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たったひとりのサッカー観戦記 「アカレンジャー」を追いかけた1年半


書いた人: J4ck(@J4ck_siyl)
ガンバ大阪とアーセナルを応援する普通のサッカー好き。だったのが、中田英寿さん、宮間あやさんの「サッカーが文化に・・・」発言でサッカー沼に落ちてしまった。文化ってなんすかと考えながら、サッカーに生きる人々のあれこれを集め編むため今日も頭と体を回す。

◆要約すると
・あるサッカー選手のサポーターになり
・勝気なその選手の言葉に魅了され
・1年半の変化を通して「サッカー人としての成長」を考えた


この1年半、僕はひとりの選手のサポーターとして、他の誰にも負けない声援を送った。というより正確には、応援の競合相手はほぼいなかった。なぜならそいつはJ1にもJ2にも、世界中どのリーグを探しても見つからない選手だからだ。僕が必死に応援した選手は、僕と同じ教室にいた。同じ大学のサッカー部の選手だった。

「俺が一番上手えから」「〇〇さんがきてくれたから、絶対点取ってやろうと思ってました!」なんて生意気で強気な言葉を平然と口にする。そしてそれをその通り実現する。まるで古いアニメや漫画の主人公みたいなやつだった。

そんな「アカレンジャー」に魅せられ、追いかけて、真っ赤だったそいつの変化について考えた1年半について。


◎出会いと初観戦


「個人的には、楽しくサッカーできりゃそれでいいんですよ。でも、マネージャーとか、自分じゃ勝敗をどうにもできない人たちが、色んな形でサポートしてくれて、応援してくれる。だから全力で勝ちたいと思うんですよね」


2018年4月。そいつのサッカーを観に行くようになって1年が経っていた。夕食のために入った洋食屋。面と向かって言われたのはこれが初めてだったかもしれない。

だがそれまでも、試合の前後に電話やLINEで熱い言葉をもらった。ここまで率直に思いを口にする人は初めてだった。


最初に試合を観に行ったのは2017年6月。僕が大学4年、そいつが3年の時だった。初観戦のさらにその1年前、所属するゼミで出会って以来、何度か「観に来てください」と言われていた。どうやら下級生ながら背番号10を身に着け、試合に出場しているらしい。その言葉につられ、ひとり会場へ向かった。

正直に言うとその時まで、大学サッカーを舐めていた。それも所属が2部B(実質3部)リーグとなればなおさらだ。プロの試合もいっぱい見てるし、そんな試合退屈なんちゃうか・・・ところが。

初めて見る大学サッカーの、何と激しく、よく走ることか。ボール目掛けて激しくプレスをかけ、球際では一歩も引かずバチバチぶつかりあう。ボールを奪われるとすぐに方向を変え、襲いかかるように間合いを詰め奪い返しにいく。攻撃も負けじとシンプルにゴールに狙いを定め、スピーディに攻め切ろうとする。

これめっちゃおもろいわ、となるまで時間はかからなかった。「部活」の雰囲気に懐かしさも感じつつ、目の前の試合に夢中になった。

そして、背番号10だ。小さな体で最前線に陣取るあいつのうまさはすぐにわかった。まず目を引いたのは、ディフェンスの背後を取る動き出しの速さ。ものすごいスピードで対角に走り、ボールを引き出す。それを正確なトラップで難なく自分のものにすると、迷いなく仕掛け、ゴールを目指す。それを何度も、何度も繰り返す。まさにストライカーだった。

その試合は確か4、5点取られて負けた。だけど両チームで最もゴールに迫ったのはそいつだったし、チーム唯一のゴールをアシストもした。そして僕は、その試合のうちにそいつを応援することを決めた。


その後何度か試合に足を運んだ。プレーと同じくらい印象に残ったのは、とにかくよく声を出すということだ。シュートを外すと猛烈に悔しがり、ミスした仲間を叱咤し、削ってきた相手に暴言を吐き、自分のミスなら外にも聞こえるくらいの「悪ぃ!!」。漫画の世界から出てきたんちゃうか、と思わせるくらいの振る舞いは正直、自分が部活でサッカーをしていた時は嫌いなタイプだった。

それが外からみると本当に魅力的だった。サッカーに捧げてるんやな、よし応援しよう、と思わせる大きな要因になった。

本当に捧げていたかどうかはわからない。それは芝居がかっているようにも見えたし、周りになめられないよう、わざとそんな態度をとっていたのかもしれない。ともかくそいつは毎試合同じように振る舞い、得点を量産し、試合の前後で熱い言葉をくれた。

「応援聞こえてましたよ、力になりました」「足ちぎれてでも勝ちますよ」「勝っても俺がヒーローにならな意味ない(笑)」

チームは最終節を終えて4位。上のリーグへの昇格をかけた入れ替え戦に臨んだ。18試合のリーグで6ゴール7アシストをあげたそいつが「間違いなく一番熱い試合になります」と言った決戦はスコアレスで再試合までもつれたあげく、0−1で敗れた。昇格を逃しただけでなく、試合中のPKを外してシーズンを終えたそいつからの、試合後のメッセージはこれだけだった。

そいつは最終学年を迎え、新チームのキャプテンを任された。


◎主将と変化


前章冒頭のコメントは、キャプテンとして迎えたリーグ戦の初戦を終えた後のことだ。これまで通りの熱っぽい言葉だった。

しかし最上級生となれば、サッカーばかりとはいかない。就活、そして卒業論文。否が応でも向き合わなければいけない。そいつは「運動部活動における勝利至上主義」を卒論のテーマに選んだ。

