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タフィ・ローズと呼ばれた8歳のわたし

今でこそジャイアンツに女子プロ野球選手がいるけれど、当時はそんなことが起きるなんて考えてもみないぐらいだった。

小学校3年生の時、叔父に連れられて巨人戦を見に行った。わたしは地方の田舎に住んでいたので、東京ドームに行くのはちょっとした旅行気分で野球には何の興味もなかったけれど喜んでついて行った。


初めての見学場所はライトスタンドの前から3列目くらい。今思えば他の席だったらこんなに野球にのめり込んでいないかもしれない。球場に入ったときのあの何とも言えない高揚感は一生忘れられない。今でも風圧のある回転扉をくぐり抜け、階段を上がって青い芝とダイヤモンドが見える瞬間は胸が高鳴る。


ここで少し話がズレるが、わたしは明るく活発な女の子だった。学校の休み時間になると1番にボールを持って「ドッヂボールする人この指止まれ〜☝️」と言っていたタイプ。自分で言うのもなんだけど、運動神経には自信があってクラスのガキ大将たちを次々にドッヂボールで撃破していた。高学年女子には嫌われる、男子と仲がいいサバサバ系女子と言ったところだろうか。まあとにかくそんな感じで体を動かすのが好きだった。


そんなわたしが野球に出会う。

グラウンドにはガタイのいい男の人しかいない異様な光景。(今思えば他のスポーツにもあったのかな?)1プレー1プレーに湧き上がる大歓声。迫力のある演出。1回じゃ分かりかねる、難しいルール。その全てがわたしには衝撃的だった。


わたしは、興奮冷めやらぬ状態で球場を後にした。


帰ってきてから数日後、タイミングよく学校で少年野球団 団員募集のプリントが配られた。そこでも、ガッツポーズをした男の子たちの集合写真。なぜか、そこでわたしの心に火がついた。
(わたしなら、男の子に負けない。)


プリントを握りしめて、家に帰った。母が仕事から帰宅すると瞬時に駆け寄り、こう言った。
「野球をやらせてください!」
驚いたような顔で母はわたしの顔を見た。
😳→まさにこんな顔
言葉を失う母。
母「男の子しかいないよ?」
わたし「うん、知ってるよ。」
母「毎週土日あるんだよ?」
わたし「うん。やりたい。」

娘のやりたい事をやらせてあげたい。でも、本当にやれるのか心配です。

と思いっきり顔に書いてあるのが小学生ながらよく分かった。そこでわたしがとった行動は……


DO    GE    ZA


今思えば、どこでそんな事を覚えたのだろう。本当に懇願するときにはそうすると。今だに母はそのときのことを何回も話す。


その甲斐あって、わたしはプリントのチームではないが新しく新設される野球チームに入ることになったのだった。

今でも忘れない。確か近くの公民館か何かだったと思うが、新しいチームということもあり皆が集められ監督、コーチの紹介、みんなの自己紹介、その後チーム名決定をすることになった。

ギャンギャンと騒ぐ男子たちの中にポツンと紅一点。明らかに浮いていた。笑
野球のやの字も知らないわたしと、毎日のようにテレビで野球を見る少年たち。あっという間にチーム名が多数決で決まり、いよいよ始まることになった。

わたしの野球技術については後々書くとして、ある程度練習すると背番号を決定することになった。初めは監督、コーチ陣も選手の様子が分からないため好きな番号を選べることに。男の子たちは各々好きな野球選手の名前を言いながら背番号を選んでいく。
「俺、慎之助!!!」
「俺は仁志かな!」
「俺は小笠原!」
当然の如くプロ野球観戦歴1回のわたしは誰1人分からず続々と埋まっていく様子をぽかんと見ていた。そして、あまりものがまわってきた。それが20番。何となくパッとしない番号に感じて不服そうなのが顔に出ていたのだろう。

当時野球がものすごく上手で、チームの中心になっていた高学年の男の子が私の背番号を見てこう言った。


「タフィ・ローズじゃん!!
かっけーーーーーー!!!」



野球好きの皆さんは、ここで大爆笑していただきたい笑
小学校3年生の野球始めたての女の子があのタフィ・ローズと呼ばれることを笑

知らない方のためにお伝えすると、タフィ・ローズ選手は、(本名カール・デリック・ローズ選手)は、わたしが幼い頃活躍していた選手で、なかなかに強面でえげつない打球を放ち、ホームランを打ちまくる当時のうちのチームの少年たちにとってはスーパースターだったのだ。

チームの中心人物からの一声で、
「うわっ、かっけーな。」
「やべーぞ!」
「お前、女だけど力あるしな!」
と盛り上がり、しまいには少年たちがわたしに向かい「ローズ!ローズ!」とローズコールを浴びせられることになったのだ。

当時の単純なわたしは、なんかカッコよさそうな名前と皆の盛り上がりに上機嫌になり、背番号20を笑顔で背負うことになった。笑
(まぁ、その後ローズ選手を実際に見て知ったときのなんとも言えない乙女の感情は置いておこう)

こうしてわたしの野球人生は幕を開けることとなった。

続く。


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