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時には心が奏でる歌を

私のご機嫌のバロメーターは「歌」だと思う。
気分が良いと歌を歌いたくなるのは、昔からのこと。

小学生の頃から、漠然と歌うことが好きだった。
中学に入って、はじめて友達同士でカラオケに行くことになり、CDを聴きながら猛練習した。

女性ボーカルの高音は出ないから、よくGLAYやL'Arc~en~Cielなんかを歌っていた。
90年代後半のブームは、男性ビジュアル系バンド、浜崎あゆみ、安室奈美恵、SPEED、初期のモーニング娘。など。
「カラオケで歌ってみたい」という欲求のおもむくまま、家でCDを繰り返し聴いてはコピーしまくった。

どちらかというと昔はシャイな芋娘だったので、カラオケボックスでマイクを握るのも恥ずかしかったのだけれど。
2度、3度とボックスに足を運べば、歌うことが快感になった。

それでなくても、家では鼻歌を歌っていたし、学校の授業で行う合唱も好きだった。
学校帰りに夕陽をバックに合唱曲を友達と熱唱していたなんて、まさしく青春そのものだったと思う。

目立つわけでもなく、これといった取り柄もない私にとって、歌は自己表現の一種だったのかも知れない。

高校に入って、部活仲間と一緒にカラオケに行く機会が増え、歌好きはますます加速した。
親に「友達の家に泊まる」と偽って、カラオケでオールしたり、部活の打ち上げで5〜6時間歌い込んだり。

高卒で社会に出て、仕事だけの毎日に嫌気が差した私は、社会人二年目にして習い事を始める。
「ボーカルレッスン」というとアイドルか声優かと思われそうだが、それはヤマハが主催の音楽教室にあるコースの一つだった。

月に三回のグループレッスン。
洋楽の課題曲や自分の好きな曲、とにかく色々と練習した。
防音仕様の音楽スタジオを貸し切って行われるレッスン。

スタジオ特有の重い扉を開けると、大好きな歌が待っている。
リバーブでごまかさない、バンドに負けない。
生徒個々の声質や特徴、クセを活かすため、同じ曲を習っても完成した歌はそれぞれの良さが生きて来る。

ノリノリでアグレッシブな女性講師は、底抜けに明るくて常にパワーが満ち溢れていた。

軽快なナンバーはアクセントを効かせて。
バラードは音を丁寧に繋いでいく。

出だしの一音は特に丁寧に、とか。
ロングトーンはしっかり伸ばす、とか。
一曲を仕上げるのに二ヶ月近くかけ、基礎と個性をかけ合わせた指導がされた。

結婚を機に、ボーカルレッスンはやめたけれど。
私は歌が好きだった。

子供が産まれて、童謡やEテレの歌を子供と一緒に歌いまくった。
物言わぬ赤ん坊のときから、子供は歌に反応したし、何よりも子守唄が大好きだった。

嬉しいときも
楽しいときも

心が空っぽのときも
疲れて動きたくないときも

歌はいつでも傍にあったし、私の心を救ってくれた。
育児に疲れて何もしたくないときは、歌えば体力が回復した。
子供がぐずって眠らないときは、子守唄に癒やされた。

私は昔から、とにかくアナログな趣味を好む。
書くこともしかり、歌もしかり。

何となく口をついて出るのは、今は懐かしいメロディーの数々。
自転車に乗っていても、洗濯物を干していても、歌は私を支えてくれる。

縮こまりそうな心を、温かいエネルギーで満たしてくれる。


大人になると、私達は知らず知らずいろんなものを我慢している。

自分のエゴで、他人に合わせて、マナーやルールに縛られて…。
慎ましやかで奥ゆかしい大和民族は、心に蓋をするのが美徳とされ、どうも心をフルオープンにはしない主義らしい。

協調性や社会性が重んじられ、自主性や主体性が時には疎ましがられることもある。
全体の利益のために個人が我慢を強いられることは、致し方なしとする社会。

それが当たり前であり、社会全体の利益とされてきた。
間違いではない。

けど、それと同時に私達は心を封じ込めるのが常態化しすぎてはいないか。
大人は我慢が当たり前。
「必要ない」「時間の無駄」そんな効率化社会に感化されすぎていやしないか。

ありのままの姿こそ美しい。
自然も、動物も、植物も、そこにある生きているその姿が究極なのであって。

無理やり取り繕って着飾るよりも、自然にこぼれた笑顔に心ときめくように。

素直に、ありのままに。
感情をありったけオープンにして、心がそう叫んでいるなら仕方ない。

歌は私を解き放つ。
文章もまた、私を自由にする翼。

とにかく無心になりたいときは、歌でも歌って過ごせばいい。
とにかく言いたいことがあるなら、感じるままに書き綴ればいい。

歌と文章。
これは私を現すもの。

想いのまま、ありのまま。
時には心が奏でる歌を。

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