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視野が広がるって何

視野が広がった、という言葉を使いすぎて使うのをためらうレベルになってきたので、結局視野が広がるってどういうことなのかを言語化していく。ただのメモです。

世界に対して

世界って意外と近いんだなーと感じることかもしれない。
電車の隣の席でMIT生が確率の課題をやってたり、クラスメイトがNASAに行くことが卒業間際に判明したり、
さっきもパレスチナのデモの横を通って、なんとなくクラシックを聴いていたイヤホンを外して彼らの声を聴いた。

日本ではニュースでしか聞かない幻の概念だと思っていたものが、日常の中にひょいっと現れる。

どんな肩書きや出身であれ、そこで生きているのは私とは変わらない人間だし、彼らには彼らの社会とか競争とか良いとされているものとかがある。

自分の中で「日本」または「海外」の2つの世界だったものが、「海外」がもっと細分化されて「日本」がどんどんちっちゃくなっていく。(ポップカルチャーとか食に関する側面では「日本」は大きくなっているけれど。)

「海外」って漠然とした憧れの対象にされがちだけど、別にそこにあるのは違った現実というだけで、良い部分も冷たい部分もある。

(某有名会社の日本支社の人事が「私たちは多様性を受け入れます。アメリカ人とこんな風に交流しています。」などとアピールしていて、なんだかなあ、と思ったのをふと思い出した。多様性は明示するものではなくて結果的にそこにあるもの、という考えは理想論すぎるかもしれないが、外国人を外部の人として見すぎている感じに居心地の悪さを覚えた。へえ、私のこと多様性の道具としてしか見てないんだ??みたいな。ちょっとこの辺はまだ言語化しきれていない。)


自分に対して

自分が見てきた世界とか自分自身の幅や捉え方の広さを大学の授業とか周りの人から感じた話をしようと思ったけど眠いからやめた。

視野が広がると何が良いのか

毎日のように常識がいとも簡単に崩れ落ちるので、これをしないと人生やばいんじゃないかと自分が勝手に思い込んでいたこと(就活とか恋愛とか、社会的にやった方が良いとされてきたこと)に対して、いやまてよ?別に今しなくたって死ななくない?と自分から疑ってかかるようになる。

世界には色んな生き方をしている人がいるんだから、私だって(狭い世界での)やった方が良さそうなことに縛られているくらいなら、やりたいことやって生きていった方が良くない?っていう。
とはいえ、今までの生き方が他人軸すぎた自分にとっては完全に自分の欲に従って行動するのはかなり難しいので、まずはやりたくないことをやらないことから始めてみている。やりたくない勉強はあんまりしないとか、寝たくない気分の時は寝ないとか。noteを書きたい時に書くとか。明日のテストなんて知らん。

ジェンガって意外と沢山抜いても倒れないし、倒れたら倒れたで次はもっとオシャレな塔を立てれば良い。そうやっていつのまにか自分なりの建物ができていくと思う。

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