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知っておいてほしい「お金の知識」 Vol.3-1 ~投資~(前編)

*構成を見直し、4月28日に修正しました。

はじめに

 今年も残りわずか。振り返りと来年の抱負などが話題に上がるころですね。皆さんは、いかがでしたか?

 個人的なところは、またの機会にするとして、お金の観点から振り返ってみると、いろんなことがありましたね。

 印象深いところだと

  • 春闘での大幅賃上げ合意

  • 国外情勢が起因のインフレ➡物価上昇

  • 長期化する円安

といったところでしょうか。

 賃上げに関しては、来年も見通しが明るいという予測もあるので、早く実態賃金に反映してほしいものです。

 来年にかけてという点で、今一番話題なのはやはり「新NISA」でしょうか?(個人的にも)

 そこで、今回は「新NISA」について・・・ではなく、その前段階である

「投資」

について、少し考えてみたいと思います。
*「新NISA」については、改めて機会を設けて語ってみたいと思っています。


「投資」とは?

 皆さんが「投資」と聞いたとき、おそらく多くの方は「株式投資」または「不動産投資」などが思い浮かぶかと思います。

 日本では長らく、「投資をする=ギャンブルをする」という感じで、同列で語られることが多く、一般的なご家庭の方々からは避けられる傾向にありました。
 実際、ふた昔ほど前の日本では、金融投資をするより預金として預けておいた方が、確実で安定した高利回りで運用できたため、生活費の捻出や老後資金の蓄えを、わざわざ金融投資で生み出す必要がなかった時代がありました。(もちろん、昔から投資家と言われる方々が株式や為替、先物商品や不動産などへ投資され、資産を築かれた方々は大勢いらっしゃいます。)

 日本の経済は、「投資家から提供された資本を元手に、事業に着手、拡大することで利益を追求し、その利益を出資者や社会、従業員などへ還元したり、さらなる事業への資本として活用する」という資本主義経済ですので、「投資」というのは、極めて重要な経済活動になります。

 ただ、取り組むためにはきちんとリスクを見極め、取り組みたい投資内容に応じた最低限の知識を理解して身に付けたうえで、冷静で慎重な心持ちで取り組む必要があります。
 その辺がないまま取り組んでしまうと、いわゆる”ギャンブル”的になってしまい、前述のように思われてしまうのです。

 制度の整備などにより、「取り組む環境のハードル」は下がってきていると言えますが、「気持ちのハードル」はいつも高めに、冷静さと慎重さ、明確なビジョンをもって取り組んでほしいです。

 ここで、「投資」という言葉の意味を考えてみたいのですが、辞書で調べると、

利益を得る目的で、事業・不動産証券などに資金投下すること。転じて、その将来を見込んで金銭や力をつぎ込むこと。
土地に—する」「若いピアニストに—する」
経済学で、一定期間における実物資本の増加分。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

ということだそうです。
 まあ、おそらく皆さんが想像した通りの内容かと思います。

 ですが、これからこの「投資」という言葉を自分なりに解釈していきたいと思います。

「投資」の本質

 最初にお断りしておきますが、これから語る内容は、あくまで自分の超個人的な解釈であり、自分なりのアプローチによる見解だと思って下さい。
それを皆さんに押し付けたり、「これが正しいんだぁ!!」と声高に言うつもりは全くありません!

 自分のような狭い了見の未熟者からは、見えてる範囲と見方が限られていますので、専門的な知識をお持ちの方からすると「そんなことは無い!」「おまえは間違っている!」という意見があるかもしれませんが、

”あなたからは、このように見えているんだね”
”それが、あなたの考え方なのね”

と、やんわり捉えていただけると幸いです。

 まだまだ勉強中の身、どうか寛大なお心をもってお読み下さい。
(ファクトチェックはしますが、もし事実に反する内容がありましたら遠慮なくご指摘下さい。)

