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ゴッホ 最期の手紙

『ゴッホ 最後の手紙』を見た感想と考えたこと
・自死の真相と孤独な内面を追う
・作品鑑賞に必要な情報

自死の真相と孤独な内面を追う

巨匠、フィンセント・ファン・ゴッホの死の謎を追うサスペンス。油絵風のロトスコープで描かれた奇妙な世界で、かつてゴッホが描いていた景色を追う。

アニメーションとしての質は言うまでもなく高かった。アニメーター達は、作業に入る1ヶ月前から“ゴッホ風のタッチ”に慣れるため練習を重ねたらしい。

自殺してしまったゴッホは、彼を知るさまざまな人物の話を通して、徐々に輪郭をおびていく。
しかし彼がいつどこでなにをしたのか、事実だけは明らかになっていくのに、なぜ死んだのかという彼の内面に関しては謎は深まっていく。

すっきりとは終わらない、でもそれが印象派の巨匠として知られる画家の人生だったのかと切なくなる映画。

映画の内容は見れば分かるのです。
それよりもこの映画で感じたのは、作品を見るときに必要な情報とはなんなのかということでした。

作品鑑賞に必要な情報

好きなミュージシャンがラジオに出演しているのを聞くと、「聞かなきゃな」という気持ちになる。これは単純に応援したいという気持ちからだ。

ラジオでの話し方を聞くと、なぜかそのミュージシャンが作る楽曲のことも知れるような気がする。

これは作家=作品という同一化が無意識に行われているからだと思う。

ただ現実は難しい。
「ゴッホが描く絵画は素晴らしい、だからゴッホも素晴らしい人物である」とはなかなかならない。
ゴッホがその後の絵画に与えた影響は計り知れない。しかしこの映画を通じて見た作家を取り巻く環境は、巨匠と呼ばれるようなそれではなかった。

「われわれ(画家)は自分たちの絵に語らせることしかできないのだ」

そう語るが、ついに彼の作品は評価されることがなく生涯を終えてしまった。ゴッホがもっとコミュニケーションをとれる人物であれば、作品はもっと売れたし評価も生前からされたのかもしれない。

それが彼の幸せなのかは分からないし、僕には関係ないのだけれど。

∴ ∵ ∴

良い作品を良いと見ることができるのと、その作家のことを好きになるのは別で、それぞれに情報が必要。
それを適切な形でもっと知ることができたらいいのに、と感じた。

言いたいことがふわふわしてるな。もっとうまく書けるようになりたい。

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