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目覚めのプロセス#3〜自分への嘘をやめたこと

マガジン『私の目覚めのプロセス』#2までを書いたあと「この後、何か大きな出来事ってあったかな?」と考えていたのですが、実はこの後からは、ひたすら玉ねぎの皮をむくようにゆっくりと目覚めていく歩みで、ここからの人生はどんどん気づきを重ねるほどに平和に満たされるようになりました。

そこで、ここからは、この頃から集めはじめた「気づき」のひとつひとつを紹介しながら書いていこうと思います。

嘘をやめること

夫と別居し、ひきこもり生活を脱してアルバイトをしていた頃、ある日、自転車に乗っていてふと「自分が何になりたいか?ではなく自分がどう在りたいか。じゃない?」と天からの声のような気づきが降ってきて、はっ!としました。そう、それまでの私は自分以外の何者かになりたかったのですね。誰々さんみたいないい仕事が出来て、誰々さんみたいな素敵な生活を送って〜...とかね(笑)。そうして、そうなれていない自分、ダメな自分ばかりを観ていました。でも、誰かになる必要はなくて、自分が今ここでどんな存在でありたいかなんだなぁ...。とふと思ったのです。

これ全然違うんですよね。

これまで外ばかりを見ていたのです。いつでも自分以外の人が素敵に見えてそこに憧れているけれど、自分はどんな人で、どうしたいのかがわからない。自分不在で生きていたのです。いつも自分以外の誰かや何かの価値感を気にして、それにあわせて判断をしていたので、自分の声が聞こえず、うまくいかないことの全ては世間のせい、人のせい。自分のせいではない。と思っていたのです。自分の人生に責任を持てていなかったのですね。

なので、その時にまず決めたのは「心の奥の本当の自分の声を聞く。」「本当の自分の望みを大切にする。」ことと「自分に嘘をつかない。」ということでした。それまでは、本音は違っているのに、目の前の人の意見にその都度、話を合わせてしまっていたし、20代の頃は朝起きることができなくて、勤めていた会社では遅刻の常習犯。(心の広ーーい会社だったので、クビにはならなかったのですが)毎朝、遅刻の言い訳をするための嘘のストーリーを頭の中で展開していた自分に気がつきました。つまり毎日、人にも自分にも言い訳を考えるところからはじまる生活だったのです。それに気がついたら、外への言い訳が自分への言い訳になっている。と思い、それらを一切やめることにしました。

あとは、100%は無理ですが、できうる限り自分が違うと思ったらその場の雰囲気に流されずちゃんと意見を言う。行きたくない約束はしない。と。とにかく、まずは自分を大切にしていくことを心がけたのです。

それを決めたあと、ほどなく、以前勤めていた会社の上司だった方が立ち上げた新しい会社に誘っていただき、そこで働くことになりました。その時、自分は遅刻をするという前提で、正社員ではなく契約社員にしてもらい、そのかわりに出勤時間をフリーにしてもらいました。当時は時差通勤とかコアタイムを作るとかっていうことすら、日本では、まだほとんどない時代でしたから新しかったですね(笑)。とにかく自分に無理をしない形で、言い訳をしないでいられる環境を自分で作ることが大事だと思ったのです。

これが本来の自分を思い出していく最初の方のステップでした。

試されるような出来事

会社では、企画広報として働いていました。バブルははじけた後でしたが、今から思えばけっこうまだバブルな感じで、年に2回ほど海外で広告用のモデル撮影をしていました。2年ほど勤めたある日、海外撮影にいつも同じ外注スタッフを使って一緒に撮影に行っていた私は、その外注スタッフと癒着しているのではないか?と、あらぬ疑いを、このグループ会社のオーナーから言われました。実はグループ会社内にキャスティングや撮影などをする会社があるのに、その会社を使わずに外注スタッフを使っていたので、オーナーとしては気に入らなかったのです。私としては、満足できるクオリティの高いスタッフであり、海外撮影というそれなりに神経を使う仕事は何より信頼できるチームでないと一緒に行けないので、お金を回すことだけが目的のグループ会社には発注していませんでした。そもそも相見積もりをとってもグループ会社のほうが高かったのです。ですが、現場のことなど、もちろんオーナーにはわかりません。ですが「癒着してキックバックでももらっているのではないか?」と言われた時は、なぜそんな発想が出てくるのか?本当にびっくりしました(笑)。小さなアパートに住み、洋服は当時バブル期の反動でほとんどユニクロを着ていたというこの私がキックバックをもらっている〜?(笑)とにかく2時間ほど、一方的に癒着疑惑を話され、一方的におしかりを受ける会議に出席しました。会議直前にはオーナーの機嫌をとるのに一生懸命のおじさん上司たちが、私にオーナーには反論せずにひたすら謝るように説得しに来たりしました。もちろん謝りません。私は悪いことを一つもしていないので、謝る意味がわかりません。そして、そんな様子全体を観ながら、会社ってなんて馬鹿馬鹿しいのだろう。自分の保身や出世やお金を中で回すことばかり、忖度ばかり考えて本来の仕事とは関係ない仕事をしている人ばかりだな。と、つくづくうんざりしました。そしてこの中にいたら自分が腐ってしまうのではないか?という危機感さえ感じていました。そこで「とにかく会社を辞めよう。」と心に決めました。

かといって急に辞めても次にどこかに勤めるあてなど、まったくありませんでした。でも「自分に嘘をつかない。」と決めていたので、会社という組織にうんざりしていた私は、「独立しよう!」と思いました。

人生が反転しはじめる

そうして私は、何のあてもないまま、フリーランスのデザイナーになることを決め、2ヶ月ほどで会社を辞めました。ちょうど36歳の誕生日でした。

最初はお付き合いのあった印刷屋さんや、グループ会社内で仲の良かった子から仕事をいただいていました。そもそも企画広報の仕事をしていた時にはデザインは外注していました。社内での簡単なイベント系チラシなどはデザインしていましたが正直言ってデータの作り方すらちゃんとわかっていないまったくの素人です。それでも何故だか出来る気がして、いただいた仕事はどんな小さなチラシでも、すべて全力でやっていました。それはかなり新鮮で楽しい毎日でした。

そうしてある日、会社を辞めてすぐに知り合い全員に送った「独立のお知らせ」のハガキを見て、昔同僚だった男の子が連絡をくれ、何年ぶりかに会ってお茶をしました。彼も数年前に転職していたのです。そして彼が「今デザイナーの派遣会社があるのを知っている?うちの会社はそこによく仕事をお願いしているよ。」とその派遣会社を教えてくれました。正直言って業界のことすらまったく知らなかったので、とりあえずは派遣登録をしてみよう。と思い、さっそくその会社に登録しにいきました。そこではデザイナーに必要なソフトが使えるかのスキルをみるための実技テストがありました。残念ながら私はソフトに慣れていなくて時間がかかりすぎで、知識不足。デザイナーとして派遣で働くのは全然無理ということがわかりました。ですが、海外撮影などの経歴を見てくれて、アートディレクターの仕事を紹介してもらえるようになり、デザイナーではなくアートディレクターの仕事が入るようになりました。そして独立して1年目で、会社に勤めていたときの1.5倍の年収になり、数年のうちに派遣会社を通さずにフリーランスのアートディレクターとして仕事ができるようになりました。

そしてあとになって思い出したのですが、私は20代の頃、広告を見るのが大好きで、アートディレクターになりたい。と思っていた時期があったのです。すっかり忘れ去られていた過去の夢が、いつのまにか叶っていたことに気がつきました。

ここから、やっと本来の自分を取り戻しはじめたのかもしれません。





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