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ハリーポッターの原作者 JKローリング



英会話教室の生徒さんが「ハリーポッタースタジオ東京に行ってきた」と言っていました。とても楽しかったそうで、時間がいくらあっても足りないくらい、広くて見る場所もたくさんあったとか。


入り口のところで原作者のJKローリング(のリアルな映像)が「ようこそ。私の作った世界へ」と英語で話していたそうです。ハリーポッターが大好きな私は、聞いていると今すぐにでも行ってみたくなります。


ハリーポッターを最初に映画で観た時の衝撃を今でもよく覚えています。20年以上前のことだなんて、信じられません。今自分の子供たちと観ても、全く古さのない斬新なめくるめくストーリー。魔法学校ホグワーツや空飛ぶほうき、怖い先生たち。クイディッチのルールはどんなに理解しようとしてもいまいち分かりませんが。

映像も良かったですが、なんと言ってもあの世界観が素晴らしい。「自分も魔法学校に入りたい」と思わせるようなリアルさと、大きな夢がありました。あの頃受験生だったら「志望校 ホグワーツ」と書いてしまいそうです。(マグルだから猛勉強必須)


JKローリングの子供時代

J. K. Rowling (J・K・ローリング)
British author


ハリーポッターの原作者JKローリングは、イギリスを代表する作家です。もはや世界で一番稼いだ作家とも言われています。

私のイギリス人の夫は「お金がいっぱいあるから、年々魔女みたいに若くなってる」などと言いますが、きれいな人ですよね。


先日英会話のテキストブックでJKローリングの子供時代についての記述についてのリーディング問題があり、あまりインタビュー等では聞いたことのない話だったので、興味深く読んでいました。


テキストブックでは、JKローリング(本名 ジョアン)の子供時代、中学校(イギリスでのsecondary school)の先生が、ジョアンのことを話しています。この先生は理科の先生で、ジョアンのことをよく覚えていると話します。


この先生がジョアンのことをよく覚えている理由は、自分の理科の授業の技師として、ジョアンの母親が一緒に働いていたからだそうです。シングルマザーで、しかも彼女は病気だったので、この先生は二人の母子を気にかけていたそうです。

また、ジョアンはとてもおとなしくて、この先生が言うには「声を聞いたことがほとんどない」気がするそうです。それくらいおとなしかった。だからのちにJKローリングとして成功した時、「きっと子供の時から想像を頭の中にずっとためていたんだ」と思ったそうです。


ジョアンは学校が終わっても、門のところで母の仕事が終わるのを一人で待っていたそうです。そして二人で一緒に帰っていました。ジョアンは病気の母をたいそう心配していた、と理科の先生は語っています。

この理科の先生は男性で、しかもジョアンがいた当時黒髪の長髪にしていたそうです。「本を読んで、スネイプ先生は自分のことじゃないかと思った。当時の自分の風貌と似ているし、スネイプの担当科目は potions master 魔法薬。もちろんジョアンからそう言われたわけではないけど、自分がモデルじゃないかと思ってる」

なるほど。当時自分の母親と一緒に働いていた理科の先生をスネイプ先生のモデルにした、可能性としては十分ですね。

ちなみに、ジョアン(JKローリング)の母は10年の闘病の末45歳という若さで亡くなり、そのことが彼女の心に深刻な影響を及ぼしたと、のちのインタビューで語っています。

ハリーポッターが生まれたカフェ The Elephant House


インタビューか何かで聞いて驚いたのですが、JKローリングはハリーポッターの原稿を、赤ちゃんをベビーカーで寝かせながらカフェで書いていたそうです。

JKローリングは当時27歳で結婚し、出産した4ヶ月後に離婚。シングルマザーとしてスコットランドの首都エディンバラで暮らしていました。

うつ病を発症し、生活保護を受けながら、子育てしながら執筆作業を始めました。

執筆をするために通ったのは、The Elephant Houseというカフェ。現在ではハリポタ聖地となっています。そう、あの『賢者の石』はまぎれもなく、この場所で生まれたのです。

当時の店長も覚えているそうですが、いつもJKローリングは窓際の同じ席に座って、原稿を書いていたそうです。赤ちゃんをベビーカーに乗せて、時にあやしながら。

そうして書き上げた原稿が、世界に認められることになります。

…しかしながらこの状況、想像してみるとあまりにタフすぎませんか。

私もイギリスで出産しましたが、私の住んでいたイングランドよりさらに天気の悪い北のスコットランドで、寒い中赤ちゃんを連れてカフェで執筆。

私は自分の赤ちゃんをベビーカー(イギリスではpushchairと言います)に乗せて日中うろうろしていましたが、急に雨が降ってきたり、どんより暗かったり、産後でホルモンのせいなのか、暗い空の昼下がりに赤ちゃんを連れて歩いていると妙に不安になったり。

そういえば一度、子供がベビーカーに乗っていてぐっすり眠ったので、「そうだ!」と思い立ってパブに入ったことがあります。時間は早い夕方でした。

ちなみにイギリスのパブは、ファミリーレストランのような役割も兼ねているところも多いので、子連れで行くのは普通です。(母と赤ちゃんだけで、というのは珍しいかもしれませんが)

子供が眠っている間にハーフパイント(パイントだと飲み終わる前に子供が起きる可能性があったので)のビールを頼んで、日本の小説を読んでいました。あの時間は素敵でしたね。

けれど結局すぐに子供が起きてしまって、さっさと出ることになってしまいました。
残念ではありましたが、ほんの少しの時間だけでも自分の時間があったのは、ラッキーでしたね。

ですからJKローリングが朝から晩までThe Elephant Houseで赤ちゃんを見ながら『ハリーポッターと賢者の石』を執筆していた、というのは、「一体どうやって?」と素直に不思議なのと、すごい執念というか、作品を仕上げなければという使命感のようなものがあったのかな、と思うのです。並大抵のことでは絶対にできない、まさに取り憑かれるように書いていたのでは、と思います。

そうしてできあがった作品は世界中で読まれることとなり、児童文学の枠を超えて世界トップクラスのエンターテイメントとなりました。

エディンバラのThe Elephant Houseが、ハリポタ聖地として連日にぎわうのも、よく分かります。私もぜひいつか行ってみたいです。

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