもたらしました。また、臨済宗の流れをくむ大徳寺の利休が茶道を発展させるなど、時代のトレンドにも乗れる人でした。そして熱心な支持者によって経済的にも支えられました。

いっぽう、道元は「不立文字只管打座」(ふりゅうもんじしかんだざ。つべこべ言わずにただひたすらに座るのだ、の意)という言葉に象徴されるように、他の鎌倉宗教の教祖に比べて圧倒的にピュアで原理主義でした。本来、仏教者は、托鉢喜捨以外に収入を求めてはいけません。駐車場や拝観料などもってのほかです(笑)。

◆寺の食糧が底をついた

座禅修行にのみ打ち込むことを好んだ道元は、最終的には京都の伏見を離れ、福井で永平寺を開きます。しかし、福井でも経済的困窮は続き、ある日、弟子が道元のもとに来て言いました。

「まことに申し上げにくいんですが、本日食べるものが何もありません。」

師に訴えるぐらいですから、よっぽど食べるものがなかったのでしょう。
それに対して道元はなんと答えたか。

「食べ物については私がなんとかします(私が支持者のところに行って分けてもらいます)。ただ、皆さんは、普段と変わらぬ暮らしをしてください。
 普段と変わらぬ暮らし(修行)をすることが一番大事です。」

心技体、と武道などでは言います。心と技と体は1つです。この中で一番大事なのは何か。体です。体を基礎にした毎日があっての瞑想であったり呼吸であったり、つまり修行が存在し得ます。その意味で食事は大切です。

ただ、道元が伝えたかったのは、食べ物がないという有事においても「修行を志す者にとって一番大事なのは、普段通りの暮らしなのだ」ということなのでしょう。

新型コロナで、世界中がひっくり返り、日本でも新しい生活様式が求められています。だからこそ今、道元のこの逸話を思い出したいのです。

          (日本フードアナリスト協会・理事長 横井裕之)


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