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【雑想コラム】出羽守と日本人

「出羽守」というネット用語がある。主に海外在住者が外国を礼賛し、返す刀で日本をdisる行為で、兵法三十六計の「指桑罵かい」の一種である。

読者は反発するだろうが、出羽守は紛れもない日本の伝統文化である。
出羽守の歴史は意外と古く、江戸時代にまでさかのぼる。
江戸期の儒者は、漢籍に書かれた唐国(中国)を理想とし、海の向こうの唐国は聖人君子の多い素晴らしい国であると理想化した。
人間の想像力は偉大である。実際に海外に出なくても、相手を理想化する事によって出羽守になれるのだから。
そして、極度に肥大した中国観だけが代々引き継がれていった。大学教授などのインテリ層に「根拠なきチャイナ・ファンタジア」が多いのも、これが理由である。

SNSで発信していると、「共産主義だから変わったんじゃないの」というコメントを見る。何を根拠に述べているのか不明だが、何百年、何千年もその地で培われてきた文化は、イデオロギーひとつくらいで易々と変わるものではない、良くも悪くもだが。

日本人だって変わっていない。江戸から明治、大正、昭和と時代は変わっても、遺伝子のように受け継がれてきた価値観は変わらない。出羽守がそれを証明してくれている。
私から見れば、いわゆる「憲法9条信者」は「憲法九条さえ唱えていれば戦争は起こらない」というおまじない。「南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土へ行ける」の浄土信仰と何ら違いはない。平安時代から変わっていないのである。

しかし、数百年、親から子へ、師から弟子へと伝わった「中国出羽守文化」も、昨今の情報産業革命により崩壊しつつある。
数年数十年で上書きされるものではないが、現在は日本精神思想史の伝統のひとつが崩壊してゆく様を、リアルタイムで見ているのではないか。
百年後の未来から見ると、「この時日本の中国人観が崩壊したのだな」という、「その時歴史が動いた」時期に生きているのではないか。

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