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世界への入り口としての芸術と科学の融合

上野・国立科学博物館で「風景の科学展」が開催されている。写真家・上田義彦による世界中の風景写真を、国立科学博物館の科学者達が観察し、説明をつけ展示する企てだ。


その展示の興味深さは、訪問者達の目線を追いかければ、よくわかる。
まず、“芸術家”の撮った写真を見る。そこに我々“普通の人”は、「すごーい」だとか「綺麗」などの感想を抱き、「力強い」「広がりを持った」といった形容詞を与える。
次に、“科学者”の書く説明を見る。すると、雄大な海の写真に、プランクトンの生態に関する説明書きがあったりする。あるいは、広大な高原の写真に、ウイスキー醸成の仕組みと風土の関係性が語られていたりする。
驚き感心し、そしてまた、写真に視線を戻す。鑑賞は観察となり、観察は鑑賞となる。一枚の写真から、その事実を経験する。

これほどに面白い展示は、いかにして実現したのか?答えは、トークショー「風景の科学」にあった。
登壇者は三人、科博副館長である篠田謙一さん、文化人類学者の竹村眞一さん、企画者でありグラフィックデザインを手がける佐藤卓さんだ。(以下、敬略)

芸術も科学も根っこは同じ

本企画展の始まりは、同じく佐藤の企画で2012年に開催された「縄文人展」に遡る。写真家・植田氏が撮影した縄文人骨の写真を、実物とともに展示した。「実物に迫っていく」写真と、実物を並べることで、芸術家視点の科学を提示した。
芸術と科学には共通点があると、篠田は語る。


芸術も科学も、物事を観察するということから始まっている。たとえば、レオナルドダビンチは両方が入っているような人。では(芸術家としての)上田さんの写真を見て、科学者・研究者が観るとどうなるか?(科博のメイン研究施設である)つくばの研究室の入り口に、上田さんの写真をばーっと張り出して、付箋で解説をつけてもらっていった。


一方、佐藤も、デザインを「解剖」すると、科学と同根に行き着くと指摘する。


大量生産品を外側から内側へどんどん解剖していく。すると、科学の世界に入っていく。世の中で「科学者」「研究者」と言われている人は、みんなデザイナーじゃないか?と思えてくる。


だが現実には、「芸術と科学は分けられている。改めてそれを繋げないか?」(佐藤)と疑問を抱き始めたのが、今回の企画展だ。芸術としての写真を科学者が観察することで、「創造的な誤読」(竹村)が生まれ、世界は新たな知を得る。
世界中をフィールドワークし、リアルタイムに地球の情報に触れられる地球儀『さわれる地球』を作った竹村は、世界各地の農業風景を例に挙げ、いまある風景は人間活動によって作られてきたとする。そのことを理解するためにも、今回の「風景の科学展がネット上にあって、風景の科学的な見方にアクセス」できれば、人類の地球に関する認識を変えられるのではないかと提案する。

わたし達はまだまだわかっていない


だが、写真で風景を切り取り、科学で風景を観察することはできても、世界はまだわからないことだらけだ。佐藤はふと、「この石ころは、どこから来たんだろう?」と思うことがあるという。この視点を、わたし達は忘れてはいけない。膨大な資料と知識を有する科博の副館長である篠田も、自らの知らなさを自覚している。

私たちはまだわからないことがたくさんある。ということを理解しておくことが大事。博物館としては、わからないものは沢山ある。むしろ、ほとんどわかっていない。

これを受け佐藤は、「あれもわかっていない!これもわかっていない!という展示は面白そうだなぁ」と少年のように笑う。あぁ、面白い企画とは、こうした会話から生まれているのだ、ということを垣間見る。こうした無知について竹村は、原研哉氏の言葉を引用し、「未知の既知化」と指摘する。
なるほど科学も芸術も、知ることより、知らないことを認識することから始まるのか。


世界をアップデートせよ


話題は、博物館の役割へと展開していく。
「日に日に解像度が上がっているということを、生活の中では感じられない。アップデートがほどんどされていない」からこそ、博物館は新しい情報を提供するべきでは?と佐藤が提案。対して篠田は、「教科書の問題にもなってしまいますがね。科博も試みている。ただ、古いものは古びないが、新しいものはすぐに陳腐化してしまう」とジレンマを挙げる。すると竹村が、「この瞬間に生きている生物も、そのボトムには沢山の亜種がある。古いものはsureだ、というのは、残っているものがsureだということではないか」と返す。
一連のやりとりに、私はクゥーっとなり、わくわくする。
また、竹村は、自身の持つ環境問題の課題感と重ね、「博物館はどちらか等と過去のものを継承しているものというイメージが一般にあるが、未来を可視化することで未来への選択肢を提示するというありかとも大事かと思う」とし、100年後の選択肢を提示できる博物館の可能性を探る。


科学の発展により、私たちの想像以上に、私たちの世界の解像度は高まっている。博物館も、アップデートの時を待つようだ。芸術はその入り口となりうる。デザインが二つを繋ぐ。
ちいさな「風景の科学展」は、サブタイトルたる「芸術と科学の融合」によって、新たな博物館像の可能性に一隅を照らしている。

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