そのとき何を考えるか~質問力の向上~

文・むらやっち
整形外科/リハビリテーション科の医師。いわゆる「お父さんコーチ」としてサッカーに関わっている。

【要約すると]
1.学びの場には質問が必要が存在する。
2.質問には多くの種類がある。
3.質問を考えることで物事を深く考えるようになる。

こんにちは、今回のフットボリスタラボnoteのテーマは「ここは絶対負けないと思うこと」になっております。このラボnoteのテーマは、某筋トレマニアの方が頭を悩ませて出しているものなんですが、今回のテーマは多くのラボメンが更に頭を悩ます結果に。。。。。

さて、今回のお題をみて自分も小一時間考えた。医師として、サッカー指導者として、絶対に負けない分野があるとは言えない。それは、いくら勉強したところで荒野を歩いていることに変わりはないからこそだ。考えないと出てこないものが果たして「絶対に負けないと思うこと」なのかは疑問に思うところであるが、一つだけ思いついたので書くことにする。

なお、自分の記事は箸休め的存在で、サッカーにあまり関係がないです。

さて、昨今、世間には様々な形で情報が満ちあふれている。サッカーにおいては、戦術分析の大流行や新たな戦術用語の登場が目新しいところだろうか。このため、指導の現場における選手と指導者のコミュケーションはもちろんのこと、指導者の学びも重要視されてきている。この流れにより、様々なメディアによる情報発信、講習会、イベントなどが開かれているわけではあるが、参加した際に有効に活用できているだろうか。今回取り上げたい話題は、「質問を考える」ことである。
例えサッカーと関係なくとも、仕事、学校、家庭などそれぞれの社会において、人と話すことにより「質問」を活用する場が必ず存在するのではないかと思う。しかし、質問を考えるということは、なかなかにして難しい。

質問とは?

デジタル大辞泉にはこうある。

しつ‐もん【質問】

[名](スル)わからないところや疑わしい点について問いただすこと。また、その内容。「質問に答える」「先生に質問する」

質問をするということは、立ち位置によってだいぶ意味が変わるのではないだろうか。一つの例として、教える側としての質問がある。質問をすることで、「相手が何を考えているか」を引き出すのが目的になる。

こうやって画像にすると違和感を覚える方もいるだろうが、それについては後述することにする。

別の例として、学ぶものとしての質問がある。まさに、「自分がわからないところ」を聞くことになる。

他にも「情報を得るために」という質問もある。

具体的な例として、自分のもつ二つの立場による質問をあげてみる。

医師による質問

医師として言えば、医療面接の際に患者に対して問いかける質問がある。定型的には、自由回答を促すオープンな質問、「はい・いいえ」のような選択肢を用意するクローズな質問の2種類に分類される。自分が受けた医学教育の場では、まずはオープンな質問をすることが推奨されていた。

それは、患者の直接的な思いを聞き逃す可能性があるからだ。また、選択肢を最初からつけることにより、診断をする上で視野が狭くなってしまうことがあるという。別の問題として、オープンな質問を繰り返すと診断に至らない、重要なポイントを聞き出せないといった問題点がある。最終的にはクローズな質問をすることになる事が多い。
これは、「情報を得るために」行っている質問だ。

さらにちょっとした質問の方法として、医師がよく使う質問がある。

この質問は、どちらを使うかで返答が変わってくることもあるので使い分けも必要なのだが、クローズな質問に加えてオープンな質問も入れ込んでいるパターンになる。


サッカー指導者による質問

指導者による質問とはなにか。それは、選手の思いを聞き出すことにも繋がるのだが、一番重要なのは選手のサッカーに対する理解度を知ることだろうと思う。選手にサッカーを言語化させることによって、理解を深める手法もあるが、それはあくまで副産物的なものにしかならない。これに関しても、まずはオープンな質問のほうが選択されると思うが、状況や年代、サッカーに対する理解によって幅広く考慮されるものと思う。

これは、「相手が何を考えているか」を引き出すのが目的になっている。
質問の是非はおいといて、世界中でこんな質問が繰り広げられているはずだ。これを見るだけでも質問というのが、非常に難しいことがわかる。

さて、自分が心がけている「質問を考える」について書くことにする。

学ぶものとしての質問

これは、「自分がわからないところ」を聞くことになる。
昨今は質問をするのにハードルを高くする言葉がある。

・質問をする前に事前に勉強をしろ・調べてわかることを聞くな・聞く前に自分で調べろ

自分の周りでもこれを意識するあまり、質問が出来ないと言う人間がいる。
変な話だが、インターネット上では質問をしにくい空気感もあったりする。
これは非常にもったいない事であると思う。自学の精神は大事で、上記のような言葉も最もだと思うときも当然ある。自分でもそこは、常に意識をしたいところと思っている。

しかし、質問をするのにも慣れが必要と、自分は考えている。
恐れていては質問が出来るようにはならない。

自分は、医師になって日の浅いうちから「講演会では必ず一日一個は質問をする」と決めている。場合によっては、一つのセッションで5個の演題があったりすると5個とも質問をしたりする。自分の質問のクオリティが高いか低いかはわからないが、とにかくこのように決めているため、少なくとも1つの講演は質問をするために必死で聴くことになる。

当然、みんな色んな考えをもって講演を聴いており、「質問をすることはないな」と思っている人もいると思うが、なかなか質問をする人が出てこないことが多いのだ。

質問考えることは学ぶこと

「わからないから学ぶ」のであれば、質問をしたほうがよい。
質問をする際、どのようなタイプの質問をするのか、質問が適切なのか、聞き逃したところに含まれてないか、既知のことではないか、色んなことを考える。質問をして恥をかくことも当然ある。内容が理解に及ばず、見当外れな質問をしてしまう事もある。しかし、質問について考えること自体が、自分の中での学びに繋がると自分は思っている。例え、質問をする相手がいなくとも、学びの場において質問を考える姿勢は持った方がよいのだ。そして、可能であれば質問をして相手とコミュニケーションを取った方が良い。

質問をする際、質問を考えることにより質問力が向上し、その先の学びに繋がっていくことだろう。


補足

途中で違和感を感じた方もいるかもしれないが、質問には方向がある。

先生と生徒のくくりでは上下方向に矢印を示し、旅行者と通行人では横方向に矢印を示した。質問をうけるのが苦手な方がいるとすれば、学生時代に先生からうける質問の多くを「正解を求められた質問」と捉え、「考えを聞かれた質問」と捉えることが出来なかったのだろう。また、正解を求められるあまり、手を上げて自分で質問することに苦手意識を持ってしまったのかもしれない。質問を考え、質問をする際、この質問の方向には気をつけることをおすすめする。

なお、奈良クラブGMの林舞輝氏は、通常であれば講演の最後に質問を受け付けるところを、講演のはじめに質問コーナーを設けていた。質問とは相手の考えを引き出し、質問に答えるということは自分の考えを相手に伝えることだ。この文章で述べたように、林氏は質問を聴衆に考えてもらうことによって、講演で学ぶ姿勢を整えたのだと思う。




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