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「共感」の先に。

「共感を集める」が重要とされてきたけれど、ここ数年で風向きは少し変わった気がする。
例えば僕の場合、共感の先にある「新しい価値観の発見や行動を促す影響を与えること」ができてfoufouの役割を果たせたなと感じる。

お洒落な物や見栄えのいいものは文字通り五万とある中で、これから新しい物を作り出すならば、共感の先にある「新しい価値観の発見やコミュニティーにいい影響を与える」ことができなければ、それはただの共感したコンテンツとして終わってしまう。日々、「共感」くらいならどこででもできてしまう、共感慣れをしている僕たちにとっては共感でさえものすごい早さでスクロールされていってしまうのである。

先日の文化服装学院の講義のあと、学生さんの質問を受けていても感じたけれど「なぜお洒落な服がたくさんあって、安価でもある程度お洒落が楽しめる時代にわざわざ"新しいブランド"をやるのか」という徹底的なコンセプトメイクができないと「ユナイテッドアローズでいい」「ユニクロでいい」「コムデギャルソンでいい」時代だ。

もちろん「自分がやりたい」という動機は大切なんだけれど、結局これはただの創作活動ではなくて「生活に必要な衣料品」と「アート性の強いファッション」のグラデーションのついた「商品」であることは変わらない。
誰にどういった理由で「必要とされるべきか」がないと中途半端な物にしかならない。

そのためには自己分析が必要で、自分の原体験やなぜものづくりを始めたのかを深掘りしていけばまず「自分に共感」するはず。その自分への共感をアウトプットすれば、それを必要としている人は必ずどこかにいて、行動に繋げることができるはず。

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