僕たちは何者でもありたくないのかもしれない

日々人々がポジションを取り合う生きづらい世の中ですよね。

何者かである=他者との区別化を頑張っていらっしゃる。

それが心から思い求める、自分のアイデンティティ的な動機から来ればよろしいのだが、世の中そうでもないらしい。

僕は何者でもありたくないとも時々思ってしまう。それは楽だからとか、怠け者であるとかそういう言葉で片付けられるもんじゃない。

本当に誰にとっても何者でもありたくない、自分にとっても何者でもありたくないと思ってしまうのだ。

人間社会から距離を置き、一人で暮らす事で他者にとって何者でもない事には一歩近づける。制度的には不可能であるが。

だが、そこで「何者でもなくなった」ところで、自分にとってはいかがであろうか?それは自分にとって自分であるというパラドキシカルな状況を自覚するにすぎないであろう。

それを究極的に実現するのは死あるのみではあるが、そこまでしてのコストが今現状ある程度の何者かである事とで享受できる者に勝るほどではない。

ああ、僕はあと何日で死ぬのであろうかな...

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