福祉ファイナンシャル・プランナー石川智

20代でプチひきこもりし、自閉症スペクトラムの娘の親としても、地域福祉に10年ほど関わ…

福祉ファイナンシャル・プランナー石川智

20代でプチひきこもりし、自閉症スペクトラムの娘の親としても、地域福祉に10年ほど関わってきました。ライフプランの専門家として、生きづらさを抱えた人のライフプランアドバイスもしています。精神保健福祉士・ファイナンシャルプランナー。

最近の記事

AIに知的障害者が通える専門学校を考えてもらった

チャットGPTを再び触ることに 僕が勤務する病院では、障がいのある人を雇用(就労体験含む)している。 地域で一番大きな民間病院だが、その病院の中で、発達障がいや知的障がいのある人にお仕事を任せる際に、チャットGPTを活用してお仕事環境を整えようとしていて、ふと考えた。 「この有料版のGPTならば、色んなことができるかも?」 実は数カ月前から「無料版」の方はなんとなくいじっていたのだが、お仕事で使用するほどの頻度ではなかったので、有料版までは手を出していなかった。 さ

    • 就労支援事業所で、アツアツのラーメン、食べたいですか?

      高知の田舎なんてどこも一緒やろ? 東京や大阪の人からすると、高知県なんて、どこも同じなんだろうな、と気にしない人が多いかもしれない。確かに外から見ていたらそういう感じは外れてはいないと言えるかもしれないが、実際に現地で「住み比べてみたら」、同じ田舎でもえらい違いがあることに気付くと思う。 そして、高知県内で居所を移動したら、そのことには必ず気付くと思う。なぜなら、自分自身がそんな貴重な経験を今まさにしているからである。 僕は9月まで高知市内にて、就労支援事業所や相談支援

      • 障害のある次女と障害のない長女のこと

        今日は、特別支援学校高等部の1年生の次女の誕生日です。 知的障害(B2)で自閉症スペクトラムの次女が「16年間生きてきた」わけですが、本当に色んなことがありました。 最初に次女の「病気」を意識したのが生後半年でした。明らかに呼吸が停止している状態に時々なっていたのですが、それが「てんかん発作」だという事に確定したのはそれから2か月ほどだった記憶があります。 高知大学付属病院の小児科に母子で入院した期間が、確か2か月だったはずです。長女は入院生活(次女の付き添い)で家を空

        • しまいをつけんと、いつまでも落ち込んでしまうから

          昨年から、小学校、中学校、高校と同級生だった友人が亡くなった。 A君は孤独死。B君は病死(急逝)、そしてC君は事故死だった。 A君は小学校からの友人で、亡くなる1年ほど前まで付き合いがあったが、突然連絡がつかなくなり、次の知らせは役場の知人からの情報提供だったのだ。ご両親がすでに他界しており、他のご親戚を存じ上げなかったので、役場の知人から一報を受けても、何もできなかった。 東京で警備員のアルバイトをしながら画家として活動していたのだが、社会保険(特に年金)が未払いとなっ

        AIに知的障害者が通える専門学校を考えてもらった

          FPの僕が精神保健福祉士になったワケ

          結果発表の日は「ハレの日」だった!3月15日は運命の日でした。2年余り通信制の専門学校で精神保健福祉士の資格を取るために勉強してきた「成果」が「結果」として発表される日だったからです。 精神保健福祉士試験の発表日である3月15日は、結果的には「晴れやかな日」になってくれました。合格していたのです。 ホッとしました(苦笑) そして「いよいよこれからスタートを切るぞ!」という実感を持つことができた日でもあったのでした。 精神保健福祉士になろうとしたきっかけおそらく多くの人

          FPの僕が精神保健福祉士になったワケ

          働きづらさを抱えた人を、農業による就労支援でサポートする!

          12月12日11時から、クラウドファンディングで挑戦をいたします! この度「全ての働きづらさを抱えた人」が少しづつ、就労への階段を上るためのプラットフォームを整備することにしました。 具体的には、地元の農家さんのご協力のもと、「農業(農作業)」による就労体験(就労訓練)をご提供するという事業になります。 この就労体験は、障がいがある人だけではなく、様々な働きづらさを抱えた人や、ひきこもり経験者など、長期間働くことが出ていない人などにも利用していただけます。 こうした取

          働きづらさを抱えた人を、農業による就労支援でサポートする!

          障がいのある子どもの親として未来に向き合う

          生後半年で受けた衝撃から感じたこと 二人目の娘が生まれたとき、その半年後に、夫婦で思い悩むことが起こるなんて想像すらしていませんでした。それはそうですよね、誰もが子供の健やかな成長をイメージし、親として「こんなことをさせてみたい」「こんな成長をして欲しい」と思うことが、親の「普通のお仕事」だからです。  下の娘が6か月になったころ、なんとなく娘の様子がおかしいことに嫁が気付きました。動きが止まってしまうのです。丁度いま、外国ドラマの「ヒーローズ」を見ているのですが、ヒロ・ナ

          障がいのある子どもの親として未来に向き合う

          「叔父」を障がい者と思えない僕

          叔父のこと 叔父のことを高知では「おんちゃん」と言います。うちの実家の横の「明治か大正か」みたいなめちゃめちゃ古い家に「ちいさいおんちゃん」と「おおきいおんちゃん」が住んでいました。  僕が小学生の低学年のころの話です。昭和47年ごろのことだと記憶しています。おおきいおんちゃん=叔父で兄の方、ちいさいおんちゃん=叔父で弟の方、という意味です。この二人の叔父とうちの両親が前回書いた「自営の小さな食品工場」で働いていたのです。  畑で野菜を作り、それを加工して健康食品にしてい

          「叔父」を障がい者と思えない僕

          まずは自己紹介を

          プチひきこもりで自己肯定感の低い「浪人時代」 ファイナンシャル・プランナーとして独立起業したのが2010年。その2年後には、福祉分野にかかわりを持つことになりました。それもまたいわゆる「数奇な運命」だったのかもしれませんが、なぜそこに至ったのかは偶然ではないのかもしれません。  いわゆる進学校を出たにも関わらず、3年間も東京で浪人生活を送り、そのうち2年ほどは昼夜逆転生活で、今で言うところの「プチひきこもり」をしていました。のちにお話しする実家の自営業のおかげで、両親はそこ