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【地方紹介17】ノルマンディー地方

<地方データ>
■【francerでの地方名呼称】:ノルマンディー地方
■【旧地方圏区分/地方庁所在地】:
バス・ノルマンディー地方(Basse-Normandie)/カーン(Caen)
オート・ノルマンディー地方(Haute-Normandie)/ルーアン(Rouen)
■【現地方圏区分/地方庁所在地】:
ノルマンディー地方(Normandie)/ルーアン(Rouen)
■【旧地方圏区分における所属県と県庁所在地】
●カルヴァドス県(Calvados /14)県庁所在地:カーン(Caen)
●マンシュ県(Manche /50)県庁所在地:サン・ロー(Saint-Lô)
●オルヌ県(Orne/61)県庁所在地:アランソン(Alençon)
●ウール県(Eure /27)県庁所在地:エヴルー(Évreux)
●セーヌ・マリティム県(Seine Maritime/76)県庁所在地:ルーアン(Rouen)
 
※旧地方圏区分では、一般的にノルマンディー地方と呼ばれる地域は、行政区分では、2つの地方に分かれています。francerでは、上記2つの地方を合わせて、ノルマンディー地方と定めています。
なお、現地方圏区分では、旧地方圏区分の2つの地方を合わせて、ノルマンディー地方となっています。
 
 
★地方概要★
 
ノルマンディー地方は、パリからのアクセスもよいことからパリジャンにも人気の地方で、週末にふらりと行ってこれるフランスの田舎です。パリからノルマンディーへの出発点は、サン・ラザール駅。パリで最も古い鉄道駅ですが、そのことよりも印象派画家のモネの絵のモデルになったことが知られています。これは偶然ではなく、ノルマンディーは、セーヌ河岸の町々に印象派が住み、多くの印象派絵画の舞台が残っています。

ジヴェルニーのモネの庭園

パリをでてしばらくは都市の郊外らしい工業地帯が少し見えますが、ほどなく工場の姿も見えなくなり、あたりには水平線まで続く広大な平地が広がります。この風景こそ北フランスであり、南フランスと異なる点です(南フランスでは、何かしらの山が視野に入ってくる)。そして、広大な平地に乳牛が放し飼いにされ、草を食む光景などが目に入ってくると、いよいよノルマンディーです。そんなのどかなノルマンディー地方ですが、歴史的にみると、戦争の連続。新しいところでは、第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の名前でご存じの方も多いでしょう。そして、ノルマンディー地方は、その後の歴史を暗示させるかの如く、蛮族の侵略と数々の戦争によって形作られた地方と言う事ができます。
 
この地を表すノルマンディーとは、「ノルマンの地」という意味。ノルマンとはNorthman、つまり北方の人という意味で、具体的にはデンマークやノルウェーなど現在のスカンジナビア半島など北欧と呼ばれている地域からやってくる人々を総称する呼び方でした。よく聞く言葉では「ヴァイキング」と呼んだほうが馴染みがあるかもしれません。
 
時は8世紀、現在のノルマンディー地方に、ノルマンたちがやってくるようになります。舟にのってやってくるノルマン人たちは、今でもそうですが、フランス人よりも一回り大きな体でした。ノルマンディーに上陸すると、村や修道院などを襲撃するようになり、金めのもの、食糧、女子供などをさらっていき、嵐のように引き上げていきました。主に時期は海が落ち着いている春から夏だったようですが、彼らの攻撃力に田舎の農民や修道士たちが対抗できるはずもなく、常にノルマンの恐怖におびえることしかできませんでした。この状況はしばらく続きますが、状況はさらに悪化の一途をたどります。ノルマン人たちは、略奪が終われば故郷へ帰っていましたが、ノルマンディーに滞在するようになります。これは、理由を考えれば単純なこと。まず、舟に乗って故郷に帰るのであれば、いくら略奪をしたところで、舟に乗る分しか持って帰ることができないこと。そして、ノルマン人たちは故郷に戻りフランスより遥かに厳しい冬を乗り切らねばならないことです。この2つを解消する方法は簡単でした。故郷を捨て、新しい土地に滞在するようになったわけです。これにより、ノルマン人たちの攻撃は年中続くようになり、状況は悪化の一途をたどりました。また、ノルマン人たちは海からやってくるのですが、彼らが使っていた舟は、舟先がくるりとまきあがったノルマン様式の舟を使っていました。この舟の模型は、フランスではバイユーで見る事ができますが、海はもちろん、河も簡単にさかのぼることができました。ノルマンディーの河と言えばセーヌ河。つまり、海岸沿いだけではなく、河沿い、さらに馬も利用した彼らにとって内陸の町も略奪の対象になっていたのです。この状況にさすがに危機感を覚えた時のフランス王国、カロリング朝では、兵士たちがノルマン人に立ち向かいますが、兵士たちもノルマン人には歯が立たず、この地に住む人たちはとにかく逃げるしか手立てがありませんでした。

