研究対象語はどうやって選ぶ?

 このnoteは黒木邦彦先生企画の2023年アドベントカレンダー「言語學なるひと〴〵」12月21日分の記事です。

 はじめまして。簡単に自己紹介すると、現代日本語の語彙、とくに新語を研究している大学院生です。提出まで4週間を切った修士論文に追われています汗
 この記事は、私によく寄せられる疑問(を通しての私の研究紹介)、研究上で大事にしていること(論文紹介)の二本立てで構成されます。言語学をやっている人にとっては、当たり前のこと?で、読んで「すげー!ためになった」となることは少ないと思いますが、少しばかりおつきあいください。
 1によく寄せられる疑問、2に研究上大事にしていることを述べています。疑問が気になる方は1を、研究上大事にしていることが気になる方は2をお読みください。


1.よく寄せられる疑問

➀なぜ新語を対象に?

 この疑問は自己紹介すると最も聞かれます。「研究は面白いからやるんだ」というのは、言語・言葉に興味がある人の共通理解だと考えています(慶応義塾大学の音声学者、川原繁人先生の影響をかなり受けています)。
 新語は面白いから対象にしていると言えばそれまでなのですが、もう少し具体的に書くと次の通りになるでしょうか。すなわち、新語は、単独で現れるのではなく、経済・教育・政治などのほかの領域との関係(しかもその関係は複合的)で現れる点に面白さを感じたからです。修士論文で扱っている「じぶんごと」は、ほかの領域との絡み合いが非常に面白く、気にいっています(自画自賛です笑)。途中報告ではありますが、日本語学会2022年度秋季大会の学生セッションで発表したポスターをご覧ください。

 修士論文を執筆しながら社会言語学をもう少し勉強しておけばよかったと思っています。

➁新語の範囲は?

 現代日本語の新語というと、年代はどこからどこまでですか、どういう条件があれば新語ですかという疑問です。これは難しいです。人によると思いますが、10年以内(長くて20年以内)の言葉であり、人々が新しいと感じた人が一定数いれば新語だと考えています。「一定数」「新しいと感じる」と書いたことからも分かる通り、新語研究は主観的な説明になるという問題点を孕んでいます。「人々の意識」をどう扱うかが課題と言えます。
 私は新語のなかでも、気づかないうちにじわじわと使う人が増えている言葉に興味があります。こういった言葉を「気づかない新語」と呼びます。定義を引いておきましょう。

使用者はその語が新語であることに気づかず、非使用者はその存在自体に気づかないというものである。使用者はその語が新語であるという意識がないため、話しことばでも書きことばでも躊躇することなく使用し、非使用者が気づかないうちに使用数も使用範囲も拡大してゆく。

橋本(2016:169)

 「気づかない新語」を含めて、「人々の意識」に注目を当てることで、新語の分類を再定義できるのではないかと目論んでいます。

③個別の対象語はどうやって選ぶ?

 私は具体的な一語から研究を進める立場を取っています。ひつじ書房から出された『一語から始める小さな日本語学』を想定してくださるとわかりやすいです。

 この立場を取っていると、手当たり次第面白そうな言語現象を扱っていると思われがちです(特に文学研究をされている方から)。そこでいつも話題にするのが「語彙史」の考え方です。語は孤立して存在しているのではなく、他の語と語彙体系をなしているという考え方です。言い換えると、個別の語の研究を複数の語の関係から捉えようとする研究です。「語彙体系」がキーワードであり、「この語は語彙体系から説明できるか」を気にして個別の対象語を選んでいます。
 卒業論文で扱った「おもわく」は語史レベルで止まっており、少し心残りです。「考え」や「予想」といった名詞とどう違うのか、どう関係しているのかをまとめきれていないからです。ご興味があれば、以下に論文化したものをおいておきますので、ご覧ください。

2.研究上大事にしていること

 理論からアプローチする場合、理論で説明できる、あるいは説明できない例を持って来られると思いますが(理解が間違っていたらすみません)、記述からアプローチする場合、ただ面白いだけの例を取り上げて説明するにとどまる可能性が付きまといます。
 この可能性をどう乗り越えるか。
 私なりの答えは、他の人の発表や論文を読み、相手が気になっていることを理解しようという姿勢です。詳しくは以下の書籍に収録されている高梨(2023)「「他者の関心に関心をもつ」ということ」をお読みくだい。


 一貫して「他者が気になっていることが何であるかを気にしよう」という態度を心がけていることを主張されています。この態度を取るのがなぜよいのか。「自分自身が自明視していた価値観などを再認識する契機とな」(高梨2023:123)るからです。さきの問題提起に対する答えに引き付けて言えば、どういう研究史があるのか、アプローチの仕方はこれでよいかなどを振り返り、面白いだけになっていないかを相対化できるということでしょう。もっとも、類似した考えは従来から述べられています。例えば尾上(2001)です。

 われわれが先人の研究論文を読むとき、ただその論文の論旨を表面的に理解しただけではその論文を読んだことにならない。その事実をなぜそのような視点で論ずるのか、事実を整序する際、あるいはある事実の背後にある論理をたぐり出していく際、それぞれのポイントで別の方向の展開もありえたはずなのになぜこの論文はその方向へ持って行ったのか、著者の気持ちに寄り添ってそのようなことを読み取ったうえで、その問題を扱う別の視点、別の議論との間で相対化する、そのような読み方ができたとき、はじめて読めたという気がするものである。

尾上(2001:ⅰ)

おっしゃる通りとしか言えませんね。
 ところで、お世話になっている非常勤で来てくださっている先生から、他の人のいろんな発表を聞きに行って質問しなさい、と昨年言われたのが印象に残っています。先生の意図は研究室以外の先生や院生とつながり、モデルとして学ぶ機会を増やすようにということだと捉えています(院生が多く先生が充実している場合は意識せずとも、その機会はあるはず)。発表後の質問に注目することは「他者の関心に関心をもつ人」に関心をもつことと言えましょう(関心×3で頭がこんがらがりますね)。

3.おわりに

 以上、寄せられる疑問への解答と、研究上大事にしていることの二本立てで書いてきました。修論提出(提出できるように頑張ります)明けに、言語学フェスが行われます。

そこで「話の肝はきもちわるい?蘇りの新語の例として」と題して、発表する予定です。興味を持たれた方はぜひお越しください。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【引用文献】
尾上圭介(2001)『文法と意味1』ひつじ書房
橋本行洋(2016)「新語・流行語」斎藤倫明編『講座言語研究の革新と継承        
  2 日本語語彙論Ⅱ』ひつじ書房, 161-196.



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