 「投資」をする際の流れとして

  1. 元手を捻出する。

  2. 捻出した元手を投資先へ託す。

  3. 投資先から利益の還元を受ける。

というのが、大雑把な流れになるのかなと思います。

 この「投資先」が、会社の株なのか、土地なのか、建物の権利なのかなどにより、投資の性格が変わってくるかと思いますが、共通して言えるのは

元手以上の利益を期待する=元手に今以上の価値が生じることを望む

ことではないでしょうか。

 株式なら、いろんな要素から高くなることが見込めそうな時に、その会社の株式を買って、買った時より高くなったら売って、その差額を利益として受け取ります。(この売却した時に生じる利益を専門用語で キャピタルゲイン といいます。)

 あるいは、その株式を持っていることにより、配当を受ける権利が生じますが、それは株式自体の価格に関係なく、持っている限り決められた額を定期的に受け取ることが出来ますので、それを狙って株式を買う方もいます。
配当によって受けられる利益を専門用語では インカムゲイン といいます。ちなみに自分はどちらかというと、こっち狙いです。)

 土地などの場合は、その周辺に何ができるかを見越して、その土地の価値が上がることを期待して購入、差益を見込む場合が多いのでキャピタルゲイン狙い、不動産投資に代表格でもあるマンションオーナーの場合は、その部屋から生じる賃料収入がメインなので、どちらかというとインカムゲイン目的の投資という定義になるんでしょうかね。

 このように、形は様々ですが、一様に「元手から利益を生む」「元手の価値が上がることを期待する」という点で、共通しています。

 ですがここで、ちょっと強引かもしれませんが、この「投資」行動を拡大解釈して、大きく俯瞰してみたいと思います。・・・なんか似ているものが、ありませんか?

 自分が思うのは、「普段の買い物」や「ボランティア活動」など日常の何気ない行動や活動、考え方なども「投資」として捉えることが出来るんじゃないか?ということです。
 つまり、

誰もが普段から、「投資」に取り組んでいる。

と言ってしまうのは、少し乱暴でしょうか?

 もう少し、具体的に言うなら

誰もが普段から、「投資的マインド」を持って生活している。

なんて、言えないでしょうか?

「安く買って、高く売る」

のは、投資のイロハのイとも言える、一番基本となる考え方ですが、皆さんの普段の買い物も、そういう考え方(=マインド)ではないですか?

 「スーパーで買ったものを売ったりはしないよ!」と思うかもしれませんが、それは「利益」を「お金」という側面のみで考えているからであって、この「利益」を「お金」以外で考えることはできないでしょうか?

 自分は、利益には「物質的利益」と「精神的利益」の2種類があると思っています。

 「物質的利益」とは、その名の通り、金額や物量の増減で表せる絶対的もしくは相対的な利益のことであり、「金額が増えた」「量が増えた」「同量を安く仕入れられた」「少量でも同額で売れた」などが当てはまると思います。(一般的に”利益”や”儲け”といったら、これらのことを指すかと思います。)

 一例を挙げるなら、同じポテチがAというスーパーでは100円、Bというスーパーでは特売で80円で売ってたとすれば、どちらで買いたいですか?
値段だけで考えるなら、同じものなので当然Bで買いたいですよね。
同じ量、同じ味(=利益は同じ)なら、価格が安い(=支出が少ない)方が、得ですもんね。

 ですが、このBというスーパー、実は車で1時間の場所にあって、Aは近所なので歩いて5分程度のところだとしたら、どうでしょう?

 高くても、余分な手間や費用を掛けずにAに行くか、ガソリン代がかかるけど、安く買えるBに行くか?(まあ、モノがモノなので、実際にはガソリン代をかけてまで買いに行くのは考えづらいですが・・・)

 また、Aで買うと決めたとしても、今日だと100円ですが、折込チラシに「明日から週末セール 全品5%引きで販売!」なんて書いてあったりしたら、どうしますか?

 どうしても今日必要でなければ、明日にしよう。・・・でも、セールで売れ行きが好調になって、売り切れて買えなかったらどうしよう・・・なんて考えたりしませんか?