バイユーのタペストリーでは、当時のノルマン人の船の様子がよくわかる

状況が動いたのは10世紀のこと。もはや打つ手がなくなったフランス王国は、懐柔策によって、なんとかこの状況を解決しようとします。しかし、フランス王が蛮族に許しを請うというのでは、王国の面子が丸つぶれ。時のフランス王シャルル3世は、ノルマン人たちがフランス王の封臣になることを条件に、下セーヌ河畔に広がる地域、つまり現在のノルマンディー地方を与え。さらに、ノルマン人たちの他の部族がやってきた際に、彼らの攻撃を防がせようとしました。911年、ノルマン人の首長ロロとシャルル3世との間で、この約束は交わされ、これによりノルマンの地、「ノルマンディー」が形成され、首長ロロは初代ノルマンディー公となりました。
 
その後、ノルマンディー公国は発展、ノルマン人たちは政治的にフランスに同化することはありませんでしたが、文化的にはフランス化していきます。これにより、一旦は落ち着きを取り戻したノルマンディー地方ですが、この後、歴史的に有名なノルマン・コンクェスト、つまりノルマン人たちは英国に侵入し、ノルマンディー公たちは英国王になり、これに端を発する英仏戦が激化、さらには百年戦争と数百年にわたってノルマンディー地方は戦争の歴史を辿ります。百年戦争でようやく落ち着くノルマンディー地方は、その後は、フランス王国領として発展、そして、現在有名な印象派画家たちに愛されたことにより、再び歴史にその名を刻んでいきます。
 
 
★町や村★
 
パリからも比較的近く、風光明媚なノルマンディー地方。魅力的な町も点在していることから、パリから週末を過ごすために訪れる人も多い地方です。ノルマンディー公国時代より公国の首都として栄えたルーアン、カーンが今でもノルマンディー地方の中心都市として栄えておりますが、印象派画家モネ終焉の地ジヴェルニー、断崖の景勝地エトルタ、モネの師ブーダンゆかりの町オンフルール、近代都市として世界遺産に登録されたル・アーブルなど画家にゆかりのある町が多い地方でもあります。また、世界的に有名な観光名所モン・サン・ミッシェルがあります。
 
ノルマンディー地方の中心都市で、主に東部ノルマンディーの中心となっているルーアン。電車やバスも通っていてアクセスもしやすい。印象派画家、モネが滞在したこともあり、彼がモチーフにした大聖堂が町で最も有名です。そのほか、ジャンヌ・ダルクが処刑された地としても有名です。中世の面影を残す木骨組みの家並み、モネの「大聖堂」が常設展示されている「ルーアン美術館」など見どころも豊富です。目抜き通りの大時計通りは人でにぎわっており、ノルマンディー観光の拠点としても良い町です。

ルーアンの大聖堂は、モネが幾度も描いたモチーフ

水面に移る家並みの風景が大変絵になるオンフルールは、近代化に取り残された港町、というのがよい表現でしょうか。対岸のル・アーブルとは対照的に古くからの旧港(バッサン)を中心としていた港町では、近代化に伴う船の大型化に港が対応できなくなり、衰退の一途をたどりますが、それが幸いし古くからの魅力的な家並みが旧港を中心に残っています。とりわけ、フランス唯一といわれる木造教会サント・カトリーヌ教会は一見の価値があるでしょう。特に、風がなく天気の良い日の旧港の景色は秀逸で、水面に鏡のように映る家並みの美しさは格別です。近年にはモネの師であるブーダンに愛された風景でもあり、作曲家エリック・サティの生家がある町としても知られています。

