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聞香【オンガク猫団コラムvol.11】

お香の体験ワークショップってヤツに行ってきた。香道は、文人墨客あるいは好事家や、アッパークラスの人にのみ許されたハイカルチャーの嗜みだと思っていた。そんな了見だったものだから、香りの世界は、オイラには縁遠いものとして、なんとなく情報を遮断していたようだ。

社会見学的感覚で、お手軽に奥深い世界をチラ見できて、門外漢には非常にありがたい体験だった。滑り込みセーフのものには、必ず福があるというオイラには変なジンクスがあり、それが間違いではないことが分かって、シンプルに嬉しかったこともある。体験二日前に申込みをして、完全に締め切りに付きアウトだと思っていたからだ。

オルダス・ハクスリーが述べるところの「知覚の扉」というのは、何もドラッグに限ったものではなくて、「香り」にも似たような効果があると思わせる何かがあった気がする。睫毛のような小さな木片から、複雑な匂いが立ち上がり、広がることに畏怖の念が湧いた。香りの中には、いくつもの微粒子があって似ているようで違う。部分の集まりが、全体をつくるということ。オーケストラとか、ごんずい玉のような世界。香りの塊は、伸び縮み、ワルツのようにうねっている。馥郁というよりも、蠱惑的な匂いだ。蠱という文字は、まじないに使う虫、という意味らしい。蟲師のギンコを連想してしまった。バクテリアと動植物が織り成す、悠久の大自然の悪ふざけ。またそれを拾得して、燻して素敵な香りかもしれないと瀬踏みする、昔の人のチャレンジ精神。

抹香鯨の結石の匂いを嗅ごうと思ったり、熱帯の池に沈んだ古木を燻そうと思ったり、ビーバーのお尻の近くをお香の材料で狙ってみたり、昔の人の妙趣な求道心にただ脱帽するばかり。昔の人は、なんてアホなんだろう。きっと中には酷い失敗があったはずで、大コケした時の映像を連想するだけで噴飯ものだ。「マジ、その変な塊の臭いを嗅ぐの?くさやみたいな即ゲロの匂いだったら、どーすんのさ?」とかなんとか………。
ジャコウネコの糞から採れる未消化のコーヒー豆を飲んだ昔の人も凄いけど、お香の探究者も相当なものだな、と思う。

日頃身の回りにある匂いは、例えるなら12色の色鉛筆のようなもの。明瞭で、曖昧さが余りない。現代人は、それに慣れ過ぎている。おまけに、香り本来の伸びやかな透明感が、騒音のような街の匂いにかき消されている。排気ガス、副流煙、人工香料、ケミカルなアロマなど。だからこそ現代人は、無意識に季節の草木によって、それらを浄化させようとするのかも知れない。沈丁花、羽衣ジャスミン、躑躅、金木犀、百合。季節の香りに包まれるだけで、大袈裟ではなくて、ああ生きていて良かった、と思えることもある。

数年前、唐種招霊の花の香りを嗅いだときのことは、鮮明に覚えていて忘れられない。香水があれば欲しいのだけど、オイラの知る限り商品化されていないようだ。古代蓮の香水というのも東大で売っているそうだが、一度匂いを嗅いでみたい。聞香は、とても淡いIROJITENという中間色の色鉛筆を一旦バラバラにシャッフルした後で、寒色系から暖色系へ綺麗なグラデーションに並べかえるようなものだ、と感じた。

聞香は、香りの最小単位を嗅覚受容神経で微かな違いを感じられる喜びだ。いかに自分が、香りに対して無知であったか。匂いの違いを頭の中でチャート化するときに、利き手ではない方の左手で細かい文字を書く時のような歯がゆさも面白い。匂いに不器用であることの奇妙な快感が、バカバカしくも気持ちいいのだった。香りを記憶する時、匂いを匂いで記憶するのではなく、映像やイメージ、あるいは味覚が刺激されたことも面白い体験だ。本来、人が持っていて退化してしまった共感覚が鍛えられたような気がした。

例えば、インディアンがホワイトセージでパワーストーンを浄化するように、お香には、時間や空間を浄化する作用があるのではないだろうか。聞香をしながら、そんな考えが頭に浮かんだ。宗教とお香の関係の深さが、感覚的に分かったような気がした。シャーマンは何故お香を求めるのか。香の向こう側にたおやかに霊感が横たわっているのだろう。

オイラが最初にお香に興味を持ったのは、今から30年前に傷心旅行で行った長崎でのことだ。お土産にと立ち寄った福砂屋に入ると、今まで嗅いだことのない雅やかな線香の匂いに圧倒されてしまった。

その線香が「沈香」であると知るのは、それから何年も後のこと。ああいうスペシャルな沈香が欲しい………。それから細々とオイラの沈香探しは続いていたが、数年前に沈香の上位クラスに伽羅があると知る。ただオイラは、香道は無縁だと思っていたので、今回の聞香体験は、とても貴重なものとなった。

今回の聞香体験で出会ったものは、どれも素敵なお香だったが、オイラが探していた匂いではない。クローブが混じったような、それていて、白檀のようなエキゾチックなフレーバーがある。粉が吹いた墨汁のような匂いがして、とても懐かしい。そんな香りだ。もしかしたら、あの沈香は香道的には邪道のものかも知れないのだけど、またいつかあの匂いに出会いたい。

10年以上前に、仲が良かった叔父が死去した際、火葬直後に骨壺を自分の膝上に置いたという経験が、オイラにはある。くすぐったいような、まとわりつくような、甘くて眠気を誘う、慰安に満ちた温もりだ。聞香をする時に、香枦を左手に載せた時、あの骨壺の暖かさが矢庭にフラッシュバックして、ノスタルジックな気分になった。

お香の体験ワークショップをしていたのは、叔父と同宗派のお寺だった。もしかしたら、伽羅の香に手繰り寄せられて、一瞬、叔父の霊が現世に戻ったのかも知れない。そんなふうに自分の都合のいいように解釈して、悦に入ってしまった。

そういえば叔父が死去してから、一度も墓参りをしていない。都合があって墓参りはできなかったのだけど、叔父のために近いうちに影膳のようにお線香焚こう。

オンガク猫団(挿絵:髙田 ナッツ)

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