「濱田庄司記念益子参考館」私考
濱田庄司記念益子参考館は、陶芸家濱田庄司が、自らの作陶の参考として蒐集した品々から受けた恩恵と喜びを、広く一般の方々と共有し「参考」にして欲しいとの意図で、自邸の一部を活用し1977年に開館しました。
田舎の健やかな生活から生まれた濱田庄司の世界観を、自然豊かな館内で味わっていただければ幸いです。
(公益財団法人
濱田庄司記念益子参考館)
「2023 益子陶器市」
最終日、思い立って出掛けました。ここ(参考館)へ立ち寄るのが目当て…
『陶芸家の逸話』
「師匠はない方がいい。ぼくも師匠はない。自分のやりたいことがやれる。それが個性だ。
河井寛次郎、バーナード・リーチらと友達になって今の自分になった。
師匠に三年ついて習えば、師匠から脱皮するには六年はかかる」
喜寿記念に刊行した『濱田庄司七十七碗譜』の茶碗作りの一文の冒頭で、濱田庄司(1894~1978)はこのように回顧している。
~京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った~
畏れ多くも。私は創る人。
この仕事場に立つ度に新しい自分を発見し、謙虚になっていく。
長々悩んでいた事柄が嘘のように昇華していく…
「やきものでも作ったというより生れたというような品がほしい」と濱田はいう。
野や畑へ出て果実や野菜が育つ健康美を手本に何年も身についた意識しないものが体で覚えているから轆轤で形が生まれる。
田村耕一が学生の頃、濱田にはじめて会った。昭和13年の春休みであった。
"春の陽をあびて大きい犬が足元でねむりこけていたのが、自然に包まれた陶家の美しい風景のなかに印象的だった"
(陶説・昭和五十二年、濱田庄司展に因んで)
柳宗悦を理論的指導者とする三人は民衆の工芸を略して「民芸」の造語を生んだ。(大正末期)
参考文献:名匠と名品の陶芸史 (講談社選書メチエ)
道辻(つじ)や集落の境目などにあって、ほかのところから悪霊や疫病などの悪いものが村に入り込まないように見張っている神様
この季節、庭内の所々楚々と咲くリンドウの花、数多い落ちたドングリの種類も多い。キラキラ輝くものは何もない。年齢を重ねる度に心に落ちる。
黒ぶちメガネの濱田庄司が,工房の轆轤の位置から立ち上がる気配を感じる。
あゝ84歳で天寿を全うされた。
『意識しないものが体で覚えているから轆轤で形が生まれる』
パッチワークで申し訳ないのですがnoteの備忘録にしたいと思う。
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