家並みが水面に映る、オンフルールの印象的な風景

オンフルール近くにあるドーヴィルは、観光地というよりは、どちらかというとリゾート地的な要素の強い町ですが、木造建築の商店街なども残っており、のんびりくつろいで過ごしたい町。また、この町よりも有名なのが、クロード・ルルーシュの映画「男と女」、「・・・~ダバダバダ」のフレーズをご存じの方も多いでしょう。映画の気分に浸るのであれば、この町にあるノルマンディー地方を代表する高級ホテルであり、映画「男と女」の舞台にもなった「ノルマンディー・バリエール」に宿泊するのも一興です。

映画『男と女』の舞台となったホテル「バリエール・ル・ノルマンディー」

ルーアンと肩を並べる都市カーンも、古くからの都市です。ルーアンは初代ノルマンディー公ロロが定めた首都でしたが、敵から攻められやすいという地の利の理由から、以後はカーンがノルマンディ公国の首都になりました。以後、ノルマンディー西部の中心として発展していきます。歴代のノルマンディー公の中でも特に有名なのがイギリスに攻め入ったノルマンディー公ウィリアムですが、彼が築いた城や、男子修道院が残っています。中でも男子修道院の横に隣接して建つ、サン・テティエンヌ教会はバランスのよいゴシック教会でとても美しい姿をしています。

カーンの旧市街

そして、フランスを代表する一大観光地、モン・サン・ミッシェル。直訳すると「聖天使ミカエルの山」という意味になります。海に浮かぶ修道院は、今でも我々を魅了し、今よりも信仰心が篤かった中世には、人々がこの地に感じる神秘的な力は図り得ないと言えるでしょう。8世紀まで、この湾は陸地で、シッシーという森に覆われ、その中にトンブ(墓)という名の岩山が突き出ていました。大昔から人々は、この岩山を霊場と仰ぎ、ガリア人の時代、ローマ時代にも神殿が建てられ、太古の時代から、「聖なる地」としてあがめられていた場所です。昔からこのような神秘的な景観を持つ岩山が霊場とされてきたのは、人々に何かしら神々しい感じを抱かせ、神が光臨し給うのにふさわしい場所とされていたからです。そういった人々の思いは宗教が違っても変わらず、キリスト教の時代に入ると、その昔の異教の霊場の多くはキリスト教に受け継がれていきました。トンブの岩山もそうで、5世紀末には、キリスト教の隠者が庵を構えるようになり、キリスト教の霊場に変貌しはじめます。708年、アヴランシュ(モン・サン・ミッシェル近くの村)の司教、オベールの夢に大天使ミカエル(サン・ミッシェル)が3度現れ、「かの岩山にわが名を称える聖堂を建てよ」と命じます。これが今に伝わっている聖ミカエルの山(=モン・サン・ミッシェル)の起源となります。その後、教会や修道院が建てられ、中世の時代には一大巡礼地となりました。その後、巡礼が衰退した時代には牢獄としても使われたモン・サン・ミッシェルですが、現在では再び修道院が機能し、その景観の美しさから多くの観光客を魅了しています。

世界遺産モン・サン・ミッシェル

★名産品と郷土料理★
 
ノルマンディー地方には、様々な名産品がありますが、その中心となる原料は牛乳です。フランス屈指の牛乳の生産量を誇るノルマンディー地方では、この特産の牛乳を用いた特産物や地方料理が多数あります。
 
牛乳の名産地ということは、チーズも多数作られており、有名なチーズも多いのですが、その中でも群を抜く知名度を誇るのが、カマンベールチーズ(Camembert)でしょう。日本でもその名がかなり有名なカマンベールチーズ。そもそもカマンベールとは、何かご存じでしょうか?何か特別なものを入れているというわけではなく、カマンベールはノルマンディー地方の村の名前の一つ、カマンベール村のことです。 最近では、とりあえずカマンベールという名前を付けているチーズも多数見かけますが、正式なカマンベールチーズはカマンベール・ド・ノルマンディー(Camembert de Normandie)として、1983年にAOC(原産地呼称統制)に選定されているもので、本物のカマンベールチーズは伝統的な製法を厳格に踏襲しなければならないというルールがあります。 フランスのみならず、世界中に知られる、牛乳から作られる白カビチーズの代表格です。

