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月の客

みなさんは、本を読んでいて
「なんだこれは!」
と驚かされた体験はありますか?

読んだ本の数が増えてくると、読んでいる途中で
「これがテーマかな?」「最後はこんな感じになりそう!」
と予想しながらページをめくることもあるのではないでしょうか。

私は、謎解きやクイズのように表紙や帯のイメージから
内容を予想し、あえて色眼鏡をつけた状態で本を読んでみます。
なぜなら本を読み終わったあとに、色眼鏡が壊されていく、
あの感覚が好きからです。

今回は最近読んだ本の中でも、テーマが予想を大きく上回り、
かつ何回読んでも捉えどころのない本
「月の客」(著者:山下澄人)を紹介します!

月の客のあらすじ

書かれたとおりに読まなくていい。どこから読んでもかまわない。
一気読みできる本のように、一望して見渡せる生など、ない。
「小説の自由」を求める山下澄人による、「通読」の呪いを解く書。
父はおらず、口のきけない母に育てられたトシは、5歳で親戚にもらい子にやられた。
だがその養親に放置され、実家に戻ってきたのちトシは、10歳で犬と共にほら穴住まいを始める。
そこにやってきたのは、足が少し不自由な同じ歳の少女サナ。サナも、親の元を飛び出した子どもだった――。
親からも社会からも助けの手を差し伸べられず、暴力と死に取り囲まれ、しかし犬にはつねに寄り添われ、未曽有の災害を生き抜いたすえに、老い、やがていのちの外に出た<犬少年>が体験した、生の時間とは。

amazon「月の客」商品ページより

文字をなぞるだけでは見えない物語

表紙の生命感のなさと、「月の客」というタイトル、
「一気読みできる本のように、一望して見渡せる生など、ない」
という言葉。

これらが一体何を表しているのか。
一見するとサスペンス小説にも見える表紙ですが、
パラパラとページをめくると、詩集のようにも見えてきます。
私は、とりあえず最初から、いつも通り読んでみました。

・・・

・・・

・・・

・・・読み終わっても分かりませんでした(汗)

いち読後の印象は、トシやサナなど複数人の登場人物がいて、それぞれの人生が、この本にまとめられている感じです。

ですが、この本の変わっているところは、そのまとめ方にあります。

まるで色の異なる絵の具たちがきれいに混ぜ合わされるかのように、
登場人物たちの人格も混ざっていくのです。


「私」の崩壊

みなさんは物語を読むとき、どのように読んでいますか?

私にとって、物語の登場人物の仕草や感情は波のように見えます。
そして、その波にシンクロしていくうちに、私と登場人物の境界は曖昧になり、登場人物そのものになっていくのです。

この感覚が作中でも表現されているように思いました。
主人公のトシは、時折、視界に移した対象そのものに憑依していきます。

トシが猫を見たとき、同時に、トシは、猫の目から見ているトシを見ています。

また、トシは鳥になったような感覚を起こし、実際に屋上から落ちてしまいます。彼は「鳥になったらどんな気分だろう」と想像をしているのではなく、その一瞬、鳥そのものになっていたのです。

それは、まるで「胡蝶の夢」のよう。

さらに物語を進めていくと、他の登場人物たちの人格もほどけ、混ざり合い、ひとつの大きな生き物のようになっていきます。

物語もトシの視点と、サナの視点、誰々の視点‥と最初は別々に書かれていましたが、徐々に今誰の視点で書かれているのか、分からなくなり、読者である私も真っ暗な宇宙に放り出されたような感覚になりました。

「膜」の外にある宇宙へ

この物語で大切にされている言葉に「膜」があります。「私たち」は「膜」に閉じ込められていて、死を迎えることで、膜から宇宙へと飛び出すことが出来るのです。

この「膜」という言葉を聞いて、私はある友人の話を思い出しました。彼女は、世界と自身の間に「膜」のようなものがあり、それは、世界と自身が決して交わらない場所である、と話していました。

私は作中で、トシが自分の身体から宇宙へ飛び出し、サナや他人、動物の経験、感情、感覚と一つになっていく様子が、友人の話していた感覚と似ていると思いました。
生きている間、私たちの身体は楔のような役割を持っていて、精神が一時的に行けても痛みや不快さなどで呼び戻されてしまいます。

文中のトシの心境からもどかしさを感じたのは、彼女の話を思い出したからかもしれません。
彼の精神は、犬や猫、鳥へと移っていきますが、身体は人間のままだった。
その肉体から開放された瞬間、彼は宇宙へ飛び出せたのではないかと思いました。

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