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コミュニティマネージャーって悲しい?(2/27)堀下

江本さん(じゅり)に巻き込まれました堀下(ほりしー)です。

この半公開交換”日記”は江本さんが2/20に書いた『はじまりのオリエンテーション』を受けて書いた”堀下の日記”です。江本さんが書いてくれた日記をまだ読んでない方はまずはぜひ”江本さんの日記”を先にご覧ください。

僕についてひとことで述べるとすれば、茨城県つくば市の筑波大学すぐそばでコワーキングプレイスTsukuba Place Labを立ち上げ、そして運営している人です。個人でもnoteを更新しており、自己紹介的な記事もありますので詳細はそちらに譲るとしましょう:『失敗を重ね続けた今。 -自己紹介に代えて-


ぼくたちの関係性(視点フロム堀下)

江本さんが書いてくれた通り、僕たちは2017年11月に出会いました。つまり「はじめまして」からまだ3ヵ月です。だけれども初めて会った時から彼女に惹かれていて。一緒に仕事がしたい、と思いました。

第一印象が強烈でした。僕が江本さんに会いにco-ba ikebukuroに初めて行った時、その時彼女は別件の打ち合わせをしていました。だけれども、その打ち合わせに集中をしている(であろう)うえで、僕らの動きやあるいは僕らのあとに入ってきた常連さん、そして訪問者に対して、気持ちよいなあと感じるタイミング、言葉、テンションで接していて。ああ、ここまでコミュニティに影響を与えずに価値を出せる人がいるのか、と思いました。

そしてなにより嗅覚が鋭く、物怖じせずにはっきりと想いを述べられる。

さらに踏み込んでいえば「なんで”雇われマネージャー”やってるんだろうな。彼女はきっと自分で全責任を背負ったうえですべてを愛し実行したほうが強いだろうに…」というのが最初の印象。ということで、”交換日記らしく”気持ち悪いくらいお互いを褒め合ったりしてみて…。だから、やっぱりこの日記は、会社ができるまでの布石なんです。


さて、日記を書きましょうか。


Q:告知かつ、ネガティブですか?
A:ちがいます。

思考したことを書いて残さないとなかったことになるんだなぁと思うことが、ここにありました。

それは情報の拡散について。

ぼくはLabでオープンから1年と3ヵ月に420本ほどのイベントを企画運営及び携わってきました。そんな中にあって、情報の拡散がスムーズにいくときといかないときがはっきりと分かれていると感じることがたまにありました。

自分なりに考えたときに、スムーズにいくときには発信者の熱量と、受信者の余白がある状態のときであるという結論に至りました。そのどちらが欠けてもうまくいかない。言葉を換えれば、ニーズを的確に把握したうえで、適切な人に届ける、と表現してもいいのかもしれない。

いずれにせよ、届けたい想いと受け取りたい人の感情とは常にセットで考えなければならない。すなわち、それを僕たちコミュニティマネージャーという立場に落とし込むならば、調整者であるとともに傍観者であらねばならないんだなあ…なんてことを最近感じました。



こんな”おまけ”をいただいていました。さらに言うと、

こんなルールもつくってくれたんですよね。

では、答えましょう。

きっと”かっこつけて”答えるならば、
2017/12/1の『1周年だよ!全員集合!』におけるこの写真が表していると言えます。

19坪のちいさなコワーキングに160名以上の方が入れ代わり立ち代わり来てくれました。本当に幸せな瞬間でした。


もちろんそれは100%本音ですし、嘘偽りなく幸せだったし、来てくれたみんな、お祝いを送ってくださったみんな、かかわってくれたみんなに対して感謝しています。

でも、かっこつけずに、本音で言うならば、
『Tsukuba Place Labで見た風景の中でいちばん嬉しかった』風景は別にあります。

「あれ?この人とあの人、こないだLabで初めましてしたのに気づいたら一緒に働いてる!」とか「Labのイベントで登壇していた人の場に遊びに行ったら、大好きになったので最近頻繁に行くようになりました!」みたいなそんな状態をあとから何かの拍子に知ったとき。これがいちばん嬉しいかもしれないです。

もしかするとこんな状態のことを江本さんは

コミュニティマネージャーって悲しい』って表現したのかなぁなんて思ってみた次第です。そしてそれをそのままタイトルにしちゃったわけです。

コミュニティは新陳代謝するし常に再構築され続けるものだと思っています。

それを否定することはちがうし、かといって促しすぎるのもまた違和感がある。いつもこの微妙な感覚を、日々現場にフィットさせながらトライ&エラーし続けるのがコミュニティマネージャーというお仕事なのかな、と思っています。

僕は常々コミュニティに対して『影響は与えず、価値を与えたい』と口にします。自分の影響が及ぶことに対して恐怖にも似た感情を覚えるときがあります。とはいえ、アクションを起こすということはたびたび影響も与える。だからこそ、そのものを与えるのではなく、考えるきっかけとか、方法とか、そんな”種”としての価値を与えたい、そう考えています。


江本さんは日々、時々刻々と変化している曖昧模糊とした”コミュニティ”に対して、自分の及ぼす影響をどう考えていますか?

つくばにいらしてくださった方にコーヒーでもご馳走するために使います!