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Rain〜孤高のアーティスト〜

「らしくない」人は、彼をそう評価した。
だって、本当にらしくない。

私は、メディアを通じてしかお目にかかったことがないけれど。
様々な色メガネを通してみてもそう思うのだから、どれだけ「らしくない」アイドルだったのだろう?

私は「嵐」の「大野智」さんがとても好きだ。

でも、彼は到底アイドル向きではない。
エンターテイナーとして、類まれなる才能を発揮しながらも、そうはなりきれなかったに違いない。

エンターテイナーは、常に観客を意識する。
観客の求めるパフォーマンスを。
最高のショータイムを。

嵐が生み出すパフォーマンスの集大成は、コンサート。
メンバーが作り出す一体感、阿吽の呼吸、打てば響くとはこのことで。
観客が求める以上のエンターテイメントを常に創造し続け、いつだって私達の度肝を抜いてきた。

間違いなく、「嵐」は最高のエンターテイナー。

でも「大野智」個人で見ると、彼は根っからのアーティスト気質だ。
貪欲に技を磨き、自らの納得する領域までどこまでもその可能性を追求する。
圧倒的なパフォーマンスを作り出すという結果は、エンターテイナーと変わらない。

でも、挑む姿勢が違う。
彼が最高のパフォーマンスを追求するのは、己のため。
自らを納得させるだけの境地に至るまで、才能を磨くことを止めない。

メンバーとか、ファンとか、周囲の意見は関係なくて。
どこまでもこだわり抜く、その姿勢。
大野智は、アーティストだ。

そんな彼だもの、アイドルという常に人目につく仕事は、窮屈だったに違いない。
アーティストとしての美学。
一度志したものを貫き続ける強さ。
「嵐」という最高の仲間へのリスペクト。

様々な思いがあったからこそ、彼は「嵐の大野智」で在り続けた。
私は、そう思っている。

きっとむき出しの「大野智」個人は、決められた型枠にハマることより、自由な世界を求め続けたに違いない。
それは本人も言及しているところ。

神がかり的な人気を博してもなお、報われない想いを誰が理解し得るというのか?

心中察するに、あまりありすぎる。
その思惑は、他のメンバーにもわかるのかどうか。
孤高の人。
己を貫き通したい思いと、グループの結束の固さに何度涙したかしれない。

だから、今回の「活動休止」について、私は思ったほど驚いていない。
「その時が来たのだな」と、神妙に受け止めるに過ぎない。

とは言うものの、悲しみは胸の中にあとからあとから湧き出てくる。
あの圧倒的なパフォーマンスが見られなくなる。
新曲が聴けなくなる。

それは、とてつもなく寂しい。

でも、やはり私は「大野智」を応援したい。
嵐では無くても。
メディアから彼が姿を消しても。

もう二度とその姿を追えなくとも。
きっと、どこかの空の下でキラキラ輝いているのだろうと、確信できるから。

二十代、三十代という最も体力・気力ともに充実していたであろう時間を、彼はファンに捧げてくれた。
それ以上、何を求めようというのか。

私は「大野智」さんが好きだ。
どこにいても。
何者であっても。

彼の志が好きだから。
彼が決めたその道を、そっと応援し続けたい。
今までたくさん、たくさんもらってきた、心震える興奮を。
見るものを惹き付けてやまない魔性の魅力を。
決して忘れず焼き付けて。

この気持ちをnoteに記すことで、せめてものはなむけになればと思う。

嵐は、いつか晴れる。
大野智さんの心にも、美しい晴れ間を。

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