不動の人気を誇るカマンベール・チーズ

同じく牛乳を使った名産のお菓子が、塩バターキャラメル(Caramels de Beurre Salé) 。もっともオーソドックスなのは、ノルマンディーの牛乳(バター)と、ゲランドの塩(ロワール地方の名産)を使って作ったもの。 いろいろなところで売っており、パッケージが可愛らしく、日持ちがし、しかも味はなかなかのもの。現地で味わうのもいいですが、お土産としても、非常に重宝するノルマンディーを代表する商品です。

おやつにもぴったりな塩バター・キャラメル

また、西に位置するブルターニュ地方でも同様の食文化となっていますが、雨の多いノルマンディー地方では、積極的なワイン生産は行われておらず、代わりに、この地方で生産されているのがリンゴ、そのリンゴを使ったお酒がシードルです。アルコール度数も低く、発泡性の飲みやすいお酒です。ブルターニュ各地で販売されており、価格も非常に安いので、お手軽に試せる一品です。ちなみに、日本語で、砂糖入りの清涼飲料水の総称をサイダーと呼びますが、英語のサイダー(Cider)は、このシードル(Cidre)のことで、本来は林檎の発泡酒を指す言葉なのです。

飲みやすいシードルには食事にもよく合う

そして、このリンゴ酒を蒸留したものが、カルヴァドス(Calvados)。上記のシードルを蒸留してできあがるもので主に食後酒として好まれますが、林檎の風味が豊かです。アルコール度数は40度以上ですが、ブドウから作られるブランデーよりも飲みやすい印象です。このカルヴァドスとりんご果汁をブレンドしたお酒、ポモー(Pomeau)というお酒もあります。
 
最後に有名なモン・サン・ミッシェルを代表する料理を2つ。まずは、モン・サン・ミッシェルのオムレツ(Omelette de Mont Saint Michel) 。評価がかなり分かれるモン・サン・ミッシェルのオムレツですが、日本のオムレツと思って食べるとイメージと違いがっかりする方が多いようです。オムレツを作る前に卵をかなり泡だてて少ない材料で大きなオムレツを焼きあげます。 表面は固まった卵ですが、中身は泡だてた卵がトロトロなのが特徴。しかし、このオムレツ、このような作り方をするのには理由があるのです。それはモン・サン・ミッシェルに実際に行ってみると感じられるのですが、中世の巡礼とは命がけであり、危険と隣り合わせでした。命からがらモン・サン・ミッシェルに辿りついた巡礼者たちを島内の人たちは、暖かく迎えてあげたいのですが、そこは海に囲まれた島。十分な作物は育たず、肉や魚などで豪華な食事を与える事はできませんでした。しかし、なんとか巡礼者の方に喜んでもらおうと思って作ったのが、このオムレツ。材料は少なくとも見た目のボリュームは負けない、それを見せる事で巡礼者の方をおもてなししようということで作られたのが、このオムレツの始まりです。味はともかく、現地に行けば一度は食べてみたい一品です。

モン・サン・ミッシェル名物のオムレツ

もう一つはアニョー・プレ・サレ(Pré-Salé)。プレ・サレとは、モン・サン・ミッシェル産の羊のこと。運がよいと干潮のモン・サン・ミッシェルでは草を食む羊の群れを見る事が出来ます。モン・サン・ミッシェルの羊は、海風を受けた塩気のある草を食べる事で、潮の風味が付いているといわれ、オムレツと人気を2分するモン・サン・ミッシェルの名物料理。日本ではまだなじみの薄い羊肉ですが、フランスではかなりの割合で羊肉を食します。特に、名産と呼ばれるモン・サン・ミッシェルや南仏プロヴァンスの子羊肉は臭みもなく、非常においしくお召し上がりいただけます。

モン・サン・ミッシェルは羊肉も有名

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