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日々がほんのり愛しくなる日本舞踊5つの教え

二十歳で始めた日本舞踊。それまで、日本舞踊と言えば、ハイソな家庭のお嬢様が幼少期から習わされたり、金も時間も持て余した富裕層の奥様が手を出したりするイメージだった。
しかし、映画『伊豆の踊り子』にて旅芸人として和服で踊る山口百恵ちゃんを見て、憧れが爆発した。私も和服で踊りたい…!

庶民ながらに飛び込んだ舞踊の世界。これまではバスケや陸上といった野蛮なスポーツしかしておらず、ましてや上流階級の風習には触れたことがなく、5年経ったいまでも文化や習慣は知らないことだらけ。無知すぎて恥ずかしいほどだ。
あるいは、背が高すぎる、覚えが悪い、指先に遺伝的疾患、足が太い…踊りに向かない欠点も、枚挙に遑がない。

だが、これだけははっきり言っておこう。経済的にも文化的にも庶民である私が踊りを始めて得られた成果は、切った身銭や忍んだ恥よりも遥かに大きなものであり、踊りのみならず生活に大きな変化をもたらした。
なぜだろう、日々がほんのり愛しくなったのである。それは、稽古の面白さはもちろん、師匠による言葉の教えによるところが大きい。そんな素敵な教えを独り占めしているなんてもったいない!

…ということで、「日々がほんのり愛しくなる日本舞踊5つの教え」、ご賞味あれ。

1 無駄は花


師匠がもっとも口にする言葉。
踊りなんて人生の役に立たない。お金は得られるどころか飛んでいくし、誰かのためになる訳でもない。だが、そんな無駄なことに一生懸命になることで、咲かせられる花がある。その花が、自分や他者の癒しとなる。
役に立つ/立たないという価値判断を植え付けられる時代において、この言葉に出会えたことで自分の価値基準がやわらかく変化しつつある。

2 よく歳を重ねる

門下生だけでなく、家族や外の人が集まる場面でも語られる言葉。
師匠は門下生たちを、踊りの名人にしようという気はさらさらない。そうではなく、いくつになってもよく歳を重ね「いい感じ」に仕上がってほしいと願っている。門下の中には80歳過ぎの豪快で素敵な婦人もいて、しばしば手本として示される。
こと女性においては若さがもてはやされ消費される現代において、自分はどのように老いていきたいかを考えるキッカケとなった。20代なんて、まだまだひよっこだ!


3 「まだ足りぬ 踊り踊りて あの世まで」

師匠の師匠なる人物が遺した唄。2とセットで使われがち。
どれほど踊りの名人であっても、常に自分に満足せずに稽古を重ね続けた。それを受けて、門下生に稽古を積むように説く場面や、自らの未熟さを諭す際によく使われる。
「人生百年時代」などと声高に叫びノウハウを求めずとも、なにか一つ指針があれば正しく歩んでいけるのかもしれない。

4 お勤めは世を偲ぶ仮の姿

資本主義経済に巻き込まれがちな庶民門下生に向けて贈られがちな教訓。
比較的自由に仕事を選べるようになったいま、自分の仕事に疑問を持つ若者は少なくない。そんなときに師匠は言う。「お勤めなんて世を忍ぶ仮の姿なんだから、黙って働いてお金もらえば良いじゃない」
賛否両論はあろう。だが、一度もお勤めをしたことのない師匠の言葉の方が、お仕事コンサルや転職エキスパート的な方たちが説く「仕事論」より、個人的には遥かに大好きだ。

5 三つの自分を持つ

子育てや家庭のことに疲れたワーママ門下生に向けて贈られがちな教訓。
三つの自分とは、仕事、家庭、それから趣味=夢の世界。ここでいう趣味とは、日本舞踊のことである。師曰く、力は3分の1ずつになるのではなく、それぞれが互いに補完し合って3倍以上の力となるそうだ。
たしかに、忙しい人ほど公私ともに充実していたりする。自分もパワフルに生きていきたいと思った。

職場でもいい。家庭でもいい。友人でもいい。映画でも本でもいい。なにかに教えを請うことは、楽しいことだと思う。
なかでも私にとって、日本舞踊の教えは、競争や自己啓発から自由になるためのおまじないのようなものだ。これからも踊りの稽古を続け、日々を慈しんでいきたい。


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