いったいどんな文章を書くんだろう。「勝たなきゃ意味がない。点を取れなきゃ、ヒーローになれなきゃしょうがない」と何度も口にした、過去の自分にどうやってケリをつけるんだろう。そのテーマを自ら選び取ったことで、ますます選手としての興味が湧いた。

キャプテンになったそいつを中心に、チームは連戦連勝。前期リーグを8勝1分の無敗で終え、首位ターンを決めていた。社会人になった僕もなんとか3試合に顔を出し、試合を見届けた。

キャプテンなんて初めてですよ、と就任直後そいつは言っていた。外から何試合か観ただけだが、どちらかというと「エース」であり「主人公」のイメージはあれど、「キャプテン」というとしっくりこなかった。言葉同様、よく言えば奔放で大胆、悪く言えばわがままな選手だった。

プレーで引っ張るキャプテンというのもいる。そんな風になるんだろうと思っていた。そのプレーの特徴は昨年と変わらず、得点やアシストを量産した。流れの中のチャンスメイクに加えてセットプレーのキッカーも務め、攻撃において常に相手の脅威であり続けた。

ただ、そいつが点をとるところをなかなか目にすることはできなかった。そしてなんとなく、昨年のあいつの「アカレンジャー」っぽさ、勝気で大胆な部分も薄れているような気がした。

見慣れただけかもしれない。プレーは相変わらずワクワクする。だけどなんとなく、大人になったような気がした。それは例えば、これまでと違い、試合後真っ先に走って相手ベンチや審判に挨拶をしに行くような部分にも現れていたと思う。


盤石に見えた前期に比べて、後期は苦戦していたらしい。先制されてすんでのところで追いついたり、セットプレーでしか点が取れない試合が続いたらしい。「らしい」としか言えないのは、仕事で試合にほとんど顔を出せなかったからだ。大学の実質3部リーグの試合。当然テレビ観戦はない。

それでもなんとか、2試合に足を運んだ。出張帰りにスーツケースを抱えてグラウンドまで向った。観戦に訪れるのはほとんど選手の親御さんで、多くて20名くらい。その中に混じって試合を見つめた。

最後に観戦したのは、最終節の一つ前の試合。その時点で後期3勝4分けのチームは順位をひとつ落とし、勝ち点差1の2位だった。3位チーム相手の試合だったが、3ー0で快勝。そいつも前半の2分に相手DFのボールをかっさらって得点を奪い、決勝点をあげていた。職場から慌てて試合に向かった僕は、その得点を観ることが叶わなかった。

1位チームの引き分けで再び首位に立った上、翌週の最終節はその相手との直接対決。「今までで一番熱い試合」になるのは確かだった。そして優勝となると、それはイコールそいつの引退試合だった。だが、その場にいけないことは決まっていた。


好きな選手の引退に立ち会えない。こんなに辛いことはない。すると試合前日、チームのブログが更新された。

ストレートな物言いは変わらず、しかし自分の思考や感情の変化が正直に綴られていた。

有終の美を飾ることだけ期待した。出先からツイッターを見守る。




◎引退と答え合わせ


引退から3日。僕はそいつと2人で夕食の席を共にした。

話には聞いていたが、どうやら試合後はめちゃくちゃ泣いたらしい。「嬉しいよりも、ほっとした思いが大きかったですね。キャプテンはめちゃくちゃキツかったんで」

考えていた通り、背中で引っ張るタイプのキャプテンになろうと最初は思ったらしいが、普段の振る舞いから模範であれ、と求められたことが難しかったようだ。二度とやりたくないっす、と笑って言えるのも、最後に大きな栄冠を勝ち得たからだろう。13ゴール6アシストと、個人成績も申し分なかった。


ハッピーエンドにふさわしいが、ここで終わるわけにはいかない。「勝利至上主義への抵抗」を掲げた、あの卒業論文が残っている。

「そうなんですよ、勝っちゃったから!やっぱり勝利が全てなんだって思いたくなりますよ。それくらい、得るものが大きすぎました」

言葉は続いた。

「でもこの卒論を書いてる時点で、サッカーだけじゃないですからね。俺のサッカーは、サッカーだけじゃ終わらなかったんですよ。この経験を活かしたいです。こっからですよね」


「一意専心」とは耳障りよく、「一行三昧」とは聞こえがいいが、それが結果として「一つのこと」しかできない硬直した心身を生むだけならば、語彙の示す本意とは大きく異なるだろう。それ「だけ」ではなく、それ「も」でなくてはならないからだ。あれもこれもの経験が「一つのこと」への邁進を可能にし、今度はその「一つのこと」への取り組みが人生を多方向に切り開いてゆく。(『生きるためのサッカー p.232』)

サッカーに限らずスポーツ選手にとって、「成長」とは何かを定義することは難しい。しかし上の引用をもって1年半を振り返る時、「サッカー人」としての確かな成長が見えた気がした。ひとりで試合を決める「主人公」から、多くの人との折衝を余儀なくされるキャプテンへ。そして、卒業論文を通して自らの経験や行動と向き合った。強気な言動や感覚的なボールタッチは魅力的だったが、それらをコントロールする意志と技術を身につけたことを、最後の言葉が端的に示していたように思う。



最後に

神戸大学サッカー部 背番号8 内藤輝

ずっと記憶に残る光景と言葉をありがとう。



みなさまの心に残るサポーター経験は、どんなものですか?


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