親の心配

先日、塾の帰りに近くの知人の居酒屋に寄り道して帰りが0時近くになった日の件についてです。
(酒を飲むわけでもタバコを吸うわけでもないことは分かってます)

久々に私も感情的になり、私も息子も休む羽目になるほどに。。

まず、今回が初めてではなかったと言うこと。前回注意し約束(非常事態をのぞいて、ひとりでお店に行かない)したのに、早々に破ったことが残念で仕方なかった。前回は、私が2つめの仕事で出かけて塾帰りに家にいてあげられなかったことも原因かと思って(寂しさ、家に帰ってもつまらない・・など)、こちらとしてもできる限りのことを対応しようとしていました。

 そして今回は,私は家にいたし、むしろ塾の迎えに行こうとしたら、こなくて良いというので、待っていた。普段Wワークで帰りが遅い分、その日は早く休もうと思っていたりしたので、深夜にこのことで気がたってしまった。

こうして1週間経って書き出してみても、頭の中がまとまっていないのがわかる。早めに君へ言葉を残そうとしたけど、全く整理がつかないでいた。
(そしてコレを書き出して数日経つがまだまとまらない)

今私がすべきことは、今回の件で、私自信がただすべき部分があるということが2つ。もう一つは、どうしてここまで私も怒ったか、、ということ。心配ということにつきるがやはり、心配の中身を分解して説明したいと思う。

私がただすべきことの一つとして、あなたを沢山たたいてしまったこと。
もっと冷静になるべきところ、私は自分が家にいるのに、返ってこなかったことについて、自分が嫌われているのでは?、ここより居酒屋の方が居心地が良いのでは?私はあなたにこの家において居場所をつくれていないのか・・など。自分なりには必死に毎日を送っていて、理解して欲しいところも多いがそれを望みすぎているのかもしれない。そんなこともあって、悔しさだったように思います。
 また、ここまで一生懸命やっているのに、これで君が居場所を求めて、居酒屋意外にもどこかにふらついてしまうのでは・・というむなしさもありました。
 つまりは、こうなってほしくないという私の中の問題で、私は一人不安と心配とむなしさを、あなたへの怒りの感情にまかせていたと思います。本当にごめんなさい。
 私の場合、マイナス感情が怒ると、絡まった鎖を持ち上げたときのように、色んな処理しきれない感情がどんどんついてきてしまう。もっと処理できるようになりたいと思っています。

もう一つは、もっと君たちの気持ちに寄り添うことかもしれない。私も子どもの時、どことなく寂しい、もっと自分の事を気に掛けて欲しい、と思っていても、それを言葉にしたりすることはないと思う。私も子どもの頃、そういう意識を自分で認識できるほどに意識はなく、何となく、反抗したり、良い成績を取って自分を認めさせようとしたり、手伝いをして存在感をだそうとしていたのを思い出します。(ただ、私のこのやり方は結果的に自分を病気にしてしまったのでよくない)
 だから、そう感じさせないために、気持ちによりそっていつも応援しているということを伝えていきたいと思う。
 靴下の脱ぎ捨ても私が少し看過していいと思う。何もできない大人になってしまう、、と思うより前に、君たちにしてあげられることはしてあげようとは思う。(とはいえ、靴下くらいは自分で片付けて欲しいのが本心)

 どうしてここまで感情的になってしまったかについては、やはり心配と不安、自責の感情から来たと思います。

 深夜にふらつく→非行→犯罪・・・とか、非行→トラブル→ケガなど、を発展的に考えてしまいました。世の中の非行少年少女を否定するつもりはない。みな、理由があってそうなっていると思うのです。だから君たちが非行に走るとしたら私の責任でもある。 
 世の中、君たちが思うほど簡単なものでもなく、誘惑が多く、そして厳しいものです。好きで選んでその道にすすんだとしても、人に迷惑かけるような生き方は絶対にすべきではないと思う。
 前にも言ったけど、人の自由や権利、身体生命を、理由なく(理由があったとしても)侵害する権利はないのです。(仮に権利が対立することがあっても、できるだけ譲歩して欲しい。争って良いことはない。)
 そして、痛ましい事件が記憶に新しいが、君たちが被害者になることもある。私は君たちが意味もなく痛い辛い思いをすることは耐えがたい。
 そんな事柄がこのさき起きてしまうのではないか。。という心配が頭をよぎった。きっかけは小さなことから始まるモノです。人間は、少しずつ少しずつ、染まっていく。気付かないうちに。だから、今回の件は正当化できないけど、なんとしてでも理解させなければならないと。 
 一度踏み外したら、簡単には戻れない世界がある。忘れないで欲しい。
 そして、今感じた寂しさは忘れないで欲しい。(きっと忘れないと思う。)
 その寂しさをプラスにいかしてほしいのです。おまえのせいで辛いんだ!といわれるのは百も承知です。ただ、これまでのことはどうにもできないから、これからの生活で寂しくないようにもっと頑張ろうと思ってます。
 寂しいその気持ちで、人の気持ちを一つ学んで欲しい。私が言えた立場ではないよ。でも、そうやって優しい人になって欲しい。
 二度と寂しい思いはさせない、という約束はできない。生活の状況で仕事の量はふえることもあるかもしれない。ただ、今回以上に配慮します。約束します。かなり話がそれてまとまらないけれど。
 今回のことは反省して、次につなげていこうと思います。
 昔から失敗から学んでばかりだ。
 あとは、もう少し、信頼関係を築かなきゃね・・。まずは私が信じることからはじめるしかない。そう思います。

・・・余談・・・
 休んだあの日、上野の森美術館にエッシャー展を見に行きました。
バカリズムさんのガイドをもたせて、ゆっくり回覧している君にホッとしました。ちょっとは興味をもちそうだなって思ったのです。ゲームやスマホだけでなくて、あぁいうのもたまには良いかなと。好きにならなくてもいい。私もよく分かってないし。世の中は普段の生活だけでなく、とてつもなく色んなことがあるということを知って欲しい。色んな人がいて、色んなモノがあって。いいことも、わるいことも。そういう世界をより充実して生きていってほしいから、心も体も、色んな経験をしてね。
 君たちに反抗期があってよかったよ。私は大変ですけど、これもまた経験だから。いつか君たちの子どもが反抗期を迎えたときに、おおらかな気持ちであたたかく見守れるかもしれないし、大人になって反抗期の子どもを見てなにかしてあげられることがわかるかもしれない。

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