 つまり、普段から自然と「安く買って、より多くの利益を得よう」という金額や物量を基にした心理の下で、行動しているんだということがお分かりいただけるでしょうか?

  対して「精神的利益」というのは、金額や物量などでは表すことのできない、”自らの成長”や”感謝の気持ち”、”欲求の達成”や”目的の成就”などからくる「心の充足感」みたいなものなんじゃないかと思います。
 よく言われている「自己投資」なんかは、まさしくこちらを見込んだ「投資」ではないでしょうか。(ボランティア活動なんかも、こちらの意味合いが大きいのではないでしょうか?)

 先のスーパーの件に当てはめてみると、ガソリン代がかかるし時間もかかると分かっていながらBへ行った人は、ガソリン代や時間の消費を上回る価値(=利益)より、安く買えたことによって得られる満足感のほうに、より価値(=利益)を感じたからではないでしょうか。

 もちろん、ガソリン代が20円以内に収まる算段がつくなら、という前提も出てくるかと思いますが、時間の金銭的価値を具体化するのは、人それぞれの置かれた状況によっても変わってくるので、かなり難しいでしょう。

 そこへ価値を感じない方は、迷わずAへ買いに行くでしょうが、それも裏を返してみれば、「安くなくても、それに見合う価値」をポテチ自体に見出しているかだとも言えないでしょうか?

 こうなってくると、人というものは、金額や物量以外の部分でも、価値=利益を得たと感じることが出来るため、日々の生活や活動も、実は金融投資と同じプロセスで成り立っている、とは言えないでしょうか?

 それって、一種の「投資活動」だって言えませんか?
(この辺までくると、自分が今、絶賛ドハマり中の「行動経済学」の分野での話になってくるのかなとも思えます。各方面で話題になることが増えており、聞いたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、個人的にも多くの方に知っていただきたい分野ですので、興味のある方は是非っ!)

 要旨をまとめると、

「投資」は特別のものではなく、身近なものである。
大事なのは、相手と己を知った上で、
踏み出す勇気と明確なビジョンをもって臨み、
冷静に取り組むこと。

なんじゃないかと思います。(分かりづらかったら、ごめんなさい。)

一先ず、まとめ

 このように「投資」は、知ってみれば決して難しいものではないんだ、と思ってもらえたでしょうか。ですが、それも上記のことをしっかり理解して、ご自身のコントロールできる範囲内で行っていれば、という前提が付いてしまうのもまた事実かと思います。

 そのため、「投資」の基本姿勢は、

長期、分散、積立

だとよく言われています。

  • ある程度の期間をかけてじっくりと、

  • 様々な方面へ元手を分散させて
    *この場合の「分散」には、投資対象としての会社やジャンル、国籍や時間や投資商品の種類にまで至る、実に膨大な意味を含んでいます。要は、元手を集中させず、仮にある投資先で万が一の損失が出てしまっても、別の投資先でカバーできるように備えておくということです。

  • こつこつと積み立てていく

 こういう投資スタイルから取り組んでいただき、さらなる知識と経験を身に付け、ご自身なりの投資スタイルを作り上げていただくのが、良い「投資」の仕方ではないかと思います。

 周りには数多の情報であふれていますが、それらは参考程度にし、「投資」とは、可能性を追求した結果論であることを認識した上で、ご自身のリスクと価値観を大事にした明確なビジョンを持って、無理なく穏やかな気持ちで、「投資」に臨みましょう! 

 次の投稿では、自分の考え方や実体験に基づいた投資への取り組みについて、書いていこうと思います。(なお、こちらについては個人的な見解を述べているため、誠に勝手ながら有料とさせていただきます。ご理解いただいた上で、ご購入いただきお読みいただければと思います。また、内容を参考にしていただいた上での結果であっても、全てご自身の自己責任の範疇であることをご承知いただきますよう、重ねてお願い申し上げます。)

最後までお読みいただき、誠に有難うございました。


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