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「可愛い」と思う感性が欠如している

 この間テレビでやっていた有吉弘行の『正直さんぽ』という番組をボーッと眺めていたら、ゲストの河北麻友子が買った(もしくは買ってもらったのかもしれない)真っ白のスニーカーに対して「かわいい~!」とリアクションしていた。

 それに対して周囲も「おっ可愛い~」と賛同の意を表していたが、僕は一体そのスニーカーのどこがどう可愛いのかよくわからなかった。

 前々から他人が可愛いと言っているものに対して「可愛い……?これが……?」と不思議に思うことは少なからずあったので今に始まったことではないのだが、やはり僕にはどうやら可愛いものを可愛いと感じる感性が欠如しているようだ。

 いや、僕でも女の子を可愛いと思うことはあるしワンちゃんを可愛いと思うこともある。小さい子どもの仕草を可愛いと感じることだってあるし(決して性愛的な意味ではない)、上野動物園の某パンダが笹食ってるところを愛くるしいと思うこともある。

 だがしかし、振り返ってみるとそれはすべて生きているものに対しての感想なのだ。動物に対して可愛いという感情が湧くことはあっても、スニーカーのように生命を持たない無機的なものに可愛げを感じることはない。

 では一体、河北麻友子はスニーカーのどのような部分を可愛いと思ったのだろうか?テレビに映っていたそのスニーカーは真っ白だったから、色合いが可愛いという意味で言ったのかもしれない。だが何故色が真っ白だと可愛くなるのか、具体的に説明してくれないと僕にはよくわからない。ただ理論的なものではなく、「パッと見た印象として直感的に可愛いと感じたんだよ、それだけで充分だろCherry boy?」と言われればそれまでなのだが、だとしたら僕は死ぬまでスニーカーに対して可愛いという感想を抱くことはないだろう。そして死ぬまでCherry boyであり続けるだろう(なんで?)。

 これまでの人生の中で、生命体以外のものを可愛いと思ったことは果たしてあっただろうか。周囲が可愛いと言っているものに対して「えっこれ可愛いの?どこらへんが?そもそも可愛いの定義って何?愛することを可能にすると書いて可愛い、ってことは自分が愛せるか愛せないかの境界線が可愛いの基準値ってコト!?エッ……エッ…………それって…………いやどういうコト!?」と動揺する回数は滅茶苦茶多かったので多分一度としてないのだろう。あったとしてもクマのぬいぐるみとかそういう生命体を模した何かであったはずだ。洋服とか靴とか、イヤリングとかネックレスとか時計とかに対して可愛いと感じたことはない。

 もちろんこれはニヒルな僕って格好良くないですか?といった類の自慢なんかではなく、僕が可愛いものを素直に可愛いと思えないという哀しい話である。

 洋服とか靴とかに対して可愛いという感想を抱く人が、もう少し「可愛い」の内側を具体的に言語化してくれたら、もしかしたら僕にも可愛いものを可愛いと思える感受性が芽生えてくるかもしれない。「この服ピンク色が多くて女の子っぽいから可愛い~」とか「この腕時計小さすぎて赤ちゃんがつけるヤツみたいで可愛い~」というように、可愛いの理由を教えてくれたら「あっなるほど、この洋服はピンクが多いから可愛いんだな」「この腕時計は小さくて赤ちゃんがつけてそうだから可愛いんだな」とだんだん法則性がわかってきて、可愛いものの対象が自然と脳にインプットされていく(ちなみに赤ちゃんは普通に腕時計つけないと思うが、可愛いの具体例が思い浮かばなさ過ぎて乳幼児が腕時計をつけるという近未来的でファンタジックな世界観を勝手に創造してしまった、ごめんなさい)。

 今までの経験則上、無理矢理な推測をしてみると可愛いという言葉を発するのは比較的女性の方が多く、その言葉が発せられる対象は人間や犬などの生き物を除くと衣類、アクセサリーなどが多い。そしてこの事実から鑑みるに「この服(私が着ると絶対)可愛い~!」「このネックレス(私がつけると)可愛い~!」というように、もし自分がこの服を着たら、このアクセサリーを身に付けたら、というように自分の容姿を補助するものに対して可愛いという言葉が多く発されることから、結局人間は自分が一番可愛いという最低の結論に辿り着くのである。

 なるほど確かによくよく考えてみれば、その辺の道に落ちている石を可愛いという人間はいない。

 ………………いや、よくよく思い返してみればいたかもしれない。そういえば小学校の頃に川で水切りしてた時に「この石かわいい~」という言葉を聞いた気がしないでもない。

 スニーカーは百歩譲ってわかるとしても石が可愛いって何?また振り出しに戻ってしまった。誰か僕に「可愛い」を教えてください。


おわり

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