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忘れないように色褪せないように。形に残るものが全てじゃないから。


「今、亡くなった。」

埼玉に戻る途中の電車で、いとこ弟から連絡が来た。

95歳のばあちゃん。

えっ?

急すぎて訳がわからなくなった。実は、水曜に手術をするかどうか考えた矢先のことだった。

医者の説明では、
「手術は相当なリスクがある。全身麻酔でショック死することもあるし、手術中に亡くなる可能性もある。でも成功すれば元通りと言わないまでも、生活はできるようになります。」とのこと。

家族会議の意見は割れたが、
最後は本人に聞こうということで、本人に聞くと、


「そりゃ、受けるわよ。早く温泉入りたいし。」

それには、全員苦笑。ばあちゃんらしいな!ということで、手術を即決。


最初から手術に肯定的だったいとこ弟は、こう言っていた。

「まず、話せるようになったことが奇跡だ。だから、そん時はそん時だよ。俺はこうやってばあちゃんと話せただけで満足だよ。」

1番側にいて、関わりが深かったいとこ弟がそういうのだ。


 ばあちゃんはその時まで、最後まで強かった。

見舞いに行った際も、「なんで私ここにいるの?早く帰りたいんだけど。」と言ったり、

いとこ兄の話によると、「ばあちゃーん来たぞ。」と見舞いに来るなり、「ブッ」と屁で返事されたわって話をされたり、

「朝ごはん食べたいんだけど、まだ?」とせがんできたりと、最後までばあちゃんの食い意地はばあちゃんだった。

そういや春にいとこ兄がばあちゃんと、和食定食屋に行った際、
ばあちゃんは「うどん」、いとこ兄はうな重を頼んだそうだ。

しかし、いざ2人のお盆を見るなり、

「あんたこのウナギ美味しそうね。ちょっとよこしなさい。」

と箸で持ってかれ、いとこ兄のウナギは3分の1うな重になり、ほぼ米になってしまったらしい。

いとこ弟も、「ついこの前に、がっつりラーメン食いいったんだけど、友達にその話したら、95歳がラーメン食えるか!って信じてくれなかったんだよ〜!」と嬉しそうに話していた。

最期の瞬間に立ち会えなかったのは心残りだが、最後に言葉を交わせたのは本当によかったと思う。

帰り際、ばあちゃんの手を握ると、

「源ちゃん。遠くからきてくれてありがとね。」
と言ってくれた。

未来への期待を込めて、
「おう、また来るわ!元気でね!」と約束して病室を後にした。


それでも、来る時は来る。



なんか書いてて、落ち着かなくてベランダに出た。
空を見上げた。
今日の月は雲でぼやけて、欠けている。
そもそも工事の関係で、網が邪魔だ。
今日は満月であってくれよ。

子供の頃、ばあちゃんちで食ってうますぎて衝撃を受けた「萩の月」が今日の満月だ。

ああ、めっちゃ懐かしい味がする。

言葉をもっと教えて
さよならだって教えて
今も見るんだよ
夏に咲いてる花に亡霊を
言葉じゃなくて時間を
時間じゃなくて心を
浅い呼吸をする、汗を拭って夏めく

ヨルシカ「花に亡霊」

思い出す季節は、いつも夏。

今でも懐かしい、宮城に降り立ったときの、草いきれの夏の匂いがする。


ガラガラと音を立てて開く引き戸。

ばあちゃんち特有の匂い。

窓から覗く爽やかな風と、田んぼ原風景。

夏にしては早すぎる赤とんぼが飛んでいる。

いつだって笑顔で、温かく迎えてくれたばあちゃん。

芯をしっかり持っていて、人生について、人の生き様について、語ってくれたばあちゃん。

もう忘れてしまったかな
夏の木陰に座ったまま、
氷菓を口に放り込んで風を待っていた

きっと俺はあの夏もばあちゃんのことも一生忘れない。




そして、奇しくも、
今日は「彼女できるまで毎日投稿」を始めてから100日目である。


ひ孫を見せられなかったのはマジで申し訳ないのだけれど、うまくいかなかったのだから仕方がない。不甲斐ない...。
いとこたちもしかり。


(脳内にワンピースより、解放のドラムが流れる。)

ばあちゃん、天国で見ててくれ。

俺は....このブログを.....

終わらせにきた!!!



ばあちゃん、

今まで、ありがとう。
俺がそこに行く時まで元気でいてくれ。

俺は最後の最後まで悔いのないように生きる。

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