人間は誰だって間違える
人間は考える葦である。
葦とは草である。
つまり、人間は草である。
草である。
草とは、ネットスラングでは「www」の記号。
「なにこれうけるwww」みたいな、笑いを示す言葉。
我々は草なんだ。
笑えるし、笑かすし、笑ってごまかせる生き物なんだ。
なーんだ、その程度の生き物なんじゃん。
つまり、大抵のことは笑って水に流せばいいと思う。
芸能人でも、政治家でも、なんか間違えちゃうことはある。
笑えない間違いの場合もある。
人為的ミスがもうあからさまにわざとで悪意しか感じない場合、まあある程度責められちゃうのは仕方ない。
学校で、先生が教室に入ってくるときに合わせて黒板消しをセットしておいた生徒は、バケツをもって廊下に立たされる。
…昭和だ。
まあ、そういうことだよ。
それ相応の処罰を受ければいいんじゃないか。
しかし、昨今の叩かれ方はなんかもうひどいんじゃないか。
と言うか、それ以外に話題はないのか。
呆れるを通り越して、もうそれすら笑うしかない。
昔話をしよう。
高校のときの担任の先生は、いつもニコニコしていた。
私の通っていた高校は職業高校だ。
普通科は無くすべて専門学級だったので、三年間クラス替えがなかった。
担任も、三年間同じ担任だった。
三年間、学校がある日は毎日顔を合わせていたが、先生は概ねいつもニコニコしていた。
言いたいことをサクサク言って、ちょっと毒舌とユーモアが効いていて、語り口が軽妙で面白かった。
「先生もう疲れたよー」が口癖だったのは、まあまあ生徒である私達のせいでもあったのだろう。
でも、授業やホームルームで手を抜く姿を見たことはない。
たった一回、ある日の朝の会を除いては。
その日、始業のチャイムと同時に先生は教室にやってきた。
朝の会が始まる。
先生が出欠を取るため、順番に名前を読み上げる。
高校生ともなれば、一周回って一番厄介で小生意気な頃だ。
出欠の時間に大人しくしているわけがない。
いつも通り、クラスはそこそこガチャガチャしていた。
その日、いつになく先生はピリピリしていた。
笑いながら「こらー、静かに」というのではなく、「うるさいよっ」と、鋭く言い放った。
クラスのみんなは「あれ?」と思った。
私達はそんなに悪いことをしているわけではないと思ったからだ。
いつにない先生の雰囲気に、ちょっとクラスの騒ぎが穏やかになった。
出欠を取り終え、提出物のプリントを回収する時。
確か、締切間際だから提出する人は少なかったように思う。
生徒たちがパラパラと教卓にプリントを出しに行く中、一人の女子生徒がおなじように立った。
友達としゃべりながら、教卓に歩いていってよそ見をしながらプリントを置いた。
瞬間、先生が動いた。
「なに…やってんだよ!!」
バサッ!!
女子生徒が目の前に置いたプリントを、先生は怒声とともにはたき落としたのだ。
教室内の空気は、一瞬にして凍りついた。
まさかそんなことで先生に怒鳴られるはずがない、と誰もが思った。
最初に動いたのは、怒声を浴びせられた女子生徒だ。
「そ、そんなに怒ることないじゃん…」
彼女は恐る恐るプリントを拾って、教卓に置き直した。
先生は微動だにしない。
彼女が席につくと、先生はプリントを揃えて教室を去った。
先生が去ったあとも、私達はしばらく凍りついていた。
なんでそんな事が起きたのか、まったく理解できなかった。
怒られた彼女は、どうみても八つ当たりのとばっちりをくらったにすぎず。
先生は明らかに、教師らしからぬ態度を取った。
しかし、私達はその件を神妙に受け止め、それが先生の評価をおとしめるようなことにはならなかった。
「先生は、よくわからないけどイライラしていたんだろう」
「もしかして、私達が普段からざわざわしているからかな…」
「あんなに怒るなんて、よっぽど何かあったんだよ…」
先生の心配をしたし、女子生徒に同情する声もあったけれど、先生を非難する声はほとんど聞こえなかった。
逆に、普段の自分たちの態度を恥じた。
先生に余計な苦労をかけた私達がいけないのかもしれないと、少なからず感じたからだ。
その日の帰りの会も。
次の日も。
先生はいつも通りだった。
とばっちりで怒られた彼女も、私含めたクラスの誰も、先生が悪いとは思っていない。
人間だもの、そんな日もある。
普段からお世話になっている先生を、その程度のことで嫌いになる生徒は、誰一人としていなかった。
この話をどのように感じるのか?
それは読み手の自由です。
この話は過去のことだし、おそらく先生はこのnoteを見ないので。
批判も共感も大いに結構。
でも「過ぎたこと」を「鬼の首でも取ったように」騒ぎ立てるのだけはやめていただきたい。
人間は誰だって間違える。
私は、それを伝えたいのです。
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