涙拭いて地固める #2

駄文


世の中には
何かを始めるのに遅すぎることはない
という言葉があります。

私はこの言葉が嫌いです。
なぜかというと、
× 何かを始めるのに遅すぎることはない
〇 何かを始めるのに早すぎるということはない
という認識だからです。

なにかを長く続けるためには"楽しむことが一番大切だ"とよく言われます。
確かにそうです。
その通りです。
でも世の中それだけを持ち続けることができないことが多いです。

では、それがどう”遅すぎることはない”につながるのかというと、
成長を、年を重ねるごとに見えるものが多くなりすぎるから、です。

イラストや音楽、スポーツなど、趣味・娯楽の中でさえ技量というものが多少なりとも必要になります。
すると、より真剣に打ち込めば打ち込むほど技量の高さが自分にとって重要視されてきます。

そしてそれは成長するごとに大きな枷になってきます。
どういうことかというと、
上手くないと楽しくない、できない自分に落胆する
という気持ちが先行するといことです。
下手を下手と受け入れられたときは数か月ほど精神が安定しますが、そのうち、下手が続きすぎて焦りが生じます。
焦りが生じると目の前に当たり前のように現れる神に身を焼かれます。

追加で同じことを話すと、
「そんな深いこと考えないで、楽しくやろうよ。」
「あなたがそれをやり始めた原点(ヒ〇アカ風に言うと、オリジン)はなに?楽しいからでしょう?」
と薦める人が世の中多いです。それは非常に素晴らしいことで、それで救われる人もたくさんいます。

しかし、私は、
技量の高さ、そしてそれによって表現される美しさに感動したから、そのようになりたい。
というのがオリジンです。
つまり、上手い人にどうしよもなく憧れてしまったのです。
よって、下手なことは楽しくないのです。できないことは楽しくないのです。自分の理想をなぞれないことは万死に値するのです。
だからと言ってやめない理由にもならないのですが、精神をむしばむにはあまりにも十分な枷です。呪いです。

私が憧れた人は当たり前に私よりも長くそれらを楽しんできた人たちです。
そこに今すぐたどり着くけるなんて非常におこがましいことではありますが、そうならないといけないのです。
あるラインを越えたら、何事も遅すぎることになってしまうのです。

私は生き急ぐ必要があるのです。まだ人生でできておきたいことの1つも持っていないからです。技術に関してはこれまでの人生を無駄にしてきたのです。
人間の体が不眠でも生きていける体になったり、1日48時間になってほしいという言い訳を並べるのです。
そうして今日も逃げて無駄にするのです。それが常なのです。
それをやめたいのです。そのやめることを頑張るのです。

今日の結論

何も考えずに楽しんでいた時代の心を、そのままずっと持っていた人が結局は1番強いと思う毎